第13話 流転のまにまに

 すんでのところで漸く怪異を捕まえ、吸収した康平は2人のいる屋上まで跳んだ。幾らか崩壊している領域内の校内から現れた康平を見て晴彦と内田は身構えたが、駈剛が肉体から抜け出し元の姿へと戻るや否や恐る恐るではあったが晴彦は彼に声をかけた。



「こ、康平……君?」


「あー……ちょっと、待って。いま、すっごい……疲れた」



 息も絶え絶えで膝に手をつきながらも立っていたものの、遂には力が抜け蛙が潰れたような声を出しながら床に倒れ伏せる。慌てて2人は彼の元へ駆け寄り容態を確認していくが、そうしている最中に近くにいた駈剛が動いた時に出た足音で2人はそちらの方に視線を移す。


 改めて目にする想像上の怪物であったはずの鬼の姿に釘付けになっていたが、人間よりも遥かに大きい体躯に伴った大きな手で康平を掴み、自身の肩に乗せた。事前に駈剛のことは康平から聞かされていたとはいえ、実際にその姿を見るとこの世の存在とは思えぬ威圧感を放っており何を言うべきか頭も口も回らない中、内田は僅かばかりに思考を働かせ駈剛に話しかけた。



「あ……あなたが、彼の言っていた協力者の」


「駈剛だ。まぁ、大方は此奴が言っておった通りだ」


「本当に鬼、なんだ……」


「元土地神の、だ。これから長い付き合いになると思うが慣れておけ。それより──」



 駈剛はおもむろに空いている左手を伸ばし、親指と人差し指の間に晴彦を挟んで持ち上げると次に人差し指と中指の間で内田を持ち上げ屋上の柵まで有無を言わさず移動する。



「ちょっ、一体何を?!」


「降りるだけだ。ああ、口を閉じていろ舌噛むぞ」


「へ?」



 軽く駈剛がジャンプをする。ただの一跳びで柵を越えるとそのまま4階建て13mの高さを垂直に落ちていく。突然のことで一瞬反応が遅れた2人だがすぐに自身の置かれている状況を理解すると驚きのあまり駈剛の忠告を忘れていた。地面に着地する際、地面の方から破砕音が聞こえたのは気のせいではなく実際に駈剛の立っている地面にヒビが入っているのを内田は目にした。そんな事は気にもとめず、駈剛は左手の指で掴んでいた2人を降ろすが康平はまだ肩に乗ったままだ。



ひははんばしたかんだ、いい」


「お前が噛むのか」


「あ、あの。康平君は大丈夫なんですか? さっきの事といい、今といい」



 と、ここでようやく正気に戻った晴彦が駈剛にそう尋ねた。初めてあのような光景を見ればそう思うのも致し方なく、懸念していることも理解出来るため駈剛は質問に答えた。



「平気だ。元より此奴も望み、進んでやっている事。自分の身に何が起きようと甘んじて受け入れておる」


なはばひょーせひはっはへほへ半ば強制だったけどね


「そこまで元気なら俺様の助けは要らんな」



 肩に乗せていた康平を乱雑に投げ捨てると、少々危ないながらも手を着いて地面とのキスを防ぎつつ僅かに回復したなけなしの体力で立ち上がる。フラフラな様子にいち早く晴彦が支えに入り、康平は彼の方に若干姿勢を預けた。



「それよりもさっさとここから出るぞ。領域は外界と隔絶されているとはいえ時間の流れが同一だからな、色々と面倒事が起きかねん」


「ッ、待ってくれ! この場所にある、あの魂はどうするつもりだ?! それにあのもう1人の警官の安否は!」


「……望まぬ結果であっても良いなら答えてやる。兎も角さっさと校門を越えろ、そこで穴を開ける」


「あー、痛ったい。にしても駈剛のそれも不便だよな、前の時もわざわざ橋のところに開けてさ」


「お望みならここで穴を開けて、向こうで不法侵入者として扱われても構わんが?」



 そこで察した康平は顔を逸らし何も言わずに校門の方を目指して歩き始め、それに合わせて晴彦も動く。後をついて行く形で駈剛と内田は移動し、その道中に駈剛は口を開いた。



「あの場にある魂に関しては問題ない、すぐにこの領域から解放され元の肉体に戻り目覚める」


「……では、あの時食われた警官は」


「無理だな」



 間髪開けずにそう答えた時、3人の顔つきが険しくなった。晴彦は後ろへ振り向き駈剛を見やった。



「怪異に食われたのであれば、その全てが怪異の物となった事を意味する。最早そこに個の意識は無く、ただの食物と同等の存在として扱われるのみ。どう足掻こうと奴が戻ることは無い」



