第2話「調査開始」

 私は、煙草を一本灰に変えてから、再びコーヒーを飲んだ。

 鏡峯も紅茶で喉をうるおし、ケーキをフォークで口の中へ運ぶ。


 それからやっと、鏡峯は連絡が取れなくなった友人の話を切り出した。


「あたしが調べて欲しいのは、ユッコ――『山村やまむら夕子ゆうこ』って、同学年の女の子のこと」


 鏡峯は、ちいさなショルダーバッグの中から、スマートフォンを取り出した。

 ピンクで長いネイルの指を使って、液晶の上でタップとスワイプを繰り返す。

 そうして画面を横向きにして、こちらへ差し出してみせた。



「これ、以前にみんなで撮った写真なんだけど」


 鏡峯のスマートフォンには、少女ばかり三人で写った画像が表示されていた。


 写真の中の三人は皆、ギャルだった。

 全員が同じような髪形で、似通った髪色に染めていて、メイクもそっくりだ。

 着衣は差異があるものの、ファッションの種類という点から言えば、やはり三人共が同系統のそれを身にまとっている。


「それで、どれが山村夕子なんだ。左端の少女か」


「いや左はあたしじゃん、何見てんの。こっちの子だって」


 鏡峯は、うすく馬鹿にしたような笑みを浮かべて、写真の右側に写ったギャルを指差した。

 これが山村夕子らしい。つぶさに見ると、髪色が他の二人より明るく、光沢のある金髪だった。

 まるで間違い探しゲームをさせられている気分だ。


 鏡峯は、さらに数枚選んで、山村夕子が写った画像をスマートフォン上に表示してみせた。

 それぞれ異なる場所と日時で、どれも同じように複数名で撮影した写真だった。鏡峯と同年代の異性がふくまれているものもある。男女で案外、距離感が近い。

 ざっと見たところだと同性の友人は皆、やはり似たようなギャルだ。


 私は、もし街中で山村夕子が他のギャルを数名連れて歩いていても、その中から彼女一人だけを遠目に判別できるか怪しい気がしてきた。



「これは念のためにいておくが」


 私は、スマートフォンから目を離してたずねた。


「いましがた君は、山村夕子の家がある場所を知らないと言っていた。君と山村にとって共通の友人知人も皆、その子の自宅住所は知らないのだろうな」


「そりゃもし知ってたら、あんたにこんな頼み事しようとなんかしないっての。まず最初に他の友達からそれ教えてもらって、どうにかしてると思うし」


 鏡峯は、フォークの先にいちごを刺すと、自分の目の高さにかかげた。

 ちいさく赤い果実を見詰めながら、心なしか表情をくもらせる。


「ユッコは家のある場所だけじゃなく、あんま自分のことしゃべらない子だったんだよね。家族のこととか、学校の試験のこととか、将来どうしたいとかも全然」


「仲が良い友達なのにか」


「……あんた、ちょくちょく喧嘩けんか売るようなこと言うよね」


 猫のような瞳が、こちらを鋭くにらんできた。

 私は、コーヒーカップをまた口元で傾け、鏡峯の視線を受け流す。


「友達同士だって話したくないこととか、無理して話さなくてもいいことはあるじゃん。だからユッコが言いたくないことは、あたしから訊いたこともないの。なんか、あたしの友達ってさ、けっこう他人に言い難いような悩みがある子が多い感じだし……」


 鏡峯は、うつむき気味の姿勢で言った。


「ユッコがどこの学校に通ってるのかも、お互い高校生同士で、普通に話題にするから知ってるってだけ。ただ誕生日がいつなのかは、さすがにプレゼントのお返し渡さなきゃ悪いと思って、以前に仕方なく本人から聞き出したんだけどね」


