第7話「転換点」

 私は、スマートフォンのメモ用アプリを立ち上げた。

 山村夕子の自宅住所を打ち込み、念のために保存しておく。

 それからコーヒーカップの持ち手をつかんで、口元でかたむけた。

 冷めかけた黒い液体が、喉の奥へ流れ込む。


「それで何の意味がわからないのだ。今の通話で山村夕子の安否確認に成功し、懸案だった彼女の住所も把握することができた。完璧な成果だろう。あとリュウちゃんは止めろ」


「それはあたしもわかったけど!! なんで突然、宅配便の会社名なんか名乗ったわけ!?」


 鏡峯は、強い口調で追及してくる。

 ただし他の客の注目は避けるべく、声量は控え目だ。

 いましがたの教訓を、鏡峯なりにかしているらしい。


「あたし、ユッコに電話するっていうのはてっきり、そのぅ――ちゃんとあの子と話し合おうとしてみる、ってことだとばっか思ってたんだけど……」


「そんなことを試みたところで、説得する前に山村の方から通話を切られたらおしまいだろう。山村夕子と電話でやり取りできる機会は、事前に『私が君の関係者と露見しない限りにおいて、おそらく一度だけ』と断っておいたはずだ。君からの連絡に半年以上も返信を寄越さない相手が、どうして今更メッセージアプリの通話機能でなければ会話に応じてくれると思うのか」


 電話で素性をいつわった意図を、淡々と説明する。


「目的を達するためには、ああして宅配業者を名乗り、必要な情報を聞き出すのが一番手っ取り早く、成果につながる見込みがあった。だからそうした。実は本物の探偵も、現実に調査対象の現住所を聞き出そうとする際には、よく使用する手口なのだ」


「だっ、だけど、これってひょっとして……詐欺になるんじゃないの? 勝手に無関係な会社の名前を使って、あんな嘘いてさ。警察にバレたりしたらヤバいんじゃ」


 鏡峯は、恐る恐るというふうに問いただしてきた。

 疑念は正しい認識なので、首肯してみせる。


「もちろん犯罪行為に該当する。だから他所よそでは絶対に口外しないことだ」


「やっぱり!? ていうかあたしは黙ってるけど、ユッコが気付いて訴えたりしたらどうすんの!? あたしら、普通に犯罪者になっちゃうじゃん!」


「そのときは君が山村夕子を制止することだ。元々こうした調査をはじめたのは、山村が君との連絡を放置したことに発端がある。相手を懐柔する余地はあるだろう」


「そういやあんたがこの調査してるのって、一応大学のサークル活動でしょ? そっちの立場としては、こんなことして問題にならないの? いや絶対大問題だろうけど!」


「一昨日も言ったはずだが、文化連合会側に提出する報告書には、経過の細部を適切に偽装して記述する。それは探偵行為が専門業者以外に認可されていないから、というだけの事情ではないということだ。大学自治会の担当者は個々の案件に関して事実関係を確認する場合も、せいぜい依頼者に聴取するところまでしかしないだろう。だからやはり、君が余計なことをあれこれ口外しさえしなければ、不都合な点は露見せずに済む」


「……ああ、なんかちょっとくらくらしてきたわ。実はリュウちゃんって、けっこー悪いやつ? 正直ドラマとかで見たことある探偵と、だいぶイメージ違うんだけど。マジで偽物かよ……」


「君のイメージにある探偵は、屋敷の広間に関係者を集めて華麗な推理を披露するタイプか? とすればそれは本格ミステリのものであって、ハードボイルドの探偵とは住む世界が違う。あとリュウちゃんは止めろ」



 私は、鏡峯の先入観に異議を唱え、コーヒーを飲み干した。

 煙草たばこのパッケージからもう一本抜き出し、先端に火を点ける。

 座席の背もたれに上体を預け、静かに煙を吐き出した。


「このあと私は早速、平伊戸にあるという山村夕子の家へ向かう。君も付いてくるつもりなら、そこの紅茶とケーキを早く片付けてしまうことだ。この煙草を一本喫い終わるまでのあいだは、待っていてやろう」