 それを聞いて内田は言葉を発すること無く、ただ自身の右手を力強く握りしめた。駈剛はそれを言い終えると足早に先頭に立ち、先に校門の扉を開けて向こう側に繋ぐ穴を開けたあとその肉体を霞が霧散していくが如く消す。康平の中に何かが入ったような感覚を感じ、取り憑いたと分かると彼は2人に先んじて穴を潜り抜ける。


 それに続き晴彦と内田も穴を潜り抜けると、目の前に広がっていたのは現実側の学校前の景色であった。電灯が道路の一部を明るく照らし、それ以外は職員室の窓から光がこぼれている何の被害も無い学校が振り返った先の視界に捉える。漸くそこで現実に戻ったのだと理解した。


 疲れと緊張からか不意に力が抜けた康平を何とか支えようとした晴彦であったが、少し壁にもたれかからせてほしいと伝え壁を背にゆっくりと座った。若干湿り気を帯びている空気がそろそろ雨が降りそうな事を教えているが、今の康平に帰る体力は殆ど無いといっても過言では無い。置いている自転車で帰る気力も残っていなかった。


 そこで内田からの提案で、車に乗せて帰宅し自転車はもう一度ここに訪れて自転車を送り届けるという話になったが、晴彦は自分で帰ることが出来ると告げ先に康平と康平の自転車を車に載せて帰宅させるように言うと、少し間が空いたが内田は了承し康平だけが車に乗せてもらっての帰宅となった。


 内田と康平は晴彦に礼を伝えたあと自転車を載せてから車に乗り込み、そのまま康平の案内でアパートに向かう。その道中の信号で止まったところで、内田は康平に話しかけた。



「康平君、今日はありがとう」


「いえ、こちらこそありがとうございます。ここまで僕たちに協力してもらって」


「いや、礼を言うのはこちらの方だ。怪異の被害者を解放してくれたこと、事件の原因であった怪異を倒してくれたこと……私や警察では解決に導けなかった事件を解決してくれたんだ」


(俺様の協力もあってな)



 取り憑いている駈剛が康平の頭の中でそう言うが、康平はその言葉に対して口に出すことは無く。どこかもの哀しげな内田の横顔を見て、何も言わずに助手席の背もたれに姿勢を預ける。考えている最中、信号が青に変わり車が発進した。



「実は……実のところ、1度はあの怪異を倒すことを躊躇いかけたんです」



 運転中の内田の表情が変わる。視線は康平の方を見たがすぐに前へと移し、何故なのか尋ねようとする前に康平は自身の心境をゆっくりと吐露しはじめた。



「あの怪異は確かに、自分を正義だと思い込んでる奴でした。けど、被害に遭った人物の大半が人間としてどうしようも無い輩だって貴方から聞いた時、揺らいだんです。このまま放置していれば、世間的に悪人とされる彼らを合法に減らせるんじゃないかって。

まぁ、駈剛に諭されて怪異を倒すことにしたんですけどね……多分、あの時に何か言ってもらって無かったら、僕は関わるのを辞めてたかもしれません」



 有り得たかもしれない“もしも”を彼は語る。悩み、考え、助言され、康平は自らの天秤を傾けてこの今を選んだ。



「怪異を倒して回っているのも、駈剛が半ば強制的に取り憑いてきたからとはいえ家族を失いたく無かったからなんです。……もう奪われたくない、絶対に守らなきゃいけない。ただそれだけの事で、別に誇れるような善性を持ち合わせている訳では無いんです。今回の事で礼を言われる資格は僕にありません」


「……そうか」


「はい」


「君の気持ちは分かった、だが君の思いと私の気持ちには何も関係ない」



 バックミラーに映る内田の目を見る。道路をまっすぐ見ているが、チラと康平の方を一瞥すると言葉を続けた。



「君がどんな思いで怪異を倒そうと、君が何を考えていようとも、私は理不尽に誰かの命を奪う存在を倒してくれた事に感謝している。だからこそ君自身が礼を求めるような人間ではないと言っても、私は君に感謝したい」


「救えなかった人も居ます」


「だとしても、救えた人が居る。それを忘れないでくれ、君が君自身を卑下する前に」


「……ありがとうございます」



 その言葉は赦しのように聞こえた。未だに康平の思いや考えは変わっていないものの、どこか心が軽くなって憑き物が落ちたような、そんな感覚があった。やがて車は住んでいるアパートの前に到着すると内田に自転車を出してもらい、康平は帰る前に彼と話した。



