ノープランすぎも程々に(凡ミスの修正をしながら)

 鎧武者が付き従った扉の先は、広々とした空間だった。岩肌こそ剥き出しではあるが、やはり地面はならされている。戦いの場としては、実に相応しい空間だった。


「俺様としちゃあ、草木やらを仕入れてもっと好みにしたかったが、そんな時間はなかったんでなあ。後、できれば夜の月光も欲しかった」


 鎧武者の二十歩先で、白狼王は笑った。鎧武者はその身体を見分する。手足の爪牙が、磨き上げられていた。脚部の筋肉も、肥大している。


「……」

「良いだろう。蘭学改造を賜ったのだ。俺様は強い。だがもっと強くなれた。大主教さまと【でいもん様】に感謝せねば」


 白狼王の、太腿の筋肉が肥大化する。鎧武者は、刀を握る手に力を込めた。この戦、見切り損ねは死ぬ。


「そぉら、行くぞ!」

 ギャンッ!


 白狼王が地面を蹴った。常人にはほとんど見えざる速度で、鎧武者へと突っ込んでいく。これにはさしもの鎧武者も、横へ回避するのが精一杯だった。白狼王はそのまま速度を落とさずに壁へと直進。岩肌を蹴飛ばしてさらに速度を上げる。


「っ!」

「そぉれ。死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ!」


 加速。加速。加速加速加速。もはや鎧武者に引き付けている余裕はない。とにかくかわして、減速を待つ。それ以外の手段は、消え果てていた。しかしそれでも白狼王は止まらない。ついには甲冑をかするまでに、その速さは昂ぶった。


「……ぐっ」

「はっはぁ! 次はる!」


 かわされた最速の一撃から、壁を三角跳びの要領で蹴飛ばしてさらに加速する。もはや音を置き去りにしたその速度は、常人では白い風が吹き荒んでいるようにしか見えぬであろう。鎧武者に、立ち向かうすべはあるのか。否。鎧武者は臆面もなく飛び退き、襲撃をかわした。


「……」


 次の瞬間である。なんの不満を抱いたのか、白狼王は己に急ブレーキを掛けた。鎧武者へと向き直り、口を開く。


「なぁ。【荒野の鎧武者】さんよぉ。アンタ、やる気あんのか?」

「……」


 怒気たっぷりの口調に対して、鎧武者は黙したまま。いや、答えているのかもしれない。しれないのだが、その言葉を伝えられるのは僧侶のみ。そして僧侶はすでに、雌狐御前の元へと向かってしまった。


「ねぇなら良いや。俺様はアンタをぶっ殺す。殺して【でいもん様】の御代でも大暴れする。あの聖女は死ぬし、この世は引っくり返る。蘭学なんて目じゃねえぜ? なにせ悪魔だ。江戸も滅ぶし、この国も滅ぶ。俺様たちの世界に、生まれ変わるんだ」

「……」


 鎧武者はなおも無言。だが大太刀を、正眼に構えた。普段は兜と面頬に阻まれて読み取れぬそのまなこが、鈍く光ったようにも見えた。


「おう、ようやく構えたか。次は臆面もなく逃げるような真似をするんじゃねえ……ぜっ!」


 白狼王が、再び地面を蹴った。鎧武者は正眼の構えのままそれをかわす。壁を蹴って加速。これもかわす。加速。かわす。加速。かわす。加速。かわす。


「良いじゃねえかぁ。だがそろそろ、首、もらうぜぇ?」


 壁を蹴った白狼王が、四足歩行へと切り替わる。推進力が倍加し、加速の上に加速が重なる。再び音を、置き去りにする。


「死ね」


 肉弾丸めいた白狼王が、爪牙を伸ばす。それでも鎧武者は、正眼に構える。目は鈍く光り、面頬越しに口元がモゴモゴと動いている。


「あ?」

「らんがく……あくぎゃく……ほろぶべし……」


 鎧武者の、うなされるような言の葉。白狼王は一旦襲撃をやめ、壁に向かった。なにか恐ろしいものの、蓋を開けてしまった気がしていた。一体なにが。もう一度壁を蹴り、更なる観測に移る。モゴモゴと言葉を続ける鎧武者。しかし今では、その強化聴力でも捉えられるようになっていた。


「ぶしは……ほろびず……たましいは……」


 そして気付く。鎧武者は、今己を見ていないと。どこか遠くを見、うなされているのだと。なにを見ているのかはわからぬ。だが、殺さないといけない気がした。


「武士など知るか! 死ね!」

「このぶぐに、やどる……」


 白狼王は気付けなかった。鎧武者のまとう、幽鬼じみた陽炎。その濃さが増したことに。先刻までは翻弄されていたはずの鎧武者が、いよいよその冷静さを高めていたことに。そして。


「こっ……」

 ザシュッ。


 爪牙を振るった、右腕が吹き飛んだ。


「ろっ……」

 ズバンッ。


 反転加速から、左腕が斬られた。


「すっ……」

 ズンッ。


 最後の加速から牙を振るって。その喉元に、刃を突き立てられた。


「ぞ……」


 かすれた声を絞り出す。王を名乗りし人狼が最期に目にしたもの。それは化け物じみて目を光らせる、鎧武者のいかつい姿だった。


 ***


「……」


 白狼王から刀を引き抜いてしばし後。鎧武者は瘴気じみた息を吐き、かぶりを振った。白狼王の接近と同じくして、どこか遠くを見ていたような気がしていたのだ。どの言葉がが発端だったかはわからない。ただ、なにかが琴線に触れたのだ。


 遠くの景色は、暗澹あんたんたるものだった。倒れた旗指物。死せる武者。倒れる馬。転がる甲冑。鎧武者も、その中の一つだったような気がした。

 そんな光景の中に、不意に男が現れた。彼は甲冑を集め、どこから持って来たのか髑髏どくろを置き、ろうそくを立て、狂ったように祈った。武士は終わらぬと。蘭学に報いをと。悪逆には滅びをと。

 そしてひとしきり祈ると、彼はこれまたどこからか持ち来たった大太刀を用い、腹を掻っ捌き、髑髏の上にたおれた。まさに、己の血肉を捧げたかのようであった。

 鎧武者――より正確にはその記憶は、惨禍の中に吸い込まれていくような気がした。そして気が遠くなり――今に至る。


「……」


 鎧武者は無言のまま、大太刀を納めた。もう一度頭を振る。あの景色と己は、関係ないと言い聞かせているようだった。


「……」


 武者は白狼王を見た。もう彼は動かない。両の腕を奪われ、首から血を流して絶命していた。鎧武者はその姿に手を合わせると、立ち入った扉からその場を去った。

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