 私は、冷めはじめたコーヒーを味わいながら、鏡峯が言うところの「あたしの友達」にはどのような人物がいるのだろう、とわずかばかり想像力を働かせてみた。

 主に外見はギャルで、他人に言い難い悩みを抱える少女たち。

 あるいは悩みを抱えていると、ギャルになってしまうのだろうか。



「山村夕子と君は、どんな経緯で知り合ったんだ?」


 私は、コーヒーカップを受け皿の上に戻し、質問を続けた。


「学校が違って、住む場所も知らない相手と、どうすれば接点を持てるのかがわからない」


「あたしは別の友達から紹介してもらった。セアラって子なんだけど」


 鏡峯は、テーブルに置かれたスマートフォンを、いったん手に取って言った。

 画面を何度かスワイプしてから、それを再び元の位置に提示してみせる。

 スマートフォンに写っていたのは、最初に見せられた写真だった。

 画像の中で並んでいる三人のうち、真ん中に立つギャルを指す。


「この子がセアラね、田中たなか聖亜羅せあら


 第一印象ではやはり、容姿の中に他の二人と差別化された要素を探すのが難しい少女だった。


「たしかセアラは、最初にSNSでユッコと知り合ったって言ってたよ。え写真撮ってアップしたりしてるうち、何となく仲良くなって。でもって高一の夏頃に他の友達も混ぜて何人かで、野外ライブイベントへ一緒に出掛けたって聞いた。そのときリアルで最初に顔を合わせて、友達になったんだって」


