第3話 モキュモキュモキュ


  ◆ ◆ ◆ ◆


「あかん、背中の毛に赤色がちと染み込んでしもた。ワシの黄金色スーパーキンピカで高貴なおけけが泣くでホンマに。にしても、川の水ちべたいぃぃぃ。ヘッキチン!」


 汚れを清流の水で洗い流し、動物特有のあの動きでブルブルと水を振るったポム山は、豆を超凝縮させて作った鍋に豆を入れ(豆イン豆)、適当に集めた葉っぱや、それっぽく食べられそうなものをぶち込んで火にかけた。

 ドブのような薄茶けた、いかにもという怪しい香りが漂っていたが、日頃からそんなものばかりを食べている珍獣にとって、そんなものは日常茶飯事だった。


「うむ。豆の芳醇な香りと、いい匂いの草の渋みと、変なキノコのエグみがゴッツ効いてていけてるやん。なんか体中痒ぅなってきた感じするけど、まぁ気のせいやろ」


 キノコのアレ程度ではへこたれない不衛生さもそのままに、完成した鍋をさっさと喉奥へ掻っ込んでいると、不意に川上方向から声が聞こえてきた。しかしポム山は気にせず、ただ目の前の鍋だけに必死だった。


「いけるで、豆鍋いけてるやん。なんか異様に暑うなってきたけど豆いけてるやん、痒みもエグいけど、痒み、か、か、痒っっ! 痒すぎるわ、痒ぅぅっぁぅぅぁっ!」


 痒すぎてのたうち回っているバカが川沿いを転がっている間にも、遠く川の反対側から何者かが息を切らし近づいていた。全身をボロのマントで包んだ何者かは、顔を隠し、川下を目指して走っていた。


 転がりすぎて川にボチャンと落ちたポム山は、心臓をムギャンと掴まれたような水の冷たさにやられ、ヒギャーと悲鳴を上げた。するとその奇声に気付いた何者かは、川縁でパチャパチャしている怪しい珍獣を一瞥した。


「イヌ!? いいえ、今はそんなのどうでもいい。どうにかしてアイツらを撒かないと」


 フードで顔を隠す誰かの言葉と同時に、川上からまた別の黒い影が迫っていた。

 銀影をまとった四、五頭の群れは、犬科特有のハァハァという激しい息遣いを散らしながら、逃亡者の背中を追っていた。


「かい~、メチャクソかい~、あかん、死ぬ、かいかいで死ぬるぅぅぅぅ!」


 そうとも知らずバッチャンバッチャン暴れているポム山の存在に、彼らが気付かないはずはない。襲ってくれと言わんばかりにアピールしている小さな生き物へ、森の強者が矛先を変えて牙を剥くのは当然のことだった。


「注意がそれた?! 誰か知らないけれど、これは感謝感謝だね」


 ターゲットをポム山へと切り替えたシルバーウルフの群れは、足早に逃亡するマントの人物を諦め、川中で優雅にパチャついていた茶色の物体を取り囲んだ。

 ひとり楽しげに(本人は楽しくない)、水芸でも披露するよう器用に回転していたポム山は、ワニに咥えられて川底へと引きずり込まれるヌーのように水面を滑っていた。しかし一定の距離を保ちながら取り囲んだウルフの群れは、相手の出方を探りながら、意味不明に動き続ける餌対象をしばし観察しているようだった。


「ムハハー、ちべたいし、かいーし、こんなんしてたら食うたばっかやのにまた腹減ってまうわ! ……て、我ながらなかなかええセルフツッコミやったな。うんうん。うんにゃ?」


 我に帰り、川縁で起き上がったポム山は、そこでようやく自身が何かに囲まれていることに気付いた。しかももはや逃げ場はなく、八方塞がりなことも火を見るより明らかだった。


「は、ハメられた。ハメられたで……」


 背後には川が、また三方からはシルバーウルフがジリジリと迫り、途端に獣臭が漂い始めた。蕁麻疹の出た身体をボリボリ掻きむしりながら、ポリポリ豆(通称ポリ豆)を口に放り込んだポム山は、モニュモニュとアゴを動かしながら、口内の内容物を吐き出しつつ叫んだ。