     ○  ○  ○




 かくして私と鏡峯は、平伊戸を目指すべく、駅前の喫茶店を出た。


 ただし街中から移動する前に、菓子製造メーカーのアンテナショップへ立ち寄った。

 チョコレート菓子の詰め合わせを購入し、贈答用に包んで紙袋に入れてもらう。

 それを鏡峯に手渡すと、やや意外そうな顔をしていた。山村夕子の居宅を訪問するに際し、私が手土産を用意するとは思いも寄らなかったらしい。



 その後改めて、地下鉄駅で改札を抜け、南北線のホームから車両に乗り込んだ。


 座席に並んで腰掛けているあいだ、鏡峯は尚も電話に関する話題を続けていた。

 個人情報を聞き出す手口を目の前で見て以来、いまだに動揺を引きっているらしい。

 しゃべる口調はわずかに熱っぽく、興奮が治まり切らないようだった。


「にしても思い返してみるとさ、マジでよく上手くいったよねさっきの。あんなに上手いこと、ユッコの住所が聞き出せるなんて。あの子が電話で油断しすぎなのかな」


「たしかに思いのほか、上首尾だったとは言えるかもしれない」


「ていうか電話口でさ、住所訊いてたじゃんか。あのときあんたの方から『星澄市平伊戸』って言い出してた気がするんだけど。なんで向こうの話を聞くより先に、ユッコの家が平伊戸にあるってわかったの」


「確証があったわけではない。しかし以前に君と田中聖亜羅の話を聞いた際、山村夕子は地下鉄南北線ユーザーで、雛番方面行きの車両を利用しているとわかった。それで大まかに山村の自宅がある地域は、雛番か平伊戸のいずれかだろうと当たりを付けていたのだ」


「じゃあ雛番じゃなく、平伊戸だと思ったわけは何?」


「雛番は市内でも高級住宅地で、主に富裕層が住む場所だ。あくまで個人的な偏見に基づく直感だが、これまで聞き込みしてきた印象として、私はどうしても山村夕子の家庭環境が裕福なものに思えなかった。ゆえに消去法で、平伊戸の見込みが高い、と判断せざるを得なかったわけだ。ちなみに万一間違っていたら、適当にとぼけながら訂正するつもりだった」



 目的地へ向かう途中の地下鉄駅で、車両が停まる。

 降車する客が自動ドアから出ていき、入れ替わりに乗車する客が車内へ入ってくる。

 夕方の時間帯に見掛ける乗客は、買い物帰りの主婦や下校中の高校生が多い。


「でもさ。あんたのやり方ってなんか、やっぱ少し雑な感じがするんだけど――」


 鏡峯は、さらに電話の件で質問を続けた。


「だってユッコが普段、全然ネットの通販とか使わない子だってこともあったかもしれないわけじゃん? もしもそうだったら、電話口で『そんな買い物したことない』って言われておしまいだったんじゃないの」


「その可能性もあり得たのは事実だ。しかし確率的には、山村夕子も日常的にネット通販を利用する機会は少なくないだろう、と私は予想していた」


 地下鉄の車内は今、比較的混み合っていた。

 そのぶん普通に会話していても、すぐ傍にいる人間以外には声が届かない状況だ。

 私は、鏡峯の顔を見ることなく、真っ直ぐ正面を向いたままで続けた。


「第一に星澄市は地方都市だからだ。都内のように街中を巡れば欲しいものが大抵売っている、という地域ではない。ネット通販に頼らない限り、容易に入手できないようなものも多い」


「あ、うん。それはまあわかりみある……」


「第二にはここでも、山村夕子の家庭環境に起因する理由が考えられた。彼女の家は田中聖亜羅の話によると、夜の遅い時間に年頃の娘が帰宅しても、それを両親からうるさく注意されないという。これには色々な事情が憶測できるが、普通一般的な家庭では考え難いことだ。そういった環境にある少女は、身の回りの日用品なども、常に親から買い与えられているのだろうか。私はひょっとすると、山村夕子は自分で解決できることなら、極力自分で解決せねばならないような生活を送っているのではないかと思う」


「えっ、何。それってユッコの親はあの子を放置してるかもしれないってこと?」


「あくまで可能性のひとつだ。保護者が養育義務をおこたっているのではなく、純粋に仕事の都合などで手が回らず、子供を信頼して身の回りのことを本人に任せているのかもしれない。実際はどうなのかわからない。ただし事実として、山村夕子は私が宅配業者を名乗った際、自分の注文した荷物があると勘違いしていた。いや勘違いではなく、本当に注文した品があり、配送先確認の電話だと思い込んだのかもしれない。おかげで山村の住所を聞き出せた」



 やがて、車内に平伊戸到着を告げるアナウンスが流れた。

 車両が緩やかに減速し、ほどなく停車する。自動ドアが開いた。

 私と鏡峯は座席から立ち上がり、ホームへと降りた。


「尚、柏木から山村夕子の電話番号を聞き出せなかったり、山村が私の虚言にだまされなかったりした場合の代案も、実は用意してあった」


 地下鉄駅の構内に続く階段を上りながら、私は鏡峯とのやり取りを続けた。


「君や田中が山村夕子と出入りしていたという、アミューズメント施設があったな。私の調査によれば、山村はあの場所を君が知らないところでも訪れていた。そうして、主にゲームコーナー以外の設備を利用していたという。ならばおそらく、山村夕子はカラオケルームかボーリング場の会員証を所持していると思う」