「ここまでありがとうございます」


「このぐらいしか出来ないからな、気にしないで良い。何度も言うが、今回は囚われた人々を救ってくれて感謝する。警察として、一個人として」



 深々と頭を下げて感謝の意を示した内田は、すぐに上げて康平の目を見る。あの領域内で見せたような苛烈さは無く、落ち着きのある表情をしていた。



「もしかすればまた、こちらから応援を頼む事があるかもしれない。その時は」


「手伝いますよ、倒すべき怪異は野放しにしておけませんから。それと、僕らの方から協力してほしいとお願いする時があるかもしれません。その時は可能な限りで構いません、色々と頼まれてほしいです」


「あぁ、私に出来ることであれば幾らでも」



 それが会話の終わりとなり、2人は挨拶を交わして帰路へとつく。車が離れていく様子を見届けたあと、ゆっくりとした足取りで康平は母親が待つ家に帰って行った。




───────────────────────




 後日、康平は1人元宮幸斗のもとへ訪れ学校に蔓延る七不思議の7つ目を退治したと伝えると、訝しみながらも彼は母親と康平とともに琥蒲第三小学校前に向かった。久方ぶりにやって来た彼に同級生の何人かは声をかけるが、それよりも学校に幾らか探りを入れることを優先し少しその場で足踏みしながらも、校舎内へと入って行き中も外も調べ回っていた。


 不登校になっていたとあって久し振りに顔を見せたことで、当時の担任と出会って驚かれながらも喜ばれたりしたが、その間にも周囲の様子を見回していた彼は次第に康平の言っていたことが事実であることを認識し始め、全てを見て回って何も居なかった事に驚きと喜びを示した。


 どのように退治したのか質問責めにされていたが、その様子を見た母親は元の彼に戻っていたことに目を潤ませ、康平は今一度救えた人の存在を実感する。少なくともここに1人だけ助けられて良かったと思えるような人間が居た事に、康平の心も救われていた。


 それから康平は元宮幸斗らと別れ、住まいであるアパートの方へと自転車を漕いで向かっていると駈剛の声が頭の中で聞こえ始める。



(取り敢えず良かったのでは無いか? 何十も知らぬ人間より、1人知っている人間を救えた。今後はそのように考える方が良いやもしれんな)


「忠告どうも。まぁでも、確かにその方が良いのかもね」


(まぁ、この先で怪異に遭わぬ訳では無いがな)


「……は? 待て、どういうこと?」



 急に告げられた駈剛の言葉に、咄嗟に自転車を止めて問う。険しい表情である康平とは裏腹に、駈剛はさも当たり前かのように言った。



(少なくともあのわらべは俺様達のような存在を視る力がある、その上積極的に幽霊だの妖怪だのを調べていた。怪異は自らに興味を示した者に接触を図ろうとするからな、この先出会わない保証をするより必ず遭遇するとハッキリ言える)


「じゃあ、彼はこの先もずっと」


(視てしまうだろうな、この手の問題は神頼みに任せる他無いぞ。あとこれはお前にも当てはまるが、あの名無しを倒して俺様がこの体から離れたとしても、お前は怪異を視て、怪異となり怪異を倒したことで視える体質になった。今後、怪異に関わらぬ人生は送ることが出来ない程にな)



 自身ではどうしようも無い事実を呆気なく言ってのけた駈剛を殴りたくなったが、その場合自分を殴る事になるので行き先の無い力を込めた拳が、その手中でゆっくりと緩められていった。



「そういうのは早く言え……!」


(聞かれなかったからな)


「言葉の揚げ足を取るな! 大体お前はなんでそんな重要なことを言わずにいた?! 答えろ、さっきの解答以外で!」


(やかましいぞ、周りに迷惑だと思わんのか?)


「誰のせいだ、誰の……!」



 ワナワナと震える康平の周囲では、何事なのかと彼へ向けられた視線が幾つかあった。内心怒りきっている康平は渋々といった様子で自転車を再度漕ぎ始め帰路へとつく。その道中で駈剛は康平の質問に答えた。



(さっきの質問だが、怪異を倒す前に言っていればお前はどう考える?)


