第23話 親の愛

 昼を過ぎた頃から雨が降り始め、昼食の毒見を終えた俺は、自室の窓から外を見ていた。


 ダールさんが倒れている今は、毒見役見習いとか言っていられる状況ではない。


 お館様も俺が毒絶対耐性と毒解析のスキルを持っているのは知っているから、配膳前の毒見役に抜擢させて貰った。



「お館様とは、もう言わない方がいいんだろうな……」



 ベッドの上で相変わらずの魔術書を読んでいるレイナは事の大きさを理解しているのだろうか。



「お父様……。父上? 父さんは流石にないよな。あぁ〜、何て呼べばいいんだ!」



 朝の謁見の部屋で、お館様から唐突に養子縁組の話しがでた。



『最初に言った様に、大人とは打算で生きている。お前たちの養子縁組は家族会議で既に決まっていた事なのだ』



 お館様曰く、魔法使いのレイナをフリーにしておくのは、他の貴族や、最悪は誘拐組織などに狙われてしまうとの事だ。


 とは言え大人の打算として、レイクランド侯爵領から魔法使いが出たという名誉が欲しいとも、正直に話しをしてくれた。


 それでレイナが安全になるなら俺に否やはない。


 コンコンコン、と扉がノックされて、アリシア様が入ってきた。



「ハルト、少しお話いいですか?」


「は、はい」


「あ、お姫様ぁ」



 俺は部屋に一つだけある椅子をアリシア様に差し出した。レイナも読んでいた魔術書を閉じてベッドから起き上がった。



「フフ。レイナ、あなたもお姫様になったのよ」


「?」



 首を傾げるレイナ。侯爵家の子供になった事が、どういう意味か分かっていないようだ。


 王族の血族である公爵家に次ぐ上位貴族が侯爵家だ。貴族のお嬢様は姫様と呼ばれるし、レイナも今後はレイナ姫と呼ばれるかもしれない。



「ハルトも私の弟になりました」


「は、はい、すみません、アリシア様」



 お館様が決めた事とはいえ、アリシア様は家無し子だった俺の事は認めていないかもしれない。



「アリシア様ではありませんよ。わ、私はあなたの、お、お姉さんなのですから」



 アリシア様は頬を赤らめて俺を見ている。



「え、えっと、ア……、アリシアお姉様?」


「フフ、フフフフ、ウフフフフフフ♪」



 アリシア様はウフフと笑うと、部屋から退室していった。何をしにきたのだろうか?





 午後からの仕事も少し状況が変わっていた。コック長のマルクスさんやエルニスさんの俺に対する接し方がかなり変わったのだ。


 エルニスさんから、「お坊ちゃん」とよだれを垂らしながら言われた時には、何故か身の毛がよだった。


 厨房にくる途中、他のメイドさん達が廊下で、エルニスさんの事を話しているのを耳にした。マリアさんの事で、だいぶ落ち込んでいるとの話しだった。


 そんなエルニスさんが、俺の前ではいつもの様に笑顔を見せている。とても気丈な振る舞いだ。だから、その涎を拭ってくれ。





 日が暮れても、外はまだ雨が降っていた。夕食を取り終えた俺とレイナは、ランタンの明かりを灯した部屋で、レイナと一緒にベッドに寝そべり、魔術書を二人で眺めていた。


 雨の音が部屋の中にも聞こえてくる。家無し子をしていた頃は、雨の日は濡れない場所を探して路地裏を彷徨っていた。でも今は、屋根付きの部屋で、温かい布団がある。


 あの日、料理屋のおばさんに会わなかったら、今の俺達はなかった。あの時が俺とレイナの運命のターニングポイントだったのだと、今にして思う。


 隣で寝そべり本を読むレイナの頭を撫でた。



「なあにぃ、お兄ちゃん?」


「いや、幸せだなぁと思って」


「うん、幸せだよ! ありがとうお兄ちゃん」



 レイナのありがとうの言葉に涙が出てきそうになる。そんな涙目の時に、コンコンコン、と扉がノックされた。またアリシア様かなと思い、開く扉を見れば、そこには奥方様がいた。



「良かったぁ、まだ起きていたわね。どうしても今日のうちに、お話をしておきたかったの」



 奥方様はいつものにこやかな笑顔で部屋に入ってきた。俺とレイナがお屋敷にきた時も、俺達が家無し子だった事を聞いても、嫌な顔を一つもせずに今と同じ笑顔で迎え入れてくれた。


 俺とレイナが奥方様の話しを聞く為にベッドの袖に座り直すと、奥方様は視線を合わせるように腰を落とした。



「先ほどのお話は私が言い出した事なの」


「えっ!?」


「大人の打算であなた達を保護するのは良い事とは思えないの。幼いあなた達には足りない物があるわ。それを知らずに魔法だけを学んだとしても、私にはあなた達が幸せになれるとは思えなかったのよ」


「俺とレイナに足りない物ですか? 今はこうして、屋根付きの部屋に、温かい毛布も用意して貰っています。俺達はいま幸せです」


「……ハルト、それはそうかもしれないわ。衣食住が大切である事をあなた達が他の誰よりも理解していると思うわ。でも、だからこそ、あなた達に知って欲しい物があるの」


「……知って欲しい物?」


「ええ、それは親の愛よ」


「……親の愛」


「レイナ、あなたは私の娘になったのよ」



 そう言って、奥方様はレイナに微笑みかけた。



「……奥方様の娘ぇ?」


「もう奥方様じゃないのよ。お母さんです」


「……お、かあ、さん」


「そう、お母さんよ」



 レイナの瞳に大きな雫が溜まる。 


 その涙の意味を、昔の俺は考えないようにしていた。考えても何も出来ないから。


 街にいた頃に見かけた幸せな家族、幸せな子供達。俺は寝る場所がある子供、食べる物に困る事がない子供、そんな視線で彼らを見ていたけど、レイナは違っていた。優しい母親の笑顔を見るたびにレイナは寂しくなっていた。



「お、お母さん……」


「はい」



 レイナの言葉に優しく微笑みを浮かべる奥方様。


 レイナはベッドから立ち上がり力いっぱい声を上げた。 



「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん」



 そんなレイナを奥方様は優しく包む様に手を廻し抱きしめる。



「はい、お母さんですよ」


「お母さん、お母さん、お母ぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! お母さぁん、お母さぁん……」



 レイナが泣いた。大きな声でレイナが泣いた。俺はレイナを泣かせない為に頑張ってきた。でも、今のレイナの泣き声はいつもと違う。喜びの泣き声だ。


 そして恋焦がれた物が手に入った、幸せの泣き声だ。





 俺達の部屋のベッドにお母様を挟む様に俺とレイナは寝ている。


 レイナの安らいだ寝息が聞こえてくる。こちらからは見えないが、きっと笑顔で寝ているに違いない。


 そして俺も隣から伝わるお母様のぬくもり、優しい香りを感じ、遠い記憶に残っていた母親の愛を思い出した。


 これが親の愛……。


 俺はお母様の腕に顔を埋める。


 幸せが一つ増えた。



「……お母さん」



 いつもとは違う心の安らぎに満たされて、俺は幸せな眠りに落ちていった。



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