第7話 古の英雄は憂鬱さを増す
この世界であるなあらば、[見事]と言わざるを得ない一室。
煌びやかな宝飾を誂えた家具一式。
隣国バルリアにて用意された、リゼンダ皇国が皇太后の客間。
ヴェルやリズならば、売り飛ばして資金を領地へ回しそうだ。
メアリーはベッドだけは残すだろう。
柔い感触だろうから飛び込みそうだな。
「戻りましたか。早かったですね、アイリーン。」
「まだ起きているのか、アマリア。」
一目でわかる豪華な執務机に一人座る熟年の女性。
夜着ではなく、いまだに儀礼用の衣装を身に纏っている。
「一体、何時から休んでいない?」
「さて?それより、首尾は如何?」
女性とは思えない鋭い視線で吾を見る。
エルメリア夫人でも、もう少し温和な視線だな。
それにしても…。
「焦り過ぎだ。」
「分かっております。それで?」
「現王には直接渡した。貴族派閥と教会派閥の衛兵にもそれぞれ渡した。そしてバルーク伯は動いている。王城の情報は仕入れてはいないぞ?」
「ええ、構いません。ご苦労。」
「全く、吾に嘘を付かせるとはな。それもヴェルにまで…。」
「それには謝罪します。ですが、誰がいつどこで耳にしているか分かりません。今も尚…ね。」
「吾を侮るか?」
「いいえ。どんな手段を持っている者がいるか分からないからです。」
「ふん。他所に聞こえんようにこの一室を遮断していてもか?」
「…初めからそう言いなさい。」
「吾も、どんな手段を持っているか分からんぞ?」
「試されるのは嫌いではありません。が、今は緊急。出来る事は話しなさい。」
「吾は力は貸そう。汝に出来る事をしろ。」
アマリアは不敵に微笑む。
男であれば精鋭を率いて先陣を切りそうな勢いだな。
「さて、最悪の想定を見直します。」
「何故?」
「言ったでしょう?我は今の王家に対し、一切の信用をしていないと。息子が既に駄目なのですから。」
息子とは現王の事だろう。
教育に失敗した、と嘆いていたからな。
「逃げようものなら椅子に括り付け、隠れようものなら騎士団を総出で炙り出し、滾々と王とは何たるかを刻み付けたにもかかわらず、この体たらく。孫の責は息子の責。延いては我の責。我はこの責を負いましょう。払拭させるためにも。ですが、何事も深く見なければなりません。これ以上の失態をしない可能性など、無いのですから。ええ。そうですとも。」
目が据わっているな。
いつでも、誰かをその手で殺しそうだ…。
「落ち着けとは言わん。だが、冷静になれ。」
「冷静ですよ?今までにないくらいに。」
「諦めよう。で、最悪の想定は?」
「一つ、現状が教会派閥によるもの。一つ、貴族派閥が便乗してしまった場合。一つ、現王がこの状況を顧みない場合。一つ、第二王子も失態を犯す場合。一つ、王妃が使えない場合。今の情報ではこの程度。それ以外は対処可能な範囲です。」
「増えたものだ。中立派閥はバルーク伯に任せても?」
「問題無いでしょう。信頼に足ります。」
「今、貴族間の揉め事は無いだろうがな。情報は直ぐに回るぞ?」
「ええ。どのようにするかは見物ですがね。」
「黒幕の見当はついたか?」
「教会派閥であるクリントン公、もしくは皇国教会の高位の誰か…。枢機卿は除外します。彼の潔白は私が保証しましょう。」
「あれは謀とは無縁の存在だからな。」
「ええ、良い馬鹿です。」
「外にリジ―がいる。」
「入れなさい。」
「それと、暗部の人間が一人。」
「やっと来ましたか。それも入れなさい。」
一部の空間を戻し、扉を開ける。
熟年の侍女が堂々と、儀礼服に身を包んだ幼さを見せる女性が涙目で立っていた。
「すまんな。」
「いいえ。大事なお話だったのでしょう?」
皇太后専属の侍女リジ―は当たり前だと薄く笑みを浮かべる。
皇太后所属の暗部は誰がどう見ても焦っている。
「は、早く、お、お伝えしたいのです!」
名は何だったか…忘れた。
「落ち着け。他国にこれ以上失態を晒す気か?」
「うぇ!?そ、そんなことはしませぬ。」
周囲をきょろきょろと見渡し始める。
それが失態に繋がるのだ。
理解していないのか?
