ⅩⅢ

■十三.



 巣環国の領主ウィトルウィウス卿は馬車を仕立て、アフロディテを迎えに来た。使者を立てて投降を申し入れてすぐのことだった。姫が巣環国に下ることを想定して領主はあらかじめ馬車も馬も準備をしていたようだった。

 姫も近衛兵も見た目は敗残兵のそれだった。

 新しい衣も用意されていたが、馬車に乗ることは受け入れてもアフロディテは着替えを断った。用意されていたのは女の衣だった。

「昔、彼の腕に剣を立てた」

 馬車の中で汚れた姿のままアフロディテは眼を閉じていた。

「女が領主に侮辱を与えたのだ。卿はさぞやお怒りだろう」

「絶対に怒ってはおられない」

 タキトゥスは断言した。女の衣もそういう意味ではない。色恋に疎い姫には分からぬだろうが、ここは自信を持てとアフロディテに云いたかった。姫がその気にさえなれば、領主を操れる状況に想えたからだ。昔から生物生殖活動の決定権は女にあると学者も云っている。男が女に執心しているということは、つまり、そういうことだ。がんばれアフロディテ。

 果たして、ウィトルウィウスは居城の城を出てアフロディテを迎えるためにわざわざ途上で待っていた。差し向けられた馬車には姫の世話をする為に侍女も乗り込んでいた。その侍女たちが重ねて、

「殿との面会前にお着換えになられませんか」とアフロディテに女の衣を勧めた。

 アフロディテは女の衣を着ることをやはり断った。侍女たちは姫の顔を拭い、髪をとかし、身なりを少しだけきれいにした。

「お化粧を、姫」

「いらない」

 やっておけ。ここが勝負どころだというのに、アフロディテはまるで分かっていない。馬車に寄り添っているタキトゥスは口を出したくなるのをかなりの努力で我慢した。顔を少々弄り回したところで劇的な変身はアフロディテには望めないだろうが、少しは女を出してくれ。

「姫さま。殿がこちらに」

「大変だったな」

 そのウィトルウィウスは姫を馬車から降ろすこともせず、単騎でさくさくと進んで来ると馬車に馬を並べて外からアフロディテに声をかけた。左右には果樹園が広がり、花木には花が咲いて実に牧歌的だったが、道はわざと見通しを悪くして奇妙に曲がりくねっていた。外敵からの侵入に備えているのだ。

「姫。ここが巣環国だ。もう安心だ」

 タキトゥスが初めて見る三十路半ばのウィトルウィウス卿は、田舎領主から想像していたよりもずっと精悍で男ぶりが良かった。部下から慕われる遊撃隊の隊長という感じだ。

「青鎧など既に伝説のものかと想っていたが、こうして良からぬことを実際にするのだな」

 アイストスからの援軍要請を一蹴しておきながらウィトルウィウスはしらばっくれていた。

 近衛隊はそんなウィトルウィウスに念をおした。

「巣環国領主さま。先に我々から申し入れたとおり、姫の身柄は外国にはお渡しにはならぬとのお約束を違えぬよう、重ねて願います」

「もちろんだ」

 ウィトルウィウスは請け合った。

「姫が巣環国の嫁になってくれるのであれば、俺は姫を外国勢には決して渡さぬぞ」

 それを聴いたタキトゥスは顔に出してしまった。卑劣とまでは云わないが、女のことで外交をやり取りするのは気分が悪かった。

「そうか、お前が剣闘士だな」

 矛先がこちらに向いた。怒鳴られた。

「護衛のお前が何をしていたのだ。姫を奪われるなどそれでも剣闘士か」

「ウィトルウィウス殿」

 馬車の中から疲れ切った姫の声がした。

「タキトゥスは我の命令でその時、戦場にはいなかったのだ。その者のせいではない」

 もどかしすぎてタキトゥスは唸った。庇わなくていいから、ここはひとつ、「怖ろしい想いをいたしました。今はウィトルウィウス殿が傍にいて下さるので安心です」くらいのことは演技でいいので涙をこぼして云おう姫。

