ぐっどらっく・はぶふぁん!

気向 侭

第1話 であい・であえ

 日曜日の朝七時。朝日を浴びながら俺――潜木駆音くぐるぎくおんは体を起こした。洗顔を済ませ、トーストとお湯を注ぐだけのスープといった簡単な朝食を済ませたのち、健康的にPCを起動する。夏休み初日とはいえ、時間を無駄にはできない。


 カーテンを閉め朝日をシャットアウトし、ゲームアイコンをクリック。


 「Glint Of Moment」、GoMごむと呼ばれるこのゲームは対人戦闘PvPメインのオンラインゲームだ。プレイヤー数一億人を超える、世界で一有名なオンラインゲームで、そして最も楽しまれているゲームでもある。


 ホーム画面には俺の分身であるキャラクターが映し出されている。伊賀袴に足袋を履いた男性キャラだ。下半身だけ見れば忍者に見えるが、長い外套を羽織ってスカーフを巻いているので盗賊のようにも見える。


 早速一試合しようとしたとき、通知ウィンドウが光っていることに気付いた。色は赤。運営からのお知らせ等ではなく、プレイヤーからのメッセージであることを示している。


 差出人の欄には「PrinssesD`Ark」と表示されている。ぷりんせす・ど・あーく……と読むのだろうか?


 GoMプレイヤー間でメッセージをやり取りするには、フレンドでも無い限りプレイヤーネームとは別にプレイヤーのIDを知っている必要がある。聞いたことのない名前だが、いつどこで俺のIDを知ったのだろうか。漏洩するようなことはしていないはずだが、誰かに晒された? でも俺のフレンドにそんなことするような人なんて……いや一人いたな。


 不安を募らせながら、恐る恐るメッセージを開く。


Lie-Tライト様、いきなりのDM失礼致します。単刀直入に申しますが、私とリアルで会って欲しいのです。詳細はお会いできたときにお話し致します』


 文面通りに受け取るなら、オフ会への招待ってことになる。ネットリテラシーの「ネ」の字もない。


 こういうメッセは無視するに限る。少しでも反応すればSNSで出会い厨だなんだと罵られ、某掲示板で晒されるに違いない。ちなみにLie-Tというのは中二の頃から愛用している俺のプレイヤーネームだ。


 既読の通知が相手に届き、俺が無視したことに向こうも気付いているだろうが、そんなことはどうでもいい。出会い厨だと罵られるより、無視されたと言いがかりをつけられる方がまだマシだ。


 そっとチャットウインドウを閉じて改めてマッチングしようとしたところ、今度は玄関のチャイムが鳴った。つくづく今日は邪魔される日だ。


 何かを注文した覚えもなければ、訪問してくるような友人もいない。どうせ新聞か宗教の勧誘だろう。よってこちらも無視する。


 しかし、チャイムは鳴り続けた。むしろ時間が経つにつれて激しさをましている。部屋の電気を消してカーテンも閉めているというのに、留守だとは思わないのか。


 頭に響くチャイムを聞き続けているうちに、また不安が募って来た。もしかすると俺の知らないところで両親が借金を抱えていて、その取り立てにきたヤクザかもしれない。ルーズで放任主義なあの人たちならじゅうぶんあり得る。


 震えながら警察を呼ぼうか悩んでいると、ふとチャイムの音が止んだ。


 ほっとしたのも束の間。扉が思い切り蹴られ、金属が軋むような音が響く。


「ひっ」


 思わずあげてしまった悲鳴を、謎の訪問者は聞き逃さなかった。


「やっぱりいるんじゃない! 早く出てなさい!」


 高い、鶯のような声がした。幼い女の子のような……。


「開けろ! くそ、ぶち壊して突入するか」


 物騒なことを呟きながら、訪問者はドアを蹴り続けている。今度は低音の……女の声だ。


 というか女の声……で合っているよな。確かに女性であるはずなのに、込められた気迫や言葉遣いからは、顔に傷のあるサングラスをかけた暴力が得意そうなやからしか想像できない。


 何度も蹴られ、扉の軋むような音もだんだん力なくなっている。そろそろ本当に破られるんじゃないかこれ。


 破られなくとも、このまま騒音が響き続ければご近所さんに迷惑がかかる。そうなってしまえばご近所さんとすれ違う度に白い目で見られることに……。


 諦めにも似た覚悟を決め、スマホと財布、それからキッチンにあった果物用のナイフを手にとって玄関へ向かった。それぞれ通報用、献上用、自決用だ。


 財布とナイフを靴棚の上に置き、スマホはコールボタンを押すだけで通報できる状態にする。チェーンロックがかかっていることをしっかり確認して、ゆっくりと扉を開いた。


 扉の隙間から見えたのは少女だった。どこからどう持ってきたのか、豪華な装飾が施された椅子に座って頬杖をついている。椅子というかもう玉座だ。


 幼いながら顔立ちの整った女の子だ。小学生くらいだろうか。少しつり上がった瞳は大きく、ビー玉のように輝いている。フリルのついた淡いブルーのドレスに身を包み、優雅に座る様はどこかの国のお姫さまのようにも見えた。


