第4話

 何だかふわふわで可愛い世界にいた気がする。魔法少女がいて、くまのぬいぐるみがあって、そしてそれが爆発して……そうそう、爆発、爆発……って。


「爆発!?」


 そうだ。お姉さんか投げた手榴弾が爆発して、私はマンホールから地下水道に落ちたんだった。それから、どうなったんだろう。周りを見渡すと、質素な室内が映る。最低限の家具と生活感のない部屋は、持ち主が誰なのかを端的に示していた。私はベッドの上に腰掛けて、部屋の持ち主であろうお姉さんを呼んだ。


「あのー、お姉さんー?」


 ベッドの上から見えるのは、リビングとキッチンだけ。廊下の方はよく見通せない。音もしない。けれども、廊下からお姉さんがぬっ、と姿を現した。


「……大丈夫?自分が誰だか分かる?」

「ええと、白川凛子18歳、大学生活半年目、よく分からないお姉さんと危険なことに巻き込まれてます。」


 そういえば、お姉さんに名乗るのは初めてじゃないか。そう思って、名前のところは出来るだけハキハキと発音した。普段しないことをしたせいで、いらないことまで言ってしまった。


「大丈夫みたいだね。それと……ごめん。私の都合に君を巻き込んだ。」


 お姉さんはすらりとした上半身を曲げて頭を下げた。音の鳴らない所作は華麗で美しい。感心しつつも、ふと考える。私がさっき言ったこと、お姉さんが今謝っていることは当然のことだ。私の家はくま爆弾で吹き飛んだ。事故なのか事件なのか、今月の家賃、弁償とかあるのかな、保険入ってたっけ、頭の中は不安がぬいぐるみの綿のように詰まっている。でも、お姉さんを責める気にはならない。だって、お姉さんは困っているように見えたから。顔からは年齢以上に経験の深さを感じるし、表情は凪で崩れない。だから目に見えて困っている訳じゃない。ただ、何となく、しゅんとした耳と尻尾が見える気がするのだ。ちょうど、撫でてもらいたいのに、構ってもらえない犬みたいで放っておけない。

 私がお姉さんに空想の耳と尻尾を生やしていると、その尻尾がピンと伸びた、気がした。ちょうどお姉さんが喋りだす直前だった。


「失礼、名乗り遅れた。私は壊錠葵。覚えなくてもいい。」

「いやいや、憶えます!!ええと、かいじょうさん、それともあおいさんがいいですか?」

「呼びやすい方でいい。」

「じゃあ、あおいさん。」


 あんまり友達以外の人のことを下の名前で呼んだことがなかったから緊張した。かいじょうさん、でもいいけれど、何となくお姉さんのことは名字で呼びたくなったのだ。


「何?」

「あおいさんのこと、教えてください。まずは名前の字からっ。」

「かいじょうは、壊れる錠前。あおいは植物の葵。」


 名字はちょっと物騒だけど、名前は静謐な感じだ。クールに戦う彼女にはぴったりの名前だと思った。


「じゃあ、葵さんなんですね。」

「そう。」


 名前を呼ばれることはそうないのか、葵さんは照れ臭そうにしている。真一文字に結んでいても、モニョモニョと動く口端がその証拠だ。よしよし、これでお姉さんの名前は分かった。次は何をしてる人なのか聞こう。私は勢いづいて問いかけた。普段は何をしてるんですか、と。一度眠ってしまったからだろうか、前の出来事が完全に頭から抜けていた。お姉さんが何故、追われる身だったのかを。

 ためらいつつも、お姉さんは言った。


「私の仕事は暗殺。標的は魔法少女。全国に指名手配もされてる。」


 葵さんの顔は冷え冷えとしていて、表情は読み取れない。でも、幻覚の尻尾はしゅんと垂れている気がした。お姉さんは大型犬に似てる気がする。何だか、クールだけど可愛い所のある人だ。

 ひとまず夕食にしようか、葵さんはそう言ってキッチンに入った。リズムよく野菜か何かが断たれていく音がする。何か、とあやふやなのは私がキッチンの方を向いていないからだ。葵さんの仕事に関する告白を聞いた私は硬直した。改めて本人の口から聞いても、やっぱり衝撃的な内容だったからだ。嘘や冗談ではない、それが真実なのだと理解させられた。目の前で「私は暗殺者なんです。」と言われて驚かない人間がいるだろうか。ふわふわ司令官幼女が言っていた、魔法少女殺害ならまだ良かった。事件の可能性もあるから。でも、葵さんが使った言葉は暗殺。そこには明確に加害の意志がある。そして、それを生業としている以上、手を掛けたのは一人や二人ではない。その道のプロと言ってもいいのかもしれない。

 冷静に分析するなら、私はこの世界の治安を維持する魔法少女を始末してしまうような暗殺者の家に二人きりでいるということになる。ライオンと同じ檻に入れられているのに近い。魔法少女という餌がなければ、私という擬似餌が犠牲になるのは想像に難くない。だから、私は冷静に考えるのを止めた。私は言いしれぬ直感で葵さんを信じると決めたのだ。それを葵さんのことを知り始めてすぐに手のひらを返すようでは、いけない。もっと話を聞こう。判断するのはそれからでも遅くない。葵さんお手製の夕食を食べた後でも、きっと。

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