「すると、その友達――田中聖亜羅の方が、君より山村夕子との付き合いは長いのか」


「うん、ちょっとだけね。以前はメチャSNSでもコメント付け合ったりしていたみたいだし。二人でショート動画撮影して、仲間内で盛り上がったりもしてたし」


「田中聖亜羅と君とは、どういう関係性の知り合いなんだ」


「同じ学校のクラスメイト、梓野あずさの西にしに通ってんのよあたしら。まあうてセアラの家があるのは、かりのそのなんだけど」


 鏡峯は、相変わらずケーキをフォークで食べながら答える。


「ついでに言うと、あたしがユッコ以外で知ってる通信制高校のやつも、たぶんセアラなら紹介してくれると思うよ」


「そうか。いずれにしろ調査の取っ掛かりとしては、まず田中聖亜羅に話を訊きにいくのが良さそうだな」


 私は、かたわらの座席に置いてあるトレンチコートを、手元に引き寄せた。

 ポケットを探って、自分のスマートフォンを取り出す。

 鏡峯めぐみとは、本格的な調査を開始する前に連絡先を交換する必要があった。

 鏡峯は気安く要求に応じると、こちらへ手早くメッセージアプリのIDを寄越よこした。

 それから早速、山村夕子が写った画像をトーク画面で共有しておく。



「ちなみに君は、山村夕子の電話番号を知っているか」


 私は、もののついでにたずねてみた。


「メッセージアプリのIDや通話機能があるSNSアカウントではなく、普通キャリアの電話番号だ。固定電話よりはスマートフォンのそれが望ましいが」


「え、いや知らんけど。電話は普段、アプリの無料通話機能で済ませてるし」


「そうか。たぶん田中聖亜羅も知らないのだろうな」


「まあそうじゃない。何なの、あの子の電話番号がわからないとヤバいわけ?」


「わかればそれなりに利用価値がある。今すぐ必要とまでは言わないが」


 端的に回答すると、鏡峯は不可解そうに首をかしげた。

 電話番号を知りたがるわけを、理解しかねているのだろう。あるいはそれで電話がつながっても、すぐに通話を切られれば無意味だと感じているのかもしれない。


 しかし私は、ここで自分のやり方すべてを解説するつもりはなかった。

 代わりに早速、依頼された件の調査に取り掛かることにした。



「それでは今のうちに君の方から、田中聖亜羅に調査協力を頼んでみてくれないか。山村夕子に関する情報を聞かせてもらいたいと伝え、面談する約束を取り付けて欲しい」




     ○  ○  ○




 私がもう一本煙草を灰にし、鏡峯が紅茶とケーキを平らげてから、二人で喫茶店を出た。


 会計は別々に済ませた。これが本物のハードボイルド小説に登場する探偵であれば、飲食代も必要経費に計上し、依頼人に後日まとめて請求しただろう。

 だが鏡峯に言わせると、私は偽物の素人探偵である。また大学サークルの活動実績を作るためにも、ボランティアとして仕事に取り組まねばならない身分だった。

 かてて加えてハードボイルドの探偵は、暗黙のうちにダンディズムを標榜ひょうぼうしているのが普通である。年下の少女からコーヒーの代金を徴収する行為は、およそ私の美意識に反していた。



 田中聖亜羅との面談は、早くも今日の午後のうちに実現する見込みだった。


 鏡峯がメッセージアプリの通話機能で要望を伝えると、田中はそれにあっさり応じた。

 そうして、これから日が暮れる前に合流できれば、すぐにも話を聞けることになった。



 ところで探偵は本来であれば、自分がたずさわる仕事の依頼人が何者かを、あえて調査中に接点を持った相手に教えたりしない。


 しかし田中聖亜羅との接触に際しては、いささか事情が特殊だった。

 まだ女子高生で、年上の異性である私と初対面だという点は、いずれも鏡峯と同じだが――

 かねがね鏡峯が私の妹と親交を持っているのに比べて、田中は事前に得ている信頼が不十分なはずだった。


 いきなり私が田中に接近し、鏡峯の名前も出さずに情報を聞き出そうとしても、かなり無理がある。二人だけで顔を合わせることにも、未成年の女子を委縮させるのではないか、という懸念があった。


