第4話【気まぐれな猫】

「……次」


 心の底から震え上がるような声。それを聞いて、列に並んでいた鬼は受付の鬼の前に立った。


「要件は?」

「鬼が足りねぇって聞いてな。応援だ」

「了解だ」


 短いやり取りの後、鬼は中に入る。そうしてしばらく歩いた後、その鬼は路地裏へと入った。



「なんッでテメェを入れなきゃなんねぇんだよ。出ろや」

「……私が歩いてたら目立つ」

「俺も目立つだろうが!」


 小声で怒鳴るという技術は彼が生きていた頃にシルヴィで身につけた技術だ。それに対して天使はふん、と鼻息荒く答える。


「一人なら目立つだけ。単独行動が基本なのに、二人で歩いたら変に思われる可能性が高い。違う?」

「チッ」

「あ、あとこれは私が密着しないと発動出来ないから」

 男は舌打ちをし、フードの首元を開いて覗き込んだ。



 ……そこには、がっしとしがみついている天使の姿があった。


「クソッ! なんで俺がこんな事やんなきゃいけねぇんだよ!」


 男は悪態を付きながらも襟を閉じる。その瞬間、男の姿は変化した。


 体が大きく、筋肉質に。その服は消え、代わりと言わんばかりにボロボロの布切れが纏われる。そして、その顔つきもそれに合わせて変形した。その容姿は【鬼】のようになっていた。


