第19話 自分にしか出来ないことを


「みなさん、変わっていませんでしたね」

「相も変わらずこの屋敷は緩いんだよなあ……」


 屋帰省してきた俺たちを出迎えたのは、見知った顔の使用人たちだった。

 彼らはどうやら俺たちが来るのを知っていたらしく、屋敷の玄関で待ち構えて「おかえりなさいませ那月お嬢様、神奈森くん」と出迎えられ、久しく感じることのなかった懐かしさを覚えた。


 屋敷の仕事はいいのだろうかと思ったけど、こういうサプライズをしていても滞ることがないようにしているはずだ。

 これでも舞咲の本邸……ここで働いている人は軒並み優秀な人ばかり。


 そんなこんなで一旦那月と別れて高校入学前まで使っていた部屋に荷物を置いて再び合流し――那月の父親である昌磨さんの書斎を訪れていた。


 那月が落ち着いたチョコレート色の扉を控えめにノックして、


「お父様、那月です」

「神奈森です」

『――入りたまえ』


 中から入室許可の返事があったのを確認してから扉を開ければ、ほんのり紙とインクの独特の匂いが混ざった空気が鼻先を掠める。

 床に敷かれた天鵞絨ビロードの絨毯、壁に所狭しと並べられた天井まで高さのある本棚には隙間なく重厚感のある装丁の本が詰め込まれていた。


 窓から注がれる陽の光を背に受けて見るからに質のいい執務机の奥で立ちあがったのは、柔和な笑みを浮かべる仕立てのいいスーツに身を包んだ男性――昌磨さんだ。

 サファイア色のネクタイピンが光を反射してきらりと煌めく。


「よく帰って来てくれたね那月、紅くん。こうして会うのは……去年の冬以来か。元気そうで何よりだよ」

「私も会えて嬉しいです、お父様。春休みはタイミングが合わなかったので、次に会えるのはいつになるのかと思っていましたから」

「僕も随分前からここは休みにしようと考えていてね。大事な娘と将来の婿くんがどんな成長をしているのか気になって夜も眠れない日々を送っていたよ」


 将来の婿……いや、反応はあえてしないぞ。


「……昌磨さん、夜はちゃんと寝てください。お仕事の方、忙しいんじゃないんですか? ちゃんと休まないといつか倒れますよ、本当に」

「ははは、わかっているよ。心配してくれてありがとうね、紅くん。ちゃんと休息自体は取っているさ。単に家に帰れる日があまりないってだけでね」


 俗にいうブラック企業というやつなのではないか……と思ったが、これは昌磨さんの立場がそれだけ上という話だ。

 多数の企業を取り仕切る舞咲家、その当主である昌磨さんは実質的にそれらの企業の経営者でもある。


 膨大な仕事量を捌き切れる能力と立場にあるからこそ、昌磨さんは家に帰れる機会がそもそも少なくなってしまっているのだ。


 そもそも昌磨さんがワーカーホリック体質だから、というのもあるんだろう。


「まあ、これでも息子の桐生が育ってくれて楽にはなっているんだけどね。僕がいない時でも事業を任せられる。頼りになる後継者だよ、本当に」


 昌磨さんが手放しで褒めるのは息子……那月の兄にあたる桐生さんだった。

 俺も屋敷にいた頃は何度も会って話したことがある桐生さんは、今や舞咲を取り仕切る昌磨さんの後任となるために奔走しているのか。


「……すみません、お父様。私は家のことを手伝えてはいません。本来なら私も出来る範囲で関わるべきだと思うのですが……お兄様は大丈夫、なのですか?」

「心配いらないよ、那月。桐生は前々から家を継ぐことを望んでいたからね。特にあの一件以来、その気持ちは強くなったように見える。那月が責任を感じることは何一つないよ」


 あの一件――つまりは、那月が吸血鬼としての本能を覚醒させた日のことだろう。

 舞咲が古くから人ならざる者たちの受け皿になり、現代でも生きられる仕組みを整えているとはいえ、難しいことはいくつもある。


 那月の吸血衝動が身近な一例だ。

 舞咲の秘密を知る者でなければ血を吸うこともできず、ある程度の周期があるとはいえアクシデント的に吸血衝動が起こってしまえば周りの無関係な人に危害を加えてしまう可能性があった。


 その役割は俺が担っているが……もしも衆目に晒すこととなれば、那月という一個人の存在が集団から排除されかねない。

 そうなれば舞咲の秘密を疑われるきっかけにもなるため、那月は表舞台に立つことが難しいと判断している。

 昌磨さんも那月の気持ちを汲み取って家のことにはあまり関わらなくてもいいという方針で進めていた。


 だが、真面目な那月のことだ。

 自分が家のことに関われないために、兄である桐生さんに無理をさせているのではないか――なんて考えているのだろう。


「桐生さんが那月を責めるはずがないだろ? 俺はあの人より人間ができた人を知らない。……シスコンだとはちょっと思うけど」

「桐生のことなら心配しなくても大丈夫だよ。あの子はあの子で上手くやっている。僕なんかよりもよっぽど優秀さ。若さもあるからね」

「それならいいのですが……やっぱり、どうしても考えてしまうんですよ。もし私が吸血鬼じゃなかった場合のことを。だからといって才能のない私が家のことに関わるのは難しいのかもしれませんけど」


 苦笑して口にしたのは、那月らしくない不安やもしもの話だった。


 那月は普段、あまり弱味を外側に出そうとしない。

 これは那月の精神が強いからではなく、吸血鬼になってしまったときのことがトラウマになっているからだろうと俺は考えている。


 だからといって那月に才能がないとは、俺は全く思わない。


「それは違うよ、那月。偶然、家のことに関する才能がなかっただけだよ。那月が輝くのはそこじゃないというだけの話さ。人間、誰にでも向き不向きはある。自分にしか出来ないことをゆっくり探したらいい」

「自分にしかできないこと……ですか」

「那月は真面目すぎるんだろうな。もっと気楽でいいんだよ」

「紅くんの言う通り。まだ高校生なんだからゆっくり考えたらいいよ。ああ、そうだ。一つ提案があるんだけど……明日の夜に舞咲系列の会社の人を集めて、慰労を兼ねたパーティをする予定でね。二人もそこに参加してみないかい? もしかしたら、なにか見つかるかもしれないよ」


 舞咲の人を集めてのパーティ……か。

 一応俺も那月も一通りの礼儀作法は収めているし、こうして昌磨さんが誘ってくるなら堅苦しいものでもないだろう。


「俺は那月に合わせる」


 先んじて意思を伝えておくと、那月は視線を落としつつ考える素振りをしてから、


「……では、参加させていただきます」

「わかったよ。当日は水越くんをつけよう。衣装もこっちで準備しておくから、二人は気楽に望んでくれ」

「衣装?」

「二人に似合うと思って色々作ってもらっていたんだが、着てもらう機会がなかったんだ。決して、これを着て欲しいからパーティを企画したわけじゃないよ?」

「そう言われると誤魔化しているように聞こえてしまいますよ、お父様」


 那月の指摘を受けて逃げるように視線を逸らしていく昌磨さん。


 ……図星だったのか、この人。

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