 しかしアフロディテは、やはりアフロディテのままだった。

「此度のことはすべて我の手落ちだったのだ。部下のせいではない」

 タキトゥスは今すぐ馬車に乗り込んで何を云えばいいか、どう振舞えばいいか、アフロディテに教示してやりたい衝動を必死でこらえた。男にも分かることがなぜあの姫には出来ない。

 城に入った。居城に到着するなりウィトルウィウスは馴れ馴れしくタキトゥスの首に片腕を回してきた。

「前夫を亡くされたばかりなのだからな。俺は急ぐつもりはない」

「アイストスさまとは深く愛し合っておられたようです」

 色々と悔しいので云ってやった。アイストスとのことは姫さまの想い出のためにも微笑ましいという気持ちだったが、偉丈夫なウィトルウィウスにアフロディテを差し出すことを想像するとタキトゥスは無性にむかついた。大体からして、保護してやる代わりに嫁になれとは卑怯千万ではないか。

「卑怯ね」

 ウィトルウィウスは考え深げな顔をして、顎を手でこすった。近衛隊を眺めるその眼が怖く光っていた。

「卑怯というのなら女の身を将に仕立て上げて戦場に出したお前たちの国許が卑怯なのだ。だからこんなことになるのだ。文句はアフロディテを将に据えた本国に云え」

「第七軍は貴族の子弟で構成された軍です。将は皇族から出すと決まっており、われらが姫はそれにお応え下されたに過ぎません」

「そこからしておかしい。そんな意味のない慣例を後生大事にしているのが悪い」

「粗野で野蛮な田舎者」

 近衛兵が後ろでぼそりと洩らした。

「なんか云ったか」

 ウィトルウィウスは振り向いた。

「そうだとも巣環国は田舎だ。その田舎の小国の力を借りねば自軍の将を救えなかったお前たちは何だ」

「卿」

 喧嘩になる前に、タキトゥスはウィトルウィウスを広間の隅に連れて行った。

「婚礼は急がれないほうがよい」

 引き延ばし作戦など無意味だろうが、タキトゥスは出来る限り引っ張るつもりだった。

「姫は初婚が離婚になって終わって以来、ずっと身ひとつで軍を率いてこられたのだ。これを機会に卿の温情をお借りして、こちらでしばらくお休み頂きたいと我々としては願っているのだが」

「では猶更のこと可哀そうではないか」

 ウィトルウィウスはタキトゥスの胸を叩いて一蹴した。

「姫がさほどにお疲れになるまでに、帝国の男どもは何をしていたのだ。揃いも揃って何をしていたのだ。アフロディテを支えてやろうとする気概を持つ男はお前たちの内にただの一人いなかったのか。アフロディテの杖となり盾となり護り抜こうとしてやる男の一人もいなかったのか。疲れているだと。それはお疲れにもなるだろう。なにせ周囲には誰ひとりとして姫をお支えする漢はいなかったのだからな。そんなおぬしらが今さらアフロディテの操を心配するなど、俺に云わせれば片腹痛いわ」

 主君の姫君にそんな真似できるか。離れた処から卿を睨んでいる近衛隊へウィトルウィウスは軽蔑の鼻を鳴らした。

「十三歳で初婚、一年で離婚」

 うむうむとウィトルウィウスは頷いた。 

「ままごとの後はずっと男がいなかったのだろう。女としてはほぼ処女だ。丁寧に扱ってやらねば」

 領主は勝手に盛り上がっていたが、ウィトルウィウスは懐の深いところも見せた。

「お前、あんなちっちゃな女に戦場で斬りかかられてみろ。殺っても殺られても、男の立つ瀬がなかったぞ」

 以前、姫が腕に怪我をさせたことはそのように捉えているらしかった。ウィトルウィウスはタキトゥスをちょうどいい話し相手に据えて云い出した。

「そろそろ俺も身を固めたいのよ。帝国皇帝の従妹が嫁ならまったく悪くない。血筋も最高の妃だ。無論、無理強いなどせぬ。これから姫の前で男の真心と誠意を尽くして、姫の方からも俺に惚れさせてやるのだ。結婚は両者が合意していることに勝るものはないからな」