「ああ、クソ。気持ち悪ぃなあ」

 その容姿は普段の男とはかけ離れていた。この原因は天使にある。



【ホログラム技術】

 本来ならば準備に相当な時間がかかる技術だ。しかも、現代ではほとんど使用されるケースも無く、人を化けさせることなど不可能だ。




 ……しかし、世界有数の先進国の技術が組み合わされば不可能を可能にすることは容易であった。


「こっから先は内部で情報を集める。で良いんだよな?」

「うん。あんまり目をつけられない程度に」

 男達は……というか、天使は外からも情報収集を行った。しかし、分かった事と言えば。『入るのは簡単』ぐらいである。


 天使の言葉を聞いた男は一度面倒そうな顔をした後に路地裏から出た。


 その姿は、また鬼から人の姿へと変わっていたのだった。


◆◆◆


 町と呼ぶには整備されておらず、村と呼ぶには大きすぎる……仮として、町と呼んでおこう。


 木製と石製の家が入り乱れ、窓はない。何より、道行く人々がおかしい。皆廃人のように目がおかしな方向を向き、言葉を漏らしたかと思えばあーとかうーとかしか言わない。


「……クソ、マトモな奴がいねーな」


 男は適当に見繕おうと辺りを見渡したが、正常な顔の者はいない。仕方ないと、男は辺りに鬼が居ないことを確認して一人の男に目を付けた。



「なあ、オイ。ちょっと聞きたいことが……」

 しかし、声を掛けても男は無視して通り過ぎて行った。


「……チッ、次」


 怒りを飲み込み、男はまた別の人を探した。


◆◆◆


 しかし、そのいずれも失敗に終わる。


 何度声をかけても、肩を叩いても、道を塞いでも……最終的に殴ろうとしたが、目立つからと天使に止められた。


「クソ。全員薬物キメてんのか?」

 男はまた路地裏へと戻り、頭をガリガリと掻きむしった。すると、襟元から天使がひょっこりと頭を出した。


「……私にはあのデータは少ない。薬物乱用の疑いがあったらあんな風に廃人になるの?」

「あァ……戦争孤児なんかは現実逃避か悪ィ大人にだまくらかされてあんなンなるのが多かった……あとは、そうだな」


 男は何かを思い出したのか、顎に手を当てて思案した。


「スパイとか工作員なンかも多かったな。現代の知識を最大限に活かした趣味の悪ィ拷問を受けてな」


 その言葉に天使はなるほど、と何かを考え始めた。



 そして、数秒ほどしてから顔を上げた。


「……あの大きな建物分かる?」

「ん? ……あァ、あのバカデケェ建物か。攻め立てんのか?」

「違う。私は光学迷彩であそこに忍び込んでくるから、また聞き込みしてて」

「あ? あそこヤベーのいンだろ。オレも行く」

「だめ」


 何度か問答を繰り返したが、結局男は聞き込みを。天使は建物の中へ侵入する事となった。


「気ィつけろよ」

「……そっちも」


 言葉は短い。互いの身を案じる言葉であったが、あまり感情は篭っていない。



 それは互いの力に寄せる信頼なのだろうか。今はまだ、分からない。


◆◆◆


「チッ……全ハズレかよ」


 男の姿は元に戻っていた。ただ、外套の様なもので顔まで覆っている。天使がいないため、顔を見せないようにしているのだ。



 そして、男が誰に話しかけても無反応であった。道行く人、老若男女問わず声をかけても反応しない。誰もが俯くか、目を明後日の方向へ向けているかのどちらかだ。


「あーあ、どうしたもんかな……ん?」



 あまり目立ったことは出来ないと、男はぶらぶらとその辺を歩いていると、一つの公園が目に入った。


 その公園は実に簡素なものであった。男は中に人を求めて入ったが、人っ子一人居ることなく閑散としていた。


「チッ……しゃーねぇ。休むか」

 男は公園の端に置かれているベンチに座り込んだ。


「さて。どうすっかな……寝るか」


 男はやる事が見つからず、段々と眠気に襲われつつあった。


「ま、なんかありゃアイツが来るだろ」

 そして、男が背もたれに体重をかけて目を瞑った瞬間の事である。



 ぐちゃり。


「誰だ? テメェ」

 肉の潰れた音と共に、男は後方へと棍棒を突き出した。一瞬のうちに義足として使っていた棍棒を抜き取ったのだ。


 そして、その棍棒が突き出された先には男と同じようにフードを被っている人物がいた。




 辺りの空気がピリつく。一触即発の空気を打ち破ったのは……フードの人物であった。


 その人物は、男を警戒させないようにフードを取った。ぴょこんと獣の耳が飛び出る。


「まさか、ボクに気づくなんてね。腕は衰えてないみたいで何よりだよ」




 そこにいたのは、水色の猫耳を生やした空色の髪の少女であった。



「あ?なんでテメェがここにいやがる。【気紛れな猫マキュリアルキャット】」


 男は棍棒を下ろし、そう言った。既に警戒は解いているようで、その顔には疑問の色が強い。


「つかテメェ死んだのか。最近見ねェと思ってたら」