「阿呆。堂々としろ。」
「は、はい。」
「ガルム伯。それでは伝わりませんよ。我らが主様に、休憩を取って頂きたく御座います。お入りしても宜しいでしょうか?」
「ああ。また閉ざす故、戸は締めよ。」
「畏まりました。レイン様、中へ入りしましょう。室内にて何が悪いのかをガルム伯よりお聞きください。」
「あ、はい。」
何故吾が教えねばならんのだ…。
リジ―は茶器一式を載せた台車を押し、その後ろを暗部が付いて入る。
リジ―が戸を閉めた後は空間を閉じ、外部に何も伝わらないようにする。
「ご、ご報告いたします。」
「待ちなさい。」
泣きそうな顔がアマリアの「待った」を機にさらに歪む。
もう、泣くのではないのだろうか。
エルメリア夫人に教えを乞うている時のメアリーを思い出すぞ。
「どうぞ、主様。本日はリシャーン王国に用意していただいた茶葉です。香りも立ち、深く味わえると評判です。」
「ご苦労。アイリーンとレインの物も淹れなさい。」
「畏まりました。」
「何をしている。そなた等も腰掛けるがよい。」
「吾はこのままでいい。」
「え、あ、わ、私もです。」
「汝は座れ。平静を装え。」
「えっと…。」
「座りなさい。我の命令です。」
「は、はい。」
レインとやらは緊張なのか、動揺なのか…忙しない。
アマリアは淹れられた茶の香りと、味を堪能している。
「え、あ、ど、毒見は?」
「要りません。誰が用意し、誰が淹れたと思っているのですか?」
「お、お許しを!」
五月蠅い奴だ。
「レイン。貴女は外交に初めて来たから知らないでしょうが…これを機に知りなさい。我の専属侍女リジ―は、我が絶対の信を置いています。リジ―、改めて挨拶をしなさい。」
「はっ。リゼンタ皇国、皇太后陛下が専属侍女レジーナ・ドルセンと申します。幼少は暗部として毒を主に学び、唯一生き残った者に御座います。この身は皇太后陛下に忠誠を誓い、死が袂を分かつまで傍にいる事をお許しいただきました。どうかお見知りおき頂きたく存じます。」
「ど…。」
暗部で毒を扱う。
つまりは、毒に耐性を持たなければならない。
そして、現在の暗部に毒を扱う者はリジ―のみ。
過程で毒に耐えきれる者がいないのだ。
「アイリーン。そなたもしてはどうか?」
「吾は必要無かろう。」
「そう…、もう少しその姿でも愛嬌を持ちなさいな。」
「断る。」
さっきから吾とアマリアをちらちらと交互に見ている。
何なのだ?
「言いたいことが有るならば、今言え。」
「え、あ、いえ…。」
「無いならば堂々としろ。汝の姿はリゼンダ国の代表、皇太后陛下の姿と思え。外部に醜聞を垂れ流す気でもあるのか?」
「も、申し訳ありません。顧みます。」
「そうせよ。」
リジ―から受け取った茶は、確かに良い香りだ。
「これは持ち帰れるか?」
「はい。ですが渡航の際に香りが散るでしょう。」
「後で幾つか用意してくれ。持ち帰りたい。」
「畏まりました。」
「我も頼もう。これは良い。」
「分かった、リジ―。」
「仰せのままに。」
またもやちらちらと吾を見る。
言いたいことが有るならば言えばよかろう。
夜も更け、誰もが眠るであろう時間にもなっている。
それなのにまだ起きるのだろう。
歳を考えよ。
「失礼な事を考えましたか?」
「ああ、早く寝ろ。」
「それは情報に左右されます。」
「忠告はしたぞ。」
「ガルム伯。もう少し強引でも構いませんよ。」
「断る。駄々を見るのはもう飽きた。」
「ガルム伯だけが頼りなのです。」
「吾を頼るな。それよりも、汝ももう寝ろ。」
「我が主より先に眠ることはありませぬ故、ご容赦を。」
「あれもあれだが、汝も汝だ。」
「あら、アイリーン。貴女も言えた言葉ではないでしょう?」
「吾は護衛だ。汝の身を優先する。」
「変わりありません。貴女も同じ穴の狢ですよ。」
「勝手に言ってろ。」
我儘さは汝が上だ。
「さて、これくらいにしましょう。」
「漸く落ち着いたか。」
「ええ。さて、レイン。報告なさい。」
「は。皇国の暗部から最新の情報です。お目通しを。」
一枚の紙きれを手渡されたアマリア。
どうやら、もう一悶着。
いや、騒動だな。
「レイン。コレに目を通しましたか?」
「い、いいえ。」
呆ける暗部を余所に、大きく息を吸うアマリア。
リジ―と視線を交わし、互いに耳を塞ぐ。
「愚かな!!」
室内を響かせるアマリアの声量は、そこいらの騎士では到底達せぬだろう。
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