第三話「罪人の洞窟」(二)


 久しぶりのナイフの感触<快感>を思い出させてくれた相手の身体を探りながら――これはもう、盗人としての癖なので仕方がない――、クーリーは血と汗と焔を撒き散らす相棒の姿を見ていた。

 いくら武装しようとその動きは村人のそれなので、何人いようが反撃が許された今のアンフェルの敵ではない。撒き散らす汗と焔はアンフェルのものだが、その舞う赤<血>は敵の男達のものだけだ。

 執行人にはあらゆる罪が免除される。過剰なまでの暴力も、非道なる行いも、命を奪う刑の執行も。

 判決が下されたその瞬間、クーリーがフログからナイフを奪い、そのまま命まで奪ったように、アンフェルも自身を囲んでいた男達を返り討ちにするため、己の魔力を発動していた。

 いくらアンフェルが筋肉質で体格の良い見てくれで、その内面が暴力的で、その強さを維持するために何もない教会の中でも毎日トレーニングを欠かさないストイックな面がある男だとしても――素手で何百人も殺すことは普通、出来ない。

 だから彼は――アンフェルは普通ではないのだ。

 アンフェルの拳は尋常ではない程鍛えられている。それはきっと日頃のトレーニングとこれまでの犯罪の集大成なのだろうが、それを更に強固にするのが、彼の魔力『炎舞』だ。

 敵に対して爆炎で攻撃するタイプの魔法が多い炎属性の魔力の中でも、『炎舞』は珍しく、術者の身体を強化する魔力である。

 武踏と呼ばれる体系に属するその魔力は、己の身体に焔を這わせ、舞い踊るように敵を打ち抜くその姿が、まるで踊り子のように見えることからそう名付けられたのだという。

 術者に掛かる負担の大きさから、使用出来るものは強靭なる精神と肉体を併せ持った者に限られるその力を、アンフェルは完璧に体得していた。

 アンフェルの拳が火を噴き一人の男が火だるまになり、そうかと思えばその拳が直接別の男の頭蓋を砕く。長身故の長い足がローブを翻しながら背後の男の顎を打ち抜く。重心を落した構えを見せるアンフェルの目は、心の奥底の喜びすらもひた隠す武人の目だ。

 そんな彼を中心にして、まるで火祭りのように焔が空間に舞っている。多数を相手にする際にこそ真価を発揮する炎舞には、この処刑場はうってつけの舞台のようだった。

 天使の炎は今や、満足げに小さく揺れるのみ。罪を照らす炎はもう、クーリーとアンフェルだけで充分だった。最後の男が焼き殺されて、黒焦げの身体が地面に倒れる。

 天使フレアニスは純粋で、少しばかり感情的な天使である。妻子への裏切りを口走った愚かなる男とその仲間を、同罪として処刑するくらい純粋で、感情的なのだ。

――ほんま、純粋でカワイー。この地上には嘘も裏切りもたーくさんあるって、きっとオレらだけ見てたらわからんやろなー。

「あー、そっか……やからオレら、なんか……」

 小さくしょげるように揺れる天使のカワイイ我儘に気が付いてしまったような気がして、クーリーは礼儀正しく『礼』の姿勢をしているアンフェルの背中に飛びついた。身長差があるのでクーリーの足はブラブラの状態だ。

「なんや? 邪魔ったい離れんや。きさんまで燃えてしまうばい」

「そんなん言うて、これまで燃えたことないやーん。オレ一人やったら一度にこんなに相手出来んし、やっぱさっすがオレの相棒やわー」

「俺だけならフログの隙なんてつけん。さすが……俺の相棒ばい」

「うっわアンちゃんったら照れてんの? きっしょ――」

「――うっさい! 離れえ!」

 大きな背中から引き剥がされることすら楽しみつつ着地を決めたクーリーの頭を、力強い手が無遠慮に撫でる。その手に言葉にはしない労いを感じ取り、クーリーは先程手に入れた“戦利品”をアンフェルに手渡してやる。

「……これ、タバコか?」

「フログの身体漁ったら出てきた。こいつだけ都市部から出て来たみたいな言い方しとったし、なんか持ってへんかなー思って」

「男相手に誘惑して、おまけに身体までまさぐっとったん?」

「言い方ー! ほんま、きったねえ男相手に誘惑してもた。我が人生の汚点がまた増えたわ」

 あーあと大袈裟に肩を竦めて見せたクーリーの手から、戦利品がすっと抜き取られる。四角い箱に描かれたそのラベルは残念ながらクーリーもアンフェルも好みのものではなかったが、フーちゃんはどうにもタバコには厳しいようで、絶対禁煙の状況が続いている現状にはそんなものでもありがたいのであった。

「ここで吸ってく? つか、何本ある?」

 タバコの箱は開いていた。アンフェルは箱を覗き込み「二本だけか……しけとるねー」と、そこから一本をクーリーに投げて寄越した。クーリーはそれをキャッチし口元へ運ぶ。

 箱から出したところのタバコには、まだ火はついていない。いつもアンフェルの炎で火をつける――もちろんフーちゃんの炎で一回試して、二人で焼け死にそうになっている――ので、クーリーはいつものように「火ぃ」とタバコを咥えて彼に差し出した。

 アンフェルは早速自身の指先に焔を宿して、自分のタバコに火をつけている。そしてその手をこちらに伸ばしたところで――どうやら時間切れのようだ。

 免罪の時が過ぎ去った罪人に、魔力の発動を行うことは出来ない。

「あー、残念やーねー」

 悪い笑みを浮かべたアンフェルの目に同情の色はない。代わりにあるのは、悪戯気な色合い。

「こっちきんしゃい」

「ん……」

 代わりに差し出された“火”によって久しぶりの煙を楽しみながら、クーリーは自分に合わせて少し屈んでくれたアンフェルの身体に――未だ剥き出しになっていた紋様に触れる。

 古から伝わる天界の言語で記されたそれは、文字というよりは鎖状の模様のように見える。ところどころで捩じれた、炎に爛れた罪の絆だ。

 罪を裁くことにより少しずつ償われていくその紋様は、しかしまだまだ消えることはない。

「なんばしよっと?」

「んー、ちょっとな……」

 そう言いながらクーリーは、アンフェルの耳元で、彼だけに囁いた。

「天使様は我儘やなって」

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