蘭学と銘打つからにはやりたかった
鉄塊が蒸気を噴き上げる姿を見て、忍者は飛び下がった。少し後ろに立っていた鎧武者の手を引き、階段下まで距離を取った。【ご主人さま】の背後で鉄塊だったものが、真の姿を現していく――
「これは……蘭学女中にござるか?」
「いかにも! ああ、いかにも! 私の理想、夢、希望! すべてを詰め込んだ、私に忠実なる鋼鉄の
それは、主君にかしずく蘭学女中であった。右膝を付いてひざまずいていた姿から、ゆっくりと立ち上がっていく。振動や衝撃で拠点のあちこちが崩落し、幾人もの一般蘭学女中が命を落とした。
「象徴さえあれば、他のお女中はどうでもいいでござるか……貴君の虚飾、剥がれたり!」
「なんとでも言いたまえ。才あるメイドもいつかは老いる。美たるメイドもやがては萎む。だがこの象徴は、永遠の美と鋼鉄の意志をもって私にかしずくのだ!」
「……」
忍者は言い返さなかった。代わりに鎧武者の左胸を軽く小突き、階段を登るように促した。彼女――【鋼鉄式巨大蘭学女中戦闘兵器】を迎え撃つには、この空間では狭すぎた。
「ハッハッハ! いいぞ、逃げたまえ! いっそこのまま、江戸まで引き連れてくれるかね。その方が面倒が少なくて良い!」
忍者の意図を、分かっているのかいないのか。【ご主人さま】は般若の面を取り、恍惚の表情をあらわにしていた。もはや蘭学女中の主人ではなく、狂った老蘭学者としての姿である。
「おお! 正体を現したでござるな! やはり貴君は数年前に物質転送装置を持ち出せし者!」
「その通りだよ。上手く潜んだのだがね。跳ねっ返り一人で、たやすく計画は崩れてしまう。勉強になったよ」
忍者の舌鋒にも、老蘭学者は動じない。己の象徴を誘導するように、淡々と階段を登ってくる。
忍者は手裏剣を投げようとし、思いとどまった。仮に投げたとしても、鋼鉄女中に止められるのが関の山だ。括り付けられている八十四番の役割は知らねども、おそらく主人を守るようには作られているだろう。推測するに、下策だった。
忍者と鎧武者は火口から飛び出し、下山を開始した。間合いはどうあがいても、相手の方が優位である。それを覆すには――
「っ!」
鎧武者が、弓を放った。老蘭学者に、射線が向かう。忍者の予測通り、鋼鉄女中が割って入る。鈍い音が、山並みにこだました。
「はっ!」
だが、それも計算のうちである。忍者が間合いに飛び込み、鋼鉄女中の膝関節を目指す。いかに鋼鉄の兵器といえども、人を象る以上は関節がなければ動けない。その弱点を、突いた形だ。しかし。
ギャリッ!
土塊を蹴立てて移動する鋼鉄の蘭学女中は、忍者の予測よりも数段早かった。全長おおよそ十五尺。重さに至っては想像もつかぬというのに、それに比しては異様な速さだった。
「ハッハッハ。私の知識、その結晶をなめてもらっては困るねえ。おまけにその中枢、いわば脳の役割を八十四番には担ってもらっているのだ。そうそう簡単に、倒せるとは思わないでくれたまえ」
「人非人でござるなあ!」
忍者が再び老蘭学者を侮蔑する。しかし蘭学者は動じなかった。おそらく、彼の中ではすべてが確立しているのだろう。
忍者は飛び退き、鋼鉄女中の蹴りを回避した。だがそれだけでは止まらない。鋼鉄のほうきが、柄と穂先を入れ替えながら襲い来る。彼女にしてみれば通常動作の拡張だろうが、忍者や鎧武者にしてみれば一発一発が致死の危険をはらむものであった。
「チイイッ!」
忍者は苛立ちの声を漏らす。少し高く跳べば、八十四番の姿があった。鋼鉄女中の胸元、目を血走らせ、こちらを睨んでいる。忍者はその顔めがけ、手裏剣を振るう。だが現世と彼女をへだてるガラス一枚が、忍者の一撃をあっさりと阻んだ。
「そのガラスは私の特製だ。そうそう簡単に砕けるとは思わないでくれたまえ」
「くっ!」
老蘭学者が忍者を嘲り、忍者は布の下で舌を打つ。その時、忍者の背に軽く跳ねていく感触があった!
「――!」
それは人ならざる雄たけびを上げ、幽鬼めいた陽炎を噴き上げる鎧武者の姿だった!
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