公爵令嬢の選択

第33話 ルバート伯爵



 貴族たちの噂が落ち着き、加熱していたお茶会への誘いも減り、カーバイン公爵軍は行軍訓練を終えて領地に帰還した。

 フィオナとルバート伯爵との婚約はほぼ固まり、あとは申請書類を出すだけの状態になっている。


 連日のように秘書官たちと打ち合わせをしていたカーバイン公爵も、全ての手配を終えてやっと呑気なお茶を楽しむ余裕ができたようだ。

 久しぶりの家族揃っての団欒のために、メイドたちは選りすぐりのお茶とお菓子を用意している。

 カーバイン公爵が美味そうに菓子を味わっている向かいで、乗馬服を着たシリルが、青を帯びた白い石で作られた天馬を満足そうに眺めていた。

 そして、居間に入ってきたフィオナも、凛々しい乗馬服姿だった。


「シリル。お待たせしたわね。……あら、それ、本当に作ってもらったの?」

「うん。すごく気に入ったからね。やっぱりこの石の色はいいなぁ。青と白の入り方が海そのもののようだよ!」


 シリルは満足そうだ。

 海を見たのは、「遊び」と称して港湾都市を訪れた時の一回だけ。実際には王太子の命を受けた視察だったが、「遊び」ということでフィオナも同行していた。

 その時の海の美しさは、今も二人の記憶にしっかりと残っている。天馬の姿を刻んだ石は、海面に反射した光だけを集めたような色合いだ。


「本当にいい色だなぁ」


 大きさは手のひらに載るくらいだが、職人によって丁寧に作られている。念入りに刻み磨いた天馬は、今にも動き出しそうに美しい。

 シリルがまた満足のため息をつき、それから名残惜しそうに天馬を置いて立ち上がる。

 お茶を一口飲んだカーバイン公爵は、手袋をはめるフィオナを振り返って、手元にあった手紙を振ってみせた。


「フィオナ。乗馬に出かける前だが、知らせが来ているぞ」

「何の知らせでしょうか」

「ローグラン侯爵からだ。詫び料として個人所有地の譲渡書類の準備ができたそうだ。あとはあの男の署名だけで終わるから、明日にでも届けると言ってきた」

「……そうですか」

「譲渡されるのはトラジル地方だそうだ。あの地は悪くないぞ。ほどよく南部で、果物の栽培が盛んだったはず。フィオナの嫁入り道具にちょうどいいだろう」


 カーバイン公爵は機嫌がいい。

 しかし、シリルは身支度の確認をしていた鏡の前で振り返った。相変わらず美しい姉は、微笑みを全く浮かべていない。

 どうしたのかと眉をひそめた時、執事が入ってきた。


「フィオナ様に、お客さまでございます」

「私に? どなたかしら」

「ルバート伯爵様でございます」


 フィオナの表情が一瞬、変わった。

 ちょうど姉を見ていたから、シリルはその瞬間を見てしまった。だがそれが何を意味するかを考えている間に、いつもの薄い微笑みが浮かんだ。


「お会いしましょう」


 そう言って、フィオナはそのままルバート伯爵が待つ客間へと向かう。

 シリルは慌てた。


「ちょっと待って。姉さんは今、乗馬服だよ!」

「出かける直前ですもの。問題はないわ」

「せめてもっと華やかな化粧はした方が……いや、姉さんは十分に綺麗だとは思うけど!」

「乗馬服にはこのくらいがちょうどいいと思うわよ」


 軽く肌を整えて、口紅を使っただけの姿で、フィオナは客間へ入っていく。

 一瞬天井を見上げてしまったシリルは、父カーバイン公爵の目配せを受けて、慌てて追いかけていく。

 そして、付き添いとして姉に続いて客間に入った。




「これは、フィオナ嬢! 乗馬服姿も大変にお美しい! でも……シリル君もその姿ということは、出かける直前でしたか。これは失礼しました」

「構いませんわ。急にお見えになるくらいですもの。何かありましたの?」


 立ち上がったルバート伯爵の向かいに座り、フィオナは首を傾げる。

 シリルは二人から少し離れた窓辺に椅子を置いて、そこで本を開いた。付き添いとしてこの場にいるけれど、できるだけ話は聞きませんよ、というアピールだ。


 ルバート伯爵は、シリルにちらりと目を向けてから、改めてフィオナの向かいに座り直した。

 軽く咳払いをして、フィオナを見つめた。


「特に用事はないのです。ただ……近くを通る用事がありましたので、フィオナ嬢のお顔を見に来ました」

「……近くを通る用事……本当かなぁ……」


 窓辺でシリルがつぶやく。

 もちろん、聞こえないように口の中で。もしルバート伯爵にきかれたとしても構わない。

 フィオナは微笑んでいたが、ふと真顔になった。


「そうですか。……そうだわ。せっかくお会いできたのなら、この機会に伺ってみたいことがあります」

「なんでしょうか」

「私は、レイティア様に似ていますか?」


 姉の言葉に、窓辺にいたシリルは本を床に落としそうになった。

 ばさりと膝の上に落ちた本を慌てて拾い上げ、こっそりルバート伯爵を見る。ルバート伯爵は、穏やかな顔に先ほどと同じ微笑みを浮かべているが、頬がわずかに強張っていた。


「失礼ながらフィオナ嬢、その言葉の意図は……」

「そのままですわ。私はレイティア様に……ローグラン侯爵の妻だった方に似ているのかしら?」

「……なぜ、それを私に聞くのでしょうか」

「ルバート伯爵はご存じなのではないかと思ったのです。でも、違ったのならもう忘れてください」


 それだけ言って、立ち上がる。

 フィオナはどちらかといえば小柄だ。しかし姿勢が良いのでもっと背が高く見える。今日のように乗馬服を着て銀髪をすっきり纏めていると、凛々しさすら漂う。

 もう用は済んだと拒絶を滲ませる姿に唖然としたルバート伯爵は、すぐに唇を噛み締め、それからゆっくりと立ち上がった。


「お出かけの前でしたね。私はもう帰りましょう」


 ルバート伯爵は丁寧にそう言って、それから一度うつむいてから顔を上げた。


「……あなたに嘘は付きたくないから、申し上げます。フィオナ嬢、あなたはレイティア殿に似ている。顔立ちは全く違うのに、か細くて気弱だったあの女性が、健康な体で生まれ変わったようで……いつも目を奪われます」


 控えめだった言葉は、すぐに熱心なものに変わる。

 フィオナはじっと聞いていた。

 頬を紅潮させ、熱い視線を向ける男を見つめ、やがて静かに微笑んだ。


「おかしなことをお聞きしてしまいましたわね」

「いいえ」

「これから遠乗りをしますのよ。ルバート伯爵もいらっしゃる?」

「残念ですが、これから屋敷に戻って、領地から来ている者たちに会わねばなりません」


 ルバート伯爵はフィオナの手をとって、恭しく口づけの形をとる。

 まだ、肌に唇を押し付けることはしない。

 その礼儀正しさにシリルは感心する。同時に、この男の控えめな態度の理由がレイティアではないことを望んでしまう。

 ひどく痩せて、長く生きられなかったという先王の落とし子。

 姉フィオナは彼女に似ているから、ルバート伯爵は一歩も二歩も引いてしまうのではないか。そんな疑いなど持ちたくはないのだ。



「……あの方、私を見ているのかしら」


 ルバート伯爵の馬車が遠ざかるのを見送るフィオナのつぶやきは、シリルの懸念と同じだった。

 ぎくりと姉を見る。

 しかしフィオナは、微笑みながら乗馬用の帽子をかぶっているところだった。


「さあ、シリル。出かけるわよ!」


 そう告げる声は、いつもより明るく聞こえた。

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