 卿は自信満々だったが、あのアフロディテが色恋に血迷うとは到底、想えない。

 二日ほどアフロディテは昏々と眠った。今までの全ての疲れが出たかのように姫は眠っていた。

 アフロディテの寝顔を見つめながらタキトゥスは迷った。今なのだろうか。姫さまを殺すのは。

 殺せ。

 殺せ。

 この女を殺せ。剣闘士よ。

 タキトゥスが見つめる先で女は力尽きて眠っていた。どこか苦しそうで見ていられなかった。


 

 数日経って、巣環国の城に留まっている近衛隊の前に通されてきたのはアフロディテの侍従のエトナ少年だった。控えの間にあてられた大部屋で無為に過ごしていた近衛兵はエトナを大歓迎した。

「よく来たな」

「よく来たなだって」

 エトナはかんかんに怒っていた。

「勝手にいなくなっておいて。どれだけ探したことか」

「まあまあ」

「第五軍の伊達将軍さまがこっそり教えてくれなければ、行方不明のままでしたよ」

「事情があったんだよ、俺たちにも」

「七軍の兵を連れ出せる分だけ、連れてきました」

 エトナは声を潜めて近衛隊に告げた。

「ここから遠くない森に隠れています。ストラボとマイウリもいます。馬も鎧装束も持ってきました。姫さまを連れてさっさと逃げましょう」

「逃げるといってもな」

「俺たちのほうから投降したのだ」

 何を云っているのだという顔をしてエトナは近衛隊を見廻した。

「姫さまを犠牲にしたからだ。結婚なんて駄目ですよ」

「ウィトルウィウス卿は婚礼を急ぐつもりはないと云っていたが」

 壁にかけた的に向かって小刀を投げて遊んでいたタキトゥスが一応云ったが、莫迦じゃないのという眼を返してきたエトナはすっかり寛いでいる男たちの様子に、ますます焦り出した。

「そんなの嘘に決まってる」

 まったく信用がないらしい。

「あいつ、どう見ても歴戦の女たらしですよ」

 歴戦の女たらしという強烈な単語に近衛隊はにわかに騒ぎ出した。



 宮殿の列柱回廊を曲がった処で臣メナンドロスと第二皇子は互いの姿が眼に入らぬまま廊下でぶつかった。

「これは皇子。失礼を」

「いや、いいのだ」

 両者ともに急いでいた。顔を合わせた途端にお互いが抱えている懸念も同じものだと知れた。

「第二皇子」

「ああ分かっている」

 メナンドロスも第二皇子も顔面蒼白だった。二人は声を潜めて大急ぎで廊下の片隅で話し始めた。

「九度軍が」

「アフロディテを監禁していた青鎧が、アフロディテを孤島から奪われたことで、猛烈に怒っているようだ」

 面子を潰された格好になった九度軍は怒り狂い、傭兵集団の名に賭けてもアフロディテを取り返すと彼らの神に誓っていた。

「信仰をもとにした異常行動だ。止め処もない」

「復讐を祈願し、神への生贄として彼らは仲間のうちから数名を血祭りに上げたそうです。姫さまと近衛隊を必ず殺すと誓ったとか」

 九度軍の自尊心と復讐心は底なしだった。

「まずいぞ。これは」

「皇子、いかがいたしましょう」

 恐怖に囚われているメナンドロスは焦るあまり舌がもつれて、途中何度も言葉がつかえていた。メナンドロスだけでなく、いつもは冷静な第二皇子の様子も似たようなものだった。

「島から脱出した後は巣環国に避難されているとききました。確かなことでしょうか」

「避難ではなく投降だ。安全は確約ではない。巣環国は軍隊を持っているが、九度軍のような後先顧みない捨て身の殉教者どもとは闘ったことがない。領民を人質に取られたら、領主はよそ者のアフロディテを庇うことはしない」