「……は? それが何の意味あるわけ?」


「あの『ゲームランドVEGA』というアミューズメント施設には、山村夕子が会員証を作った際に個人情報を提出した可能性が高い」


 私は、改札をスマートフォンの電子決済で通過した。

 そのあとを追って、鏡峯もICカードで運賃を支払う。


「そこで手間も時間も掛かってしまうが、状況次第では『ゲームランドVEGA』にアルバイトとして潜入する、という手段も考えていた。店の中には顧客情報のデータベースなどが、何らかの方法で記録されているはずだからだ。あるいは正社員のみが知るパスワードでPC内部に保管され、閲覧には別のハードルが用意されている状況も想定されるが、それをクリアできれば山村夕子の住所も電話番号も盗み見ることができるだろう」


「はあああぁァ!? いやそれもう、電話で宅配便を名乗る以上の犯罪じゃないの!? なんかこう会社から情報を盗み出す的な、下手したらニュースになるヤバいやつ!!」


「だからそうせずに済んだのは、見方によっては大変幸運だった。仮に私もアルバイトの面接を受けるとなると、平時と異なる着衣で変装せねばならなかっただろうからな」


「ゲームランドVEGA」の店員とは、聞き取り調査の際に一度接触している。

 何の細工もせずにアルバイトの面接を申し込めば、私の素性が相手に知れても不思議はない。


 もっとも幸いにして、私は平時の外出時、中折れ帽とトレンチコートを着用しており、初対面の相手は大抵その点に気を取られている。しかもやり取りした店員の二人は、いずれも調査中の大半において、私の顔より山村夕子が写ったスマートフォンの画像を見ていた。

 そのため今より大学生らしい衣服に着替えて、伊達眼鏡を掛けるなどすれば、まず私の正体を見抜かれることはないだろう。


 山村夕子を写真で判別した女性店員の存在は気掛かりだが、たった一度の短い接触だけで、私の平凡な顔まで明確に記憶されているとも思えない。

 かつて山村はアミューズメント施設の常連客だったのだし、私とはわけが違う。


 とはいえ技術的に可能な行為であっても、信条的に実行したくないことはある。

 ハードボイルドを志向する私にとって、服装はアイデンティティの一部分だった。



「あともうひとつの住所特定手段は、山村夕子のSNSなどを当たり、自宅付近の写真がアップロードされていないかを探ることだな。しかしこれは確実性が薄い。個人情報を適切に管理している人物は、居場所の判定が可能な画像自体を安易にネットに公開していないものだ。おまけに写真を一枚一枚検めていくのは、やはり非常に手間が掛かる」


「……あんたの話、マジでキモいわ。正直完全に今ドン引きしてるからねあたし」


 ひとしきり説明し終えると、鏡峯の反応には辟易へきえきに近い感情がにじんでいた。

 つい先程までの興奮も、やり取りを続けるうちに霧散したようだった。




 地下鉄平伊戸駅から地上へ出る。

 目の前の市道を、明かりの園方面に向かった。

 少し進んだ先で左手に曲がり、住宅街に入る。

 道幅がせまくなって、周囲の見通しが悪くなった。


「なんか勢いでここまで来ちゃったけどさ」


 鏡峯は、道の左右に立つ建物を、落ち着きなく見ていた。

 平伊戸の住宅街には、築年数の古そうな家屋が多い。


「あたしらがユッコの家に今から押し掛けていっても、もしあの子がいなかったらどうすんの? 代わりにユッコの小父おじさんや小母おばさんが出てきたりしても、わりと困るんだけど」


「君が指摘するような状況は無論あり得るし、むしろ可能性として非常に高い。そういう場合には、いったん退散することになるだろう」


「それマ?マジ? 連絡取れないから仕方ないけど、会えるかどうかわかんない友達んに突然押し掛けるなんて、たぶん小学生の頃以来だわ……」


 鏡峯は、いささかあきれた様子でつぶやく。



 しばらく歩くと、集合住宅が何棟か並んで立つ区画に出た。

 最初に目に付いたアパートは「コーポ平伊戸」という、ややまぎらわしい名称の建物だった。

 スマートフォンで検索してみたところ、ワンルームの単身者向け物件だとわかった。山村夕子が暮らす場所ではない。


 目的の「メゾン平伊戸」があったのは、さらにそこから裏の通りへ入ったところだ。

 こちらのアパートも古い建物で、木造モルタルの二階建てだが、不動産会社のホームページによると間取りは一応2LDKらしかった。家賃五万八〇〇〇円。高いのか安いのか判断が難しい。