「ボクからしたら【起死回生】の君が死んでることの方が驚いてるんだけどね」

「ルせェ。相打ちにしたわボケ」


 男は棍棒を外套の中に仕舞う。すると、猫は一歩歩み寄ってきた。


「一番厄介なのは?」

「手負いの獣」

「一番美味ェのは?」

「腐りかけの肉」

「一対百の戦い方は?」

「問答無用で皆殺し」


 男が猫に三つほど意味のわからない質問をすると、猫は即座に答えた。


「……やっぱ本物か」

「あは♪ ボクは君を愛しているからね。君の言った言葉ぐらい覚えてるさ」

「きもちわり」

「ひどいなぁ! 言わせたのは君じゃないか!」


 猫は憤慨したように顔を近づけてくるが、男は知らんとため息を吐いた。



気紛れな猫マキュリアルキャット

 通称、『猫』


 世界のありとあらゆる機密を知る情報屋。しかし、仕えている者は居ない。必要な情報を高値で売りつける個人の情報屋である。


 そして、その名の通り情報を売る時もあれば、売らない時もある。それが二つ名の所以である理由の一つである。


「で? なんでテメェは死んだんだ。殺してもアッサリ蘇りそうな性格してる癖に」

「ボクの扱い雑じゃないかい!? だからいつもボクよりもシルヴィを優先して守ってたの!?」


 猫が抗議の声を上げるも、男は知らんと言わんばかりに質問の答えを待っている。それに対して猫はため息を一つ吐いた。


「ちょっとポカやって【天使】に捕まってね。どっかの国に捕まってたんだ」

「へェ、天使にか」


 猫は戦闘は得意でないが、逃走だけなら右に出る者はいない。何度か男からも逃げた経験もある。猫は政府に目をつけられ、およそ一万の特殊部隊から逃げた経験もある。そのため、捕まえる事は殆ど出来ないと言ってもいい。


 そんな彼女を、天使は捕まえた。


「そ。どうやらボクを雇おうとしてたみたいでね。ま、素直に雇われる謂れも無いから断ったんだけど。そしたらよく分かんない薬とか打たれたり、拷問っぽい事されて最終的に殺されたってわけ」


 その言葉に男は目を丸くした。



「その割に俺から断った事は無ェだろ。情報より命を取るんだと思ってたが」

「待って。もしかしてボク君からの情報提供断ってたら死んでたの? 初知りなんだけど」

 猫はそんな事を言うが、男は当たり前だろと鼻を鳴らす。


「……まあ、ボクは君のことを愛しているからね。情報を渡すぐらいどうってこと無かったさ」

「きもちわり」

「君は乙女をなんだと思ってるのかな!」

 猫はぷりぷりと怒っているが、全く圧を感じない。


「ンな事より本題を話せ」

「もう、相変わらずだなぁ」


 そう言いながらも猫はこほん、と一つ咳払いをした。


「ボクを貰ってくれない?」

「殺すぞ」

「即答!?」

「真面目に答えろ」

「その言葉を先に持ってきてほしかったなぁ!? 嫌われてるんじゃないかって落ち込みかけたよ!」


 そして猫は二度目の咳払いをした。


「……取引をしようじゃないか、【起死回生】」


 とても少女の声とは思えない、腹の底から冷え切らせるような声。


 取引に応じなかったら殺されるんじゃないか。鋭く磨かれたナイフを急所に当てられたような気分になる。


 それは勘違いでは無い。『猫』の気分によってはその場で殺されることもまちまち。


 これもがもう一つの――【気紛れな猫マキュリアルキャット】と呼ばれる所以でもある。




「内容を言え」


 そんなプレッシャーを前にしても、男の態度は変わらない。猫はくすりと微笑んで、口を開いた。


「ボクがここで手に入れた情報。そして、これから手に入る情報を全て提供する。もちろん、君に頼まれた依頼も全て『無償』でこなしてあげよう」


『無償』の部分を強調しながら猫が言う。男はそれに対し、目を鋭くした。


「対価は?」



 男の言葉に猫は口を閉じた。ただ、顔をニヤニヤさせている。



 そして、数秒ほど沈黙が続いた。男がまた口を開こうとした時、猫は言った。


「ボクの命を護る。ただそれだけさ」

「……本当か?」


 男が訝しむ。その理由は、あまりにも条件が緩いからだ。


 猫の戦闘能力は決して低くない。それこそ、鬼程度なら余裕で逃げ切れるだろう。何度かこの男から逃げ切ったこともあるくらいだ。


 猫の言葉に。男は眉を吊り上げた。


「……なるほどな。俺はこんな身だ。いつ死ぬか分からねェぞ」

「君は負けないよ、誰にだってね。……まあ、死んだらその時はその時。ボクも死ぬよ」


 猫の言葉に。男は目を瞑って考えた。



「……じゃあ、そうだね。惚れた弱みって奴だ。一つ良いことを教えてあげよう。今の取引の返事はそれが終わってからでいい」


 男は目を開け、言葉の続きを催促した。猫は今度は焦らすことなく口を開いた。


「君の仲間、もうすぐ死んじゃうよ」

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