「どうって……」


(俺様の予想では怪異を倒す意味そのものを失いかける。意味なんぞ所詮後付けでしか無いが、人間が行動するにあたって、意味や意義のある行動であると思わなければ活力を失いかねん。俺様の目的を達成できない要因はなるべく排しておかねばならんのでな、怪異を倒すか悩んでいたお前にそれを告げればどうなるかは想像しやすい。そういうわけだ)



 図星であったのか、康平は押し黙った。確かに救うべき人間では無いと思っていたのでは、そこで余計な事を言えば意思が揺らぎに揺らいでいただろうと康平は自分でそう考えた。心が否定していたが頭では理解出来ていた為か、湧き上がる激情を抑えて駈剛に言った。



「……なら、今後はその手の事実も全部言え。包み隠さず全て」


(悪いが無理だ、今のお前ではその願いを叶えてやっても良いと思えん)


「……なら行動で示すし、約束する。は必ず怪異を倒すし、何を言われようと揺らがずに目的を果たし続ける。それを破るような真似は今後絶対にしない」


(そんな気は元より無いのだがな……まぁ良いだろう、但しその約束を破れば俺様はお前に隠すべき事実は隠し続ける。それで異存なければ考えてやらん事も無い)


「上等だ、その気になるまで守り通してやる」



 ギラついた目を自身の中にいる駈剛へと向ける。怪異と対峙したあの時のように口調も変わっていたが、一人称さえも言い変わるぐらいの熱量が康平の中にはあった。やがて自宅であるアパートへと帰宅し、部屋に入って制服から着替えようとした所で唐突に駈剛から問いかけられた。



(そういえば聞くが、何故に理不尽なものを許さんのだ? 確かに理不尽を嫌うのは当然の事であるのは理解しているが、お前のそれはどこか執着じみているように思う。何がお前をそこまでの思考にさせるのだ?)



 暫しの間、康平は無言を貫く。ただ着替えのさいに発せられる布が擦れる音と、動く際に発せられる足音や、ハンガーを取る音などの環境音だけが部屋中を占めていたが、私服に着替え終わった康平がベッドに腰掛け、机の横にある本棚へと視線を向ける。


 その本棚の中には六法全書の文字が書かれた外箱が幾つか並んでおり、それと一緒に法律関係の本が入っていた。それらを見つめて1つ息をつくと、康平は語り始めた。



「ただの私怨だよ」


(ほお、私怨ねぇ)


「……お前も見ただろ、仏壇。僕の父さんの仏壇を」


(あぁ、あれか。で?)


「昔、交通事故で死んだ。回復する見込みも無いと判断されるぐらい、呆気なく急死した」



 その話をする康平の両手が強く握りしめられていく。徐々にその力は強まっていき、爪が手のひらにくい込み痕を作り上げようとしていた。



「当時、車に乗っていた加害者はすぐに捕まった。裁判も行われて、危険運転致死傷罪で実刑判決が下ったよ。でも……!」



 手のひらにくい込んでいく爪が、痕ではなく皮膚や肉を突き破って彼の手から血が出た。普通なら力の制御も入り、すぐにはこうならないが、駈剛の神通力に馴染み続ける体がそれを可能にしていた。



「9年6ヶ月、たったの9年と6ヶ月だぞ……?! 父さんの命を奪っておいて、たったそれだけの間刑務所で暮らせば釈放される! そんな事が罷り通って良いはずが無いだろ!」



 今の康平は怒りで殆ど我を忘れていた。温厚であった彼は何処へ行ったのかと、温厚である顔しか知らない者からすれば驚愕せざるを得ない。息も荒々しくなりながら、康平は続けた。



「それにだ、あの犯罪者は父さんを殺しておいて、何の罪の意識も感じていなかった……! まるで自分だけが不幸な目にあったみたいに、なんの反省もせず!」


(……もう良い、止めろ)


「奴みたいな犯罪者をこの世にのさばらせちゃならない、だからオレは──!」


(もう良い十分だ!)



 駈剛の声により、そこで言葉を止めた康平は荒々しくなった息を整えながら自身の手のひらを見る。自身で傷つけた箇所から流れ出る血を見て、回らぬ頭を回して“しまった、汚してしまった”と考えた。ゆっくりとした足取りで、床に血を垂らさないように洗面所へと向かっていった康平を他所に、駈剛は己の失態を後悔した。




───────────────────────




 ネット掲示板にこのようなスレッドが立っていた。よくあるオカルトスレであったが、とある人間が体験したと記述されていた。内容を説明すると、とある市内の東にある住宅街で毎年6月に濃霧が発生するらしく、その濃霧の中を進んでいくと奇妙な場所に迷い込んだというものだ。しかしそこでスレッドを立てた本人は、次に自らが体験した恐怖を綴った。


 そこに迷い込むと、迷路のようになった住宅街を彷徨いながらバケモノに追われ続けるらしい。

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