「よーくも擦りつけてくれたな、こんのマントハゲー!」


 走り去っていく逃亡者の背中を遮るように、ウルフの影がまた一段と大きくなった。いよいよ目の前まで歩を進めたウルフたちは、ほんの一メートルに満たない餌対象を見下ろしながら、順々に大口を開けた。


 近距離の遠吠えで耳をやられ、鼻穴にデコポンが詰まったような顔でのたうち回ったポム山を、ピンボールの玉のように跳ね飛ばしたウルフは、集団で餌である毛玉を弄んだ。


「やっ、やめいッ、目が、目が回るぅぅ!」


 ボールを回すように鼻先で遊ばれ、地面にムギュッと落下した。しかし再び鼻先で勝ち上げられれば、虚しくボールのように跳ね飛ばされて宙を待った。


「アギャー、誰か助けちくれー!」


 泣きながら川に落下したポム山は、馬鹿にして息を弾ませるウルフを水の中から見つめた。そして足先だけ水に浸かっている相手の身体を潤んだ油っぽい瞳で眺めながら、自分の不幸さ加減を呪った。


 どうしていつもこんなことになってしまうのか。それは自分が「女神」だからなのか、はたまた別の理由からなのか。


 考えても恐らく答えは出てこない。

 疑問をすぐに諦めた珍獣は、またいつものように、次々と湧き出してくる怒りを口にするのだった。


「ゴボビュビュザン、ゼブブバドベデブヂュヴドジジジジデドゥデドゥ(もう許さん、全部まとめて宇宙のチリにしてくれる)!」



 確かにポム山は、軽はずみな"天使"である。


 適当で、いい加減で、突飛でもある。


 間抜けで、ボーッとしていて、バカヅラでもある。

 しかし根は真面目で、馬鹿正直な「男」でもある。



「豆豆マメマメ馬鹿にしくさって。豆のどこがダメやねん。世の中の輩は、豆を舐め過ぎや。豆の凄さ舐めんなよ!」


 水中で急激に伸ばした豆のツルでウルフたちの脚を絡め取ったポム山は、そのままの勢いでウルフを川へと引きずり込んだ。突然脚を掬われた数匹はその場ですっ転び、転倒したまま水に身体を沈めた。


 水中でおメメをパチクリさせ、水場で効く視力で慌てふためく敵の姿を見つめたポム山は、おぼつかない様子の群れを一気に川底へと手繰り寄せた。滑る川の岩場に脚を取られたウルフは、なす術もなく水底に身を沈めた。


「知ってるか。中身スッカスカの豆ってな、水に浮くんやで」


 軽い豆を足場にして浮き上がったポム山は、そのまま小さい羽根をパタパタ羽ばたかせて宙を舞った。


 そして頭上が疎かになっていたウルフたちの上空に、再び凝縮された豆の塊を作り出し、説明する間も無く解き放った。


 川底の岩と巨大な豆板に押し潰されたウルフは、ドス黒い液体を噴き出し、川の藻屑となって流れていった。その音と光景はあまりにグロテスクで、ポム山は「あかん、明日からもう濃い濃いのトマトジュース飲まれへん」と凹んでいた。


「にしてもムキー! あの糞マント、このワシにモンスターを擦り付けしくさって、カッチンカッチンきたで。目に物見せたらぁ、ヘッキチン!」


 鼻水を撒き散らし、ぷにぷにの両腕を振り回したポム山は、短い足をこれでもかと回転させ、逃げていったマントの人物を追いかけて長々と続く川下へ向かった。


 濡れた石に肉球が触れるたび、モキュッ、モキュッ、と音が鳴り、それが川沿いの森へと響き、そのたびモンスターが覗き込んだ。

 餌だ、餌だと身を乗り出した猛獣たちの鼻息と己の悲鳴を引き連れて、珍獣はいよいよ始まった異世界ライフに飲み込まれていくのだった。

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