平和な夜会

第22話 平和な夜会


 その日の夜会も、フィオナがシリルを引き連れて顔を出すと、途端に若い男女が目を輝かせて集まった。

 熱の入った挨拶の合間に、婚約を報告したり、幼馴染との結婚を決意して領地に戻る報告があったりするのもいつも通り。

 相変わらずフィオナがいる周りは賑やかだ。


 だが、内心と切り離した慈愛深い笑顔で乗り切っていたフィオナは、一息ついたところで首をかしげた。

 何かが、いつもと違う気がする。

 意図しない縁結びの結果は散々見せつけられたものの、今夜はなんだか平和すぎるのだ。

 しばらく考え込み、顔見知りの貴族との挨拶を終えて戻ってきたシリルにそっと聞いてみた。


「シリル。今夜はなんだか平和な気がしない?」

「ん? そうかな。今日は三組の婚約の報告があったし、領地に戻る決意表明も二件あったし、十分に波乱があったと思うけど」

「そ、それはもう想定内よ! ……でも、やっぱり平和すぎる気がするわ。なぜかしら」

「平和なことはいいことだと思うけど……」


 シリルは首を傾げ、くるりと夜会の会場に目を向ける。

 ダンスは今は始まっていないが、若い男女が楽しそうに会話をしているし、すでに婚約済みの青年たちは衛兵のようにフィオナの近くに控えている。異性に目もくれない令嬢も何人かいるが、そういう令嬢たちはうっとりとフィオナを見つめている。

 極めていつも通りだ。

 今流れている静かな音楽が軽やかな舞曲になれば、会場は一気に盛り上がるはず。どこにも問題があるようには思えない。

 そう考えて、ふと気がついた。


「そうか、彼がいないからか!」

「彼って?」

「ローグラン侯爵だよ。あの人が姉さんのところに来ないから平和なんだよ。……あれ? そう言えば今夜は全然見かけていないな。絶対に来ると思ったから、無理を言って父上を引っ張り出してきたのに」


 シリルは不思議そうな顔をして会場中を見回している。

 珍しく父カーバイン公爵が同行してくれたのはそう言うことだったのか、とフィオナは今さら弟の行動力に感心する。

 そのカーバイン公爵も、なんだか気が抜けたような顔をしていた。


「シリルに言われるまでもなく、私もあの男を牽制する時期が来たと思っていたのだよ。他の若造どもはともかく、あの男にはビシッと言うべきだと思ったのでな」

「……父上。ちなみにどんなことをビシッと言うつもりだったんです?」

「それはもちろん、『私の目が黒いうちは、娘を火遊びの相手にはさせない』だ!」

「…………それ、火遊びじゃなかったら大丈夫、とも取れるんですが?!」

「ん? そうか? 私とて鬼ではないのだ。真面目な話なら聞かないでもないぞ。生半可な覚悟の小僧どもは追い払うだけだがな!」


 楽しげに笑っているが、カーバイン公爵の目は冷たい。

 あの目で見据えられて平気な人間は少ないだろう。それでもまだフィオナを望む男がいるとすれば、確かに本気なのだろう。シリルは苦笑しながら納得してしまった。


 父と弟の会話を聞き流すフィオナは、ひらりと扇子を広げる。

 実に平和だ。

 カーバイン公爵が来ているからか、いつもより年配で高位の貴族たちが話しかけて来るが、ピリピリした空気にはならない。

 むしろ、フィオナに話しかける男性は増えた気がする。


「……でも、少し退屈ね」


 フィオナは扇子の影でつぶやいた。



   ◇



「……あの令嬢は、どなたですか?」


 会場の隅で立ち話をしていた人物がつぶやいた。

 穏やかなそうな表情の、なかなか端正な顔立ちの男性で、年齢は二十代後半というところ。もしかしたら三十歳が近いかもしれない。

 そんな男性が、青い目を大きく見開いて誰かをじっと見ている。

 立ち話をしていた相手は視線の方向をたどったが、薄い笑みを浮かべたまま、困ったように首を傾げてみせた。


「ルバート伯爵。今夜は令嬢は数多といるのだが」

「失礼しました! カーバイン公爵の隣にいる人です。シリル君の婚約者なのかな」

「……その令嬢は銀髪だろうか」

「そうです。少し小柄で、姿勢が良くて……ああ、とても美しい女性だ」


 ルバート伯爵は独り言のようにつぶやき、うっとりとため息をもらした。

 立ち話の相手はその横顔を見つめ、それから広間の反対側にいるカーバイン公爵一家に目を向けた。


「ルバート伯爵は、あの女性とはまだ会っていなかったのか」

「お恥ずかしい。私は王都に出向くことすら稀な上に、夜会も久しぶりですから。もしかして、あの女性のことはご存じですか?」

「もちろん、よく知っていますよ。あの女性はカーバイン公爵のご令嬢だから」

「……カーバイン公爵の? ではエミリア殿の娘? 名前は確か……フィオナ嬢だ!」


 領地に篭りっきりゆえに「変わり者伯爵」と言われているが、実際のルバート伯爵は極めて優秀な人物。

 すぐに思い当たったようで、名前もすぐに出てきた。

 その間も、ルバート伯爵の目は静かに微笑み続ける令嬢を見つめていた。

 立ち話の相手は、少し頬を紅潮させた伯爵をじっと見ていたが、薄い微笑みを浮かべたまま背を向けて、少し前に入ってきた出入り口へと足を踏み出した。


「おや、侯爵はどちらへ?」

「今夜は急用が入っていて、顔だけを出すつもりだったのですよ。結局遅刻しましたが、主催者への挨拶は終えたのでこれで失礼しようかと」

「そうですか。それはお引き留めして失礼しました!」


 ルバート伯爵は、慌てたようにそういった。

 しかし、すぐに関心はフィオナに戻ったようで、すぐにカーバイン公爵のところへと向かっていく。

 一見するとのんびりした穏やかな人物に見えるが、東部に広大な