 ただいずれにしろ、山村夕子と家族が起居するのに足りる物件のようだった。


「山村夕子の自宅を訪ねるに際して、ひとつ朗報を伝えておこう」


 私は、道端で佇立ちょりつし、「メゾン平伊戸」を見上げながら言った。


「おそらく幸いにして、山村夕子の肉親には殺人者がいない。だから命の安全という点に関しては、これから訪問するに当たっても、あまり警戒しなくてもいいだろう」


「は? いきなり何言ってんの。ユッコの家族が殺人者だの、命の安全だのって……」


 鏡峯は、要領を得ない様子で、眉をひそめた。

 私の顔とアパートのあいだで、何度か視線を往復させる。


 私は「メゾン平伊戸」二階の壁面を、目を凝らして見詰めた。


 中央右寄りに位置する部屋。

 そこがおそらく、山村夕子の自宅のはずだった。

 ただし部屋の窓はカーテンで閉ざされていて、室内の様子はわからない。


「さっきも言った通り、私は調査をした開始当初、山村夕子がすでに死亡しているかもしれないと思っていた。その懸念は宅配業者を名乗って本人と通話したことにより、まずは払拭されたと考えていい」


 過去に憶測した着想を話しながら、私はアパートの側面へ回り込んだ。

 鏡峯も二、三歩遅れて、そのあとを追い掛けてくる。


「だがそれ以前の段階において、もし実際に山村夕子が死亡しているとした場合、死因は何なのだろうか。柏木翔馬は通信制高校のオンライン授業で、山村がビデオオフ設定で出席していると言った。これが山村の死を偽装する工作だとしたら、彼女は誰かに殺害された線が濃厚になる。

そうして、山村に成りすまして授業に出席している人間は、殺人犯と同一人物の可能性が高い。


 ところで山村夕子に擬態してビデオ通話アプリにログインする一番手っ取り早い方法は、彼女が所持するタブレット端末を使うことだ。すでに言及した通りパスワードが保存されていれば、すんなりことが運ぶ。

 然らばオンライン授業中の山村が成りすましの場合、彼女のタブレット端末はどこにある? 

 これには様々な状況が考えられる。例えば、山村は外出先までタブレット端末を持っていって殺され、犯人がそれを持ち帰ったかもしれない。


 他に可能性のひとつとしてあり得たのが、現在もタブレット端末が山村の自宅にある、という状況だ。この場合は殺害現場が彼女の自宅であり、そこへ出入りが可能だった人物が犯人ということになる。しかし山村は他人に自宅の住所を教えない少女だったはずだ――……」



「……ヤバいねあんた。そんなこと考えてたの、さっきユッコに電話するまで」


 鏡峯は、ややかすれた声でうめく。


 建物の側面に立つと、通用口らしき場所を見付けた。

 内側の壁面には、部屋毎の郵便受けがえ付けてある。

 その脇をのぞくと、螺旋らせん状に上方へ伸びる階段があった。

 二階の部屋につながる通路へ出られそうだ。


「それでひょっとしたら、ユッコの親があの子を殺したかもしれないと思ってたわけ?」


「今話して聞かせた可能性は結局、除外してかまわないという結論に至ったが」


「もしユッコの親が殺人犯だったとしたら、実の娘に成りすまして通信制高校のオンライン授業を受けていた理由は何なの」


「当然世間の目をあざむき、警察の捜査から逃れるためだろう。あるいはいずれ犯行が露見するにしても、それを遅らせるためかもしれない。他にも特殊な動機があり得そうだが、すぐ思い付くのはそういったところだ」


 私は会話を続けながら、アパートの背面を見た。

 細い路地を利用して、入居者向けの駐輪場にしているようだった。

 自転車が何台か並び、隅には古びた自動販売機が置いてある。


 鏡峯が苦虫をつぶしたような表情で、かぶりを振っていた。


「あーもう。何にしてもあんたさ、妄想が細かすぎて正直キモい。ちょっと引くんだけど」


「あの時点では、それまでに得た情報を踏まえた上で、あらゆる可能性を排除するわけにはいかなかった。さっきも同じことを言ったはずだが」


「いやだからそれがキモいんだって……」


 鏡峯の所感には取り合わず、私は「メゾン平伊戸」の通用口をくぐった。

 共用階段に足を掛け、建物の二階を目指して上っていく。

 それにならって、鏡峯も付いてきた。


「ていうか逆にあえて訊くけどさ。ビデオ通話が成りすましだったかもしれないんなら、宅配の電話に出たユッコも別人だったかもしれないんじゃないの? そこは疑う余地ないわけ」


「スマートフォンでの通話はリアルタイムで、受けた相手も私があのとき電話を掛けてくるとは知らなかったはずだ。音声が偽装されている見込みは薄いだろう。それに応答した声は、明らかに少女のものだった。少なくとも母親のそれということはないと思う」

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