 そのため田中にはあらかじめ、私が誰の依頼で山村夕子の件を調査しているのかを、鏡峯本人から伝えておいてもらった。さらに面談の場には、鏡峯も同席させることにした。

 そもそも田中と私は、鏡峯の紹介で顔を合わせる状況なのだった。


 探偵としては、どうしようもなく偽物の段取りだが、致し方なかった。



 JR星澄駅に着くと、階段で地下へ降りた。

 構内は直接、地下鉄駅に通じている。

 東西線の改札をすり抜け、ホームで車両に乗り込んだ。

 田中聖亜羅は、合流地点に市内の新冬原しんふゆはらを指定していた。

 星澄の中心部からだと、到着するまで約四〇分掛かる。



「――ねぇリュウちゃん」


 鏡峯は、不意に地下鉄の車内で、妙な呼称を使って声を掛けてきた。

 それはハードボイルドの世界にあるまじき、軽薄な響きをともなっていた。


「なんだその呼び方は。私のことなのか」


「いつまでも『リナりんの兄貴』なんて呼び方じゃ不便でしょ? だからって苗字で安千谷って呼ぶと、リナりんとどっちのことなのかわかんなくなるし。だからリュウちゃん」


「ふざけた真似は止せ。女子高生からそんな名前で呼ばれるのは、探偵として沽券こけんに係わる」


 強い口調で抗議したものの、鏡峯は聞く耳を持たないようだった。

 こちらの要求をあからさまに受け流し、一方的に話題を転じる。



「なんかあたし、探偵って自分で車を運転するもんだと思ってたんだけど」


 鏡峯の声音には、殊更ことさら揶揄からかううような調子があった。


「普通に目的地まで地下鉄移動なんだ。イメージ違っててウケる」


「……運転免許は持っている。今は乗る車がないだけだ」


 自分の言葉が負け惜しみに過ぎないことは、私自身もわかっていた。


 私がプライベートで運転する機会のある自家用車は、家族と共用しているものだ。今日は両親が「外出で使用する」と言っていたため、私は交通手段に選択するのを断念した。

 ハードボイルドの世界では、カーシェアリングしている探偵などあり得るのだろうか。

 しかし存在を否定すれば、それは取りも直さず私が偽物だと認める結果になる。


 いずれにしろ呼び名の件といい、車の件といい、鏡峯が私の自尊心を傷付けることに成功しているのはたしかだった。



「そう言えば普段さ、みんなで遊んだあとに星澄で解散するとき――」


 鏡峯は、車窓側へ目を向けてつぶやいた。話題が次々に変わる。


「わりとユッコは、セアラと一緒に帰ることが多かったな。あたしとは地下鉄で使う路線が違うからって、いつも改札前で別れる流れになった気がする」


 私も釣られるようにして、同じように地下鉄の車窓を眺めた。

 硝子がらす越しに見える地下トンネルの中は、真っ暗でつかみどころがない。


「たしか君は梓野西高校に通っているんだったな。すると東西線ユーザーか」


「そう。まあ言うて明かりの園に住んでるセアラだって、高校は梓野西なんだけど」


「しかし山村夕子は、田中聖亜羅と同じ南北線を利用していた?」


「なんじゃないの。じかに見てたしかめたことないけどさ……」



 しばらく地下鉄に揺られると、やがて新冬原に到着する。

 降車して改札を通過し、地上まで続く階段を上がった。

 地下鉄駅を離れ、歩行者で混み合う市道を真っ直ぐに進む。

 新冬原にはレジャー施設が複数あり、休日は人出が多い。


 田中聖亜羅とは、「星澄フェアリーパーク」という六階建てビルの前で落ち合った。


 鏡峯が電話で聞いた話によれば、田中は先ほどまで他の知人と遊んでいたらしい。

 山村夕子と同様にSNSで知り合った人物だが、今日の相手は異性だったという。

 だが一緒に行動しているうち、不快になったので早めに別れたそうだ。


「今日初めて会った社会人だったけど、アタシを見る目がくっそキモくてホント無理だったわ」


 田中は、別れたばかりの知人を、容赦ようしゃなく罵倒ばとうした。

 しかし口調は楽しげで、けらけらと笑っていた。


「こっちのカラダ目当てなのバレバレでさ、完全に女子高生食うことしか考えてねーの。みついで優しくすれば誰でも未成年とヤれるって、絶対勘違いしてるわアレ。草なんだけど」


 田中聖亜羅は、じかに会ってみると、比較的小柄な少女だった。

 もちろん外見全般は、写真でも見た通りのギャルそのもので、派手な印象は変わらない。

 ただよくよく注意すれば、髪は金色より光沢のあるブラウンが近く、目元のメイクが鏡峯より濃いことがわかる。それ以外にも本人を目の前で観察するうち、細部に差異が発見できた。

 とはいえ改めて「写真で見た場合に他のギャルと区別が難しいのも、これでは致し方ない」と思わざるを得なかった。


 また私は一方で、二人だけで会うことを避けた措置が無駄な配慮だったようにも感じていた。

 いましがたの発言を聞く限り、田中が異性に対して物怖ものおじするような少女でないことはたしかそうだった。



 私と鏡峯、それに田中を加えた三人は、いったん手近な洋菓子店へ入ることにした。

 店内にはイートインコーナーがあり、購入した品を賞味しながら歓談できる。

 鏡峯は先程の喫茶店でもケーキを食べたばかりだが、かまわずチーズタルトを注文していた。

 田中聖亜羅はフルーツパイを選び、私は再びコーヒーだけを頼んだ。

 代金は田中のぶんも、私と鏡峯が支払った。情報提供者への謝礼代わりだ。


「それで、なんかアタシにユッコの件で、訊きたいことがあるって話だったと思うけど――」


 皆でイートインコーナーのテーブルを囲むと、田中ははす向かいに座る私を見て言った。


「アンタが今、ユッコと連絡取るためにメグのことを手伝ってるって人?」


 田中の眼差しは、好奇を含み、かつ同時に対象を値踏みするようだった。

 彼女の関心の何割かは、間違いなく私の服装に対するものだろう。この初夏に黒いジャケットやダブルヴェストを着込み、その上からトレンチコートを羽織っている男を、信用できるか否か探っている様子だった。

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