第二話:報仇編

アクションというジャンルがカクヨムにあれば秒速で送り込んでいる

 蘭学荒野に生きる者たちは、おおよそ二つに分けられる。弱者と、強者だ。ただ、その性質はどちらも似ている。同じ者同士で寄り集まり、徒党を組み、肩を寄せ合って暮らす。ほんのわずかな違いは、奪うか、奪われるか。その程度だ。

 しかし中には、どちらにも染まらぬ者がいる。彼らはごくわずかではあるが、荒野の中で強かに生きていた。弱者と強者の間を行き来する者。いずれにも関わらず、ただただ茫漠の道を行く者。そしてなんらかの目的を持って荒野を歩む者。彼らは個々になんらかの思いを持ち、荒野を行き来し、時に出会い、時に別れていく。


「……」


 さすれば、この荒野に立つ鎧武者は、何者であだろうか。常と変わらずに時代がかった大鎧を身にまとい、腰には大太刀。あいも変わらず、幽鬼じみた陽炎が付き従っている。武者は荒野の一点に立ち止まり、首を巡らせていた。その表情は、此度も面頬と兜に阻まれ、読み取れぬ。その厳しい防御の下で、いかなる思考を巡らせるのか。


「……」


 やがて首の運動が、一方向にとどまった。するりと馬を向け、二、三度首を動かす。なにを捉えたのか。常人に、それを理解するすべはない。もっとも、武者の周りには旅人の一人すら歩いていないのだが。


「……」


 やがて無言のまま、鎧武者の姿はかき消えた。


 ***


 滅び果てた村の姿に、青年は涙をとめどなく流していた。村には火が掛けられ、焼け跡のみが残されていた。未だ各所には、ぷすぷすと煙が立ち上っていた。無論、燃え残った骨――人骨だ――も多数にわたって見つかった。首だけで見つかったものの多さが、よりこの村で行われた行為の凄絶さを浮かばせた。当然だ。仮に炎が殺戮や凌辱の痕跡をかき消したとしても。残されし骨はその一端、すなわち想像の切っ掛けを差し出すのだ。時として見つかる本当の燃え残り――死体そのもの――が、より一層、想像の色を濃くさせた。


「おげえっ……ふぐっ、ひぐっ、うううっ……」


 青年は吐くものがなくなっても嘔吐しながら、残された死骸をかき集めていた。無論火によって荼毘に付し、浄土へと送るためである。

 彼は、弱者の村を渡り歩く商人だった。物々交換、あるいはもはや往時からの感覚でのみ使われているかつての貨幣を用い、少なからぬ村へと物品を送り届けた。すべては、生まれ故郷の村を良くするためだった。貧困に喘ぎ、強者に奪われるだけ。それでは、未来もなにも生まれぬではないか。

 青年はそう考え、利ざやのほとんどを村に注いだ。事実彼の献身により、村の生活は徐々に安定してきていた。いずれは武器も得られ守りも固められるはず。そう信じていた、矢先だった。


「おのれ、おのれ……」


 口の端に吐瀉の残滓を残しつつ、青年は呪詛を吐いた。青年の中で、すでにこの襲撃の下手人は定まっていた。北の略奪集落――ありていに言えば、強者の集団である――だ。その集落は近辺の村々を縄張りとし、略奪をしない代わりに物品を税として納めさせていた。これだけなら、蘭学荒野ではよくある話だった。むしろ村の方から娘などを差し出し、略奪を逃れているという話もざらにある。


「おれが村に金品をもたらしていたのも、見逃されていただけだったのか……。道理で税が増えなかった訳だ……。畜生……」


 彼はまたしても焼け残りの遺体を見つけ、大いに胃液を吐いた。己もいつかは死ぬとはいえ、おぞましさのあまり、震えが止まらなかった。ともあれ、一人では作業に限界がある。日の落ちてくる頃を見計らって、彼は死体の山に火を付けた。たちまち肉の焦げるにおいが、彼の鼻へと襲いかかった。


「うぐっ……」


 嘔吐をこらえ、彼は涙した。この村には、貧しくも全てがあった。早くに両親を亡くした自分を、誰も追い出そうとはしなかった。村人は互いに手を取り合い、身を寄せ合って暮らしてきた。事ここに至るまで、略奪集落に娘の一人も差し出したこともない。もっともこれについては、今回の件で誇れなくなってしまった。さっくり言えば、女性の遺体が、あまりにも少なかった。


「……」


 炎を見張りながら、彼はとある村娘を想った。身体は柳のように細くとも、笑顔の美しい娘だった。父親が頑固なので隠れてしか逢えなかったが、心は通じていると信じていた。


「遺体の中に、彼女はいなかった……」


 ポツリと呟く。もはや行き先は一つしかない。逃げおおせた可能性もあるが、十中八九は最悪の予想で間違いないだろう。炎を見つめ、彼は意志を整えた。これより先は、死出の旅路である。生半な覚悟では、なに一つ為せぬ。彼はそれを、理解していた。


 パカラッパカラッ。


 馬の足音が聞こえたのは、その時だった。蘭学集団、もしくは強者の群れか。彼は考え、即座に打ち消した。連中の足はおおよそ蘭学車だ。よほどの変人でもなければ、蘭学改造された駿馬を扱う者はそうそういない。すなわち。


「誰、だ……?」


 足音のした方向に顔を向けた青年は、息を呑んだ。見るもかくやの鎧武者が、馬にまたがり、目と鼻の先に居たからだ。いつの間に、と彼は思った。あまりにも静かに、あたかも幽霊のごとく。その鎧武者は彼の前に現れていた。


「……」


 鎧武者は無言だった。表情は兜と口元の覆いに阻まれ、読み取れなかった。しかし信じるに足る出来事は起きた。武者が馬を降り、火に向かって手を合わせたのだ。


「あんた……」

「……」


 青年は声をかけようとし、思いとどまった。あまりにも真摯な合掌だったからだ。代わりに青年は、ここに至るまでの経緯を語った。特に理由はない。誰かに話さないと、やり切れなかった。そうして火が落ち着いてきた頃。彼は立ち上がった。深く息を吐き、再び意志を定める。遅くなれば、遅くなるほど。


「……俺は行く。あんたは……いいや、好きにしてくれ。手を合わせてくれて、ありがとな」


 既に行商の品々からは武具になりそうな物を選び出していた。思い残すことは多々あるが、今は重要ではない。たとえ己が死しても、村娘を取り戻す。村の報復を果たす。その一念だった。

 彼は道具を背負い、北へと向かって歩き始めた。鎧武者は黙したまま、彼を止めようとはしなかった。しかし。


「……」


 歩き出して少しした頃、青年はかたわらに気配を感じた。不思議に思い、そちらを見る。息を呑む。馬と鎧武者が、音もなく立っていた。


「……」


 鎧武者が、己の背を指差した。表情も分からぬままに、青年は鎧武者と目を合わせた。


「乗れ、ってのか?」

 こくり。


 青年の問いに、鎧武者は重くうなずいた。青年は少し迷い、やがて決断した。この武者は、葬送の炎に手を合わせてくれた。己の話を、聞いてくれた。それだけでもう、十分だった。


「分かった」


 青年は、遠慮なく馬にまたがった。落ちぬよう、鎧武者の甲冑に触れる。冷たくも、どこか温かい気がした。


「はっ!」


 鎧武者が手綱で馬を叩くと、馬は一目散に北へと走り出した。

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