「第二皇子。今からでも迎えの軍を差し向けては」

「巣環国と帝国が真正面から戦争になれば、巣環国領を欲している他国が黙ってはいないだろう」

「九度軍が今度アフロディテさまを捕らえたら?」

 第二皇子は憂鬱そうに暗い声で述べた。

「生きたまま皮を剥いで最も惨たらしい方法で姫を殺す」

「皇帝の従妹姫と知りながらやるでしょうか」メナンドロスは悲鳴をあげた。

「さすがにそれは」

「連中にはこの世の掟など何の意味もない」

 第二皇子は強く云った。

「こうなればもう、どれほど金を積もうが帝国の領土を半分やろうと彼らに云おうが、どうにも無理だ」

 二人は黙り込んだ。数々の過去の所業から、九度軍の性質は彼らも知り抜いていた。

 しばらくの間、眉を寄せていた第二皇子は万策つきて額に手をおいた。

「何ということだ。もうこの世の誰にもアフロディテを助けてやれぬかも知れない」

「第二皇子さま」

 臣メナンドロスも悩み抜いて喘いだ。考えに考えた末に第二皇子は首をふった。さらに第二皇子は頭をかきむしった。

「アイストスが亡き者となった今、誰に頼ればいいのだ」

「予に頼るのだ」

 背後に皇帝が立っていた。いつの間にかそこにいた。第二皇子と臣メナンドロスは皇帝への拝礼も忘れて固まった。

 現れた皇帝は二人を順に眺めた。その顔つきから皇帝は一切を承知なのだと知れた。

「頼むがよい」

 二人を見比べていた皇帝はやがて眼を移し、第二皇子だけを見た。整った酷薄な顔が母親の違う異母皇子に命じていた。

「皇子、試しにしてみるがよい」

「皇帝陛下」

「そちの口から予に頼んでみよ」

 皇帝は指先を下にした。皇帝は皇子に膝をつくことを求めていた。

「そなたらには出来ぬことが帝国の皇帝である予には出来る。アフロディテを助けたくば、この場にて予に頼んでみるのだ」

「陛下……」

 第二皇子は何かを云おうとした。だが口を閉じて黙るしかなかった。九度軍も悪いが皇帝も最悪なのだ。しかし最恐の九度軍がアフロディテを殺すと明言している以上、もうここにしか縋れるところはない。

「皇帝陛下」

 しかもこの皇帝はあくまでも第二皇子の服従を踏むというかたちでしか動かぬつもりなのだ。そしてそれは、皇帝がずっと煙たく想って邪魔にしてきた第二皇子に対してやりたかったことでもあるのだ。

「陛下」

 第二皇子はもうそれ以上躊躇しなかった。決然と唇を引き結び第二皇子は皇帝を真正面から見つめ返した。彼は覚悟を決めた。

 裾をさばくと第二皇子は皇帝の前に片膝をつき、頭を垂れた。その後ろで急いで臣メナンドロスも皇子に倣った。

「従妹アフロディテ姫をお救い下さい。皇帝陛下」

 第二皇子は俯いたまま云った。この際、皇帝の足許にひれ伏すくらい迷わずやるべきだ。

「わが身は陛下の血族にして忠実なる臣下。皇帝と皇国を護るもの」

 頭は皇帝を前にしてさらに低くなった。第二皇子はおもむろに両膝をついた。そして手を投げ出し床に這いつくばった。後方でメナンドロスが愕いて息を呑んでいいた。第二皇子がとったのは最下層の奴隷がやる姿勢だった。

「偉大なるわが皇帝陛下」

 額や鼻先が床についた。皇帝がアフロディテ救出に動いてくれるのならば沓でも舐めてやる。

 残虐な青鎧に捕縛されるか、この皇帝の妃になるか。どちらを選んでもアフロディテにとっては悪いことになる。屈辱と逡巡を呑み込んで第二皇子は固く眼を閉じた。それでも姫の命を救うにはやるしかない。

 彼は皇帝の前にこれ以上低くなれぬまで低く身を伏せた。口を開くと唇が床にこすれた。

「尊き御身の第一のしもべが申し上げます。わが願いをお聞き届け下さい。御身とわが身に血の連なる従妹の姫君を、陛下のご威光とお力でお救い下さい」

「よかろう」

 第二皇子の服従を見て、皇帝は満足そうに顎をそらした。

「アフロディテを救おう。皇軍直属の第一軍を招集せよ」

 皇帝の放つ鋭い命令は宮殿に響き渡った。

「わが禁衛軍は必ずやアフロディテを救い出し、アフロディテ姫を予のもとに引きずってくるだろう」

 床に伏せた第二皇子はしばらくそこから顔を上げたくなかった。



 夜になってウィトルウィウス卿が姫の寝所にやって来た。大きな寝台の足元のほうにウィトルウィウスは横になった。

「まあ今晩は話をしようではないか姫」

「礼を云わなければ、ウィトルウィウス卿」

 アフロディテは枕元のほうに膝を抱えて座っていた。

「部下を助けてもらった」

「うむ。いや、そういう堅い話はいいのだ」

 ウィトルウィウスは手を振った。

「姫はご結婚されていたゆえ寝所で男女がやることに説明もいらぬ。だから話をしようというのだ。余所の者たちが何と云っているかは知らぬが俺はずっと姫のことを可愛いと想っていたぞ。戦場で鳥みたいに俺の馬に並んできて俺に立ち向かって来た時からずっと好きだったぞ。まず勇気がある。部下想いだ。自分に厳しい。姫がいい女だから男たちが姫に附いていくのだ」

 ウィトルウィウスはアフロディテの姿を眺め回して、真面目な眼つきになった。

「それ、その夜衣の裾から覗いている足首も可愛い。もう一度姫が俺の胸にきたら大切にしてやろうとずっと想っていたぞ」

 ウィトルウィウスは一振りの剣を取り出した。彼はそれを姫との間に投げた。両者の真ん中に落ちたのは女用の細剣だった。

「前に俺が折ってしまったからな。次に姫さまに逢ったら渡すつもりで造らせていたのだ」

 男と女の間に投げ出された細剣をアフロディテは手に取った。鞘から抜いた。柄にはアフロディテの紋章が刻まれていた。蝋燭の火を映した剣は一本の赤い線のように輝いた。

「巣環国の刀鍛冶の腕はいい。今度はそう易々とは折れないはずだ」

「ウィトルウィウス殿」

「俺は女を悪いようにはしないぞアフロディテ。勇敢で美しい戦神の名だ。今晩でなくていい。いつでもいい」

 ウィトルウィウスは両腕を広げた。

「俺の胸に飛び込んでこいよ」

 アフロディテは寝台の上に立ち上がった。しかしそれは男の胸に飛び込むためではなかった。

「卿」

 アフロディテは窓を見ていた。領主も身を起こした。

「城が」

「囲まれている」

 二人の判断は素早かった。

「あれは九度軍だな。人の庭に入りやがった」

 領主が窓の外を見ている間に、背後で夜衣を脱ぎ捨てアフロディテは既に着替えを終えていた。

「持っていけ、アフロディテ」

ウィトルウィウスは細剣をアフロディテに投げた。

「時間稼ぎはしてやる。部下を連れて抜け道から出て行け」

 ウィトルウィウスは姫を追い払った。

「謝罪も礼も要らない。早く行け」

どちらも上に立って大勢の人間を抱える立場だった。何も語らなくても分かるところがあった。領主であるウィトルウィウスはアフロディテの為に領民を犠牲にすることは出来なかった。

「切り立った山岳からあれだけの人数を降ろして侵入してきたか。無粋が過ぎるぞ」

 もう一度窓の外を見て、ウィトルウィウスが向き直ると、もう女の姿はそこにはなかった。

 ウィトルウィウスが城壁を歩いて来たのを見て、九度軍の使者は城門の前で声をはり上げた。

「帝国皇帝の従妹姫をお渡し頂きたいウィトルウィウス卿。さすれば我らは貴領から引き上げる」

 使者の背後に広がってるのは不気味な青鎧だった。黒光りする鎧を篝火が夜に浮かび上がらせていた。

「我らは九度軍。巣環国領主ウィトルウィウス卿、帝国の姫が貴城に入ったことは分かっている。今すぐお引渡し願いたい」

「うるせえ」

 ウィトルウィウスは城壁の上から口上を述べている使者の胸に矢を放つことで返答とした。

「初夜を邪魔された男の恨みを想い知れ」

「ウィトルウィウスさま」

「おう」

 片腕を伸ばしてウィトルウィウスは次の矢を受け取った。先端に油を浸して火をつけた矢が城壁の上から一列になって九度軍に向けられた。

「外敵が攻め入った時のために領民には日頃から避難訓練をやってきた。それでも捕まる奴なんか知るかよ。やってしまえ」

 夜の城から火矢が滝のように放たれ始めた。



》続く

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