第30話 緊迫した夜会


 その日の夜会は、いつになく緊迫した空気が流れていた。

 貴族たちは数人で集まり、声をひそめながら囁き合う。普段からあらゆる情報をかけ集めている貴族たちは、他の情報を求めて夜会に押しかけている。

 フィオナが会場に姿を現したのはそんな時で、美しい銀髪の令嬢を見た瞬間、貴族たちは一斉に口を閉ざした。


「やっぱり、王都の貴族たちに情報が広がるのは早いな」


 姉に続いて会場に入ったシリルは、笑顔を周囲にむけながらそっとつぶやく。

 肩越しに弟を振り返ったフィオナはさらりと扇子を広げ、薄く微笑んだ。


「わざわざ喧伝する必要がないから、楽でいいわね」

「まあ、そうなんだけどね。どの程度の精度なのか知りたいところだけど、姉さんの信奉者たちは今夜はそばに来てくれないかもしれないな」

「寂しいけれど仕方がないわ。……あら、でもシリルのお友達は来てくれるようよ」


 姉の言葉に、シリルが振り返る。

 近寄ってくるのは、深刻そうな顔のエリオットだった。

 いつもなら笑顔でまずフィオナに挨拶するのに、真っ直ぐにシリルに声をかけた。


「シリル! 君たちは本気なのか!?」

「ん? 何のことかな?」

「カーバイン領の軍を動かしたそうじゃないか! いったい何があったんだ!」

「ははは。ただの行軍訓練だよ。まあ、その後の展開次第ではあるけどね」


 笑顔のシリルの言葉に、エリオットは一瞬息を呑んだ。

 それからようやく周囲の視線に気付き、慌てて笑顔を浮かべてフィオナに丁寧な礼をした。


「フィオナ嬢、ご挨拶が遅れて失礼しました。……あちらの席で少しお話を伺ってもよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ。案内してくださる?」

「その栄誉をいただけるのなら」


 エリオットは恭しく手を差し出す。

 フィオナはその少し震えている手にエスコートを任せ、壁際にあった椅子へとすわる。

 いつもならすぐに若い令嬢たちが集まるのに、やってきたのはエリオットとの婚約が秒読みと言われているジュリアだけだった。


「それで、ダーシル男爵は何を知りたいのかしら?」

「エリオットと呼んでください。……カーバイン公爵軍が、南に進んでいるという噂があります」

「確かに南に向かっているわね。南部は気候がいいんですもの」

「……まさか、私闘許可が降りているのですか?」


 硬いエリオットの言葉に、フィオナは静かに微笑んだ。

 本来の薄い表情ではなく、鏡の前で練習した柔らかな慈愛深い微笑みでもない。父カーバイン公爵が見せるような、本心を探らせないものだ。


 王国内で、貴族同士が紛争を起こすことは少なくない。

 しかし、大掛かりな他領への侵攻は国内を乱すとして禁じられている。例外は、国王に「私闘許可」を与えられた場合のみだ。

 貴族同士の紛争が王国全体に広がる可能性はあるし、矛先が王家に向かわないとも限らない。だから通常はそう簡単には許可は出ない。

 ただし、カーバイン家は公爵。特権的に「私闘許可」を得やすい。


 だからエリオットや他の貴族たちは、カーバイン公爵家が私闘許可を得たと考えたのだろう。

 実際は、申請を出す前に用意されていたのだが、それはここで披露することではない。


 フィオナは扇子を広げながら、会場に目を向ける。

 チラチラとこちらを気にしている貴族たちの表情を探りつつ、何かを探すように隅々まで目を向けている。

 そんな姉フィオナを見ながら、シリルはさり気なく友人に質問した。


「それで、エリオット。ここではどんな噂が流れている?」

「いろいろだよ。一番派手な噂は、カーバイン公爵が軍を動かしたのは、隣国への侵攻の準備なのではないかというものだね。交易で利益を得ている貴族たちは慌てている。ボース侯爵がカーバイン公爵の怒りを買ったらしい、という噂もあるが……」


 エリオットは言葉を切り、フィオナに視線を向けて苦笑する。しかし、シリルはのんびりとした顔で軽く首を傾げた。


「ボース侯爵? なぜあの人の名前が上がったのだろう」

「それは、シリル様がボース侯爵に釘を刺したからではありませんか? 王宮で立ち話をしていたという噂も聞きました」

「ジュリア嬢、それのどこがおかしいのかな? 立ち話はしたけど、そんなことはいつものことだろう?」

「立ち話の後、その場にいたボース侯爵の書記官が走り書きの辞表を押し付けて逃げ出したそうではありませんか。普通ではないと思いますわよ。その……いつかの夜会のことで、フィオナ様の評判を落とすような噂を流したのはあの方だったのではありませんか? もしかしたら、さらにフィオナ様を脅迫しようとしていたのでは……」

「さて、どうだったかな。でも、そういうこともあったかもしれないね。僕は姉思いの弟だから」


 シリルはにっこりと笑った。

 エリオットとジュリアは顔を見合わせた。でもそれ以上は言葉にせず、硬い顔で口を閉ざす。

 フィオナの前だから口にすることを控えているが、ボース侯爵がフィオナを揺さぶろうとしたのは事実のようだ。

 そして、それをシリルが単独で抑え込んだらしい。


 しかしシリルの反応を見ると、その件は今回は関係がないようだ。

 とすると、カーバイン家が公爵軍を動かした理由は……。

 二人が密かに確信してしまった時、フィオナがパタリと扇子を閉じた。


「……やっと来たわ」


 待ち焦がれたようにつぶやく。

 フィオナが見ているその人物を見て、エリオットは顔を強張らせてジュリアの手を握り、さりげなく、でも強引に離れていく。

 立ち位置を変えたシリルは、姉フィオナの前で足を止めた背の高い男に爽やかに笑いかけた。


「ローグラン侯爵、遅いから今夜はお会いできないかと心配していましたよ!」

「来るつもりはなかったが、こんなものが送られてきたからな」


 胸のポケットに入れていた手紙を見せたローグラン侯爵は、笑っていない。固い表情で眉をひそめている。

 離れたところでエリオットが少し首を伸ばしたが、今度はジュリアがそれを止める。

 そんな二人を見たシリルは「仲が良いな」とひそかにつぶやいた。


 シリルは手紙の内容を知っている。同様にフィオナも目の前で父カーバイン公爵が書き上げるのを見ているはずだが、ローグラン侯爵が持つ手紙を興味深そうに見ている。

 カーバイン公爵直筆の文面は、とても単純だ。


『ローグラン領に向けて兵を動かした。

 現ローグラン侯爵の引退を求める。

 要求に応じない場合は侵攻を開始する。

 理由は貴殿ならば思い当たることがあるだろう』


 通常の手紙にあるような時候の挨拶はないし、結びの一文は『賢明なる決断を望む』という好戦的なもの。

 カーバイン公爵の署名があり、紙には紋章が精緻に描かれているから正式の文書だ。

 ローグラン侯爵は手にした手紙に目を落とす。傷痕のある口元がわずかに歪んだ。

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