「チェーンを外せ」


 現状も忘れて思わず少女に見惚れていると、少女の前に別の女が現れ、ドスの効いた声でそう言った。さっきのヤクザの声と一致する。物騒なことを言っていたやつはこいつだろう。


 しかし、こちらも少女に負けず劣らずの美人だ。つりあがった瞳は少女とよく似ている。胸のあたりまで伸びた黒髪に、黒いスーツ姿が良く似合う。俺より少し歳上くらいか。


 どこかで見たことがある気もするが、ヤクザと知り合った覚えはないし気のせいだろう。


 よく周りを見渡してみると、二人を囲むように作業着に身を包んだ屈強な男たちが並んでいた。更に、ハイヒールでかさましされているとはいえ女の身長は俺より高く、放たれた圧でもう全身が震えだしていた。蛇に睨まれた蛙の気持ちが良く分かる。


「開けろ」


 有無をいわさぬような迫力のある声で一言、女は告げた。ひしひしと嫌悪感が伝わって来る。


 ここまで嫌われるのはそれだけ借金があるのか、それとも俺の顔が気に入らなかったのか。どちらにせよ地獄だな。


 だがここで怯んではいけない。俺とこいつらは初対面、つまり相手は俺がどういう人物か知らない。状況から見て、俺は完全に舐められている。だからこそ、ここでハッタリをかますことができれば立場は一気に逆転する!


 そうだ、言ってやろう。「やめろ」でも「断る」でもいい。短く、簡潔に伝え、すぐに扉を閉める。シミュレーションは完璧だ。さあ言え俺! 頑張れ俺!


「やめ」


「開けろ」


「はい……」


 いや無理だろ。いったい誰がこんなやつらに立ち向かえるんだよ。目が据わってるし、これ絶対何人か沈めてるよ……。


 たった一言で完全に心を折られ、俺は大人しくチェーンロックを外した。


 改めて扉を開くと、女は何人かの男たちとともにずかずか部屋に上がり込んできた。男たちの手にはガムテープや段ボールが握られている。きっと家具も俺のPCも取り押さえられ、借金のカタに売り払われてしまうのだろう。


 PCが売られてしまうのなら、GoMができなくなってしまうのなら、もうこの世に未練はない。自決用のナイフを手に取ろうとした瞬間、俺は男たちに抑えられた。玄関で床に組み伏せられ、手足をガムテープで縛られる。


 もしかして俺も出荷される……?


 そう思ったがよく考えればナイフを手に取ろうとしたのだから、攻撃の意思があると勘違いされたのかもしれない。悪手だったか。


「終わったわよ、蒔奈ちゃん」


 縛られ芋虫のように這いつくばる俺の前で女が振り返り、少女に向かって微笑んだ。


 というか声色がさっきと全然違う。どこから出してんだその綿あめにキャラメルをトッピングしたような甘ったるい声は。


「ご苦労様」


 蒔奈と呼ばれた少女が口を開く。その姿には到底似合わない台詞だ。


「清聴しろ。鹿子前かしまえ家、蒔奈まきな様がお話になる」


 蒔奈は椅子からおりて、優雅な足取りで一歩ずつ近づいてくる。俺を見下ろすように腰に手を当てると、大きく息を吸い込んだ。


 何されるのかと身構えていると、蒔奈は息を吐き出した。ただ深呼吸しただけのようだ。すぐにまた息を吸い込んで、数秒溜めてから吐きだす。


 俺の部屋の空気を吸いにきたのか……?


 ヤクザ女を見ると、胸の前で祈るように両手を交差させている。もしかして何かの儀式? これから俺は生贄にでもされるんですか?


「潜木駆音っ!」


 怯えていると、三度みたび大きく息を吸い込んだ蒔奈が、ようやく言葉を吐き出した。そしてまたゆっくりと息を貯め、一気に言葉を吐き出した。


「私と一緒になりにゃしゃい!」


 瞬間、辺りは静まり返った。ドタバタとせわしなく動いていた男達も動きを止め、じっと少女に注目していた。


 みんなが言いたいことは分かっていた。だがここで突っ込んでいいものか、きっとこの場にいる全員が思案していた。敵だと思っていた男達と、仲間意識が芽生たくらいだ。


 蒔奈の動きもピタッと止まり、顔だけがみるみる赤くなっていく。一方ヤクザ女は俺をきつく睨んでいた。まるで俺の所為だと言っているみたいに。なんで?


 この場をどう収めるべきか悩んでいると、ヤクザ女が右手をあげた。


「撤収!」


 すぐに号令に反応した周りの作業員たちが一斉に俺を担ぎ上げて、マンションの下へと運び始める。


「ち、ちょっと⁉ 降ろし――おわっ!」


 抵抗することもできず、俺はマンションの前に止まっていた黒塗りの車に投げ込まれた。次いで両目と口をガムテープで塞がれ、訳も分からぬ内に車が動き出す。


 拉致じゃね?


 あまりの展開の速さに頭が追いつかず、全く現実感がない。これが夢なら覚めて欲しい。


 でも考えれば考えるほど現実感が増してきたので、俺は考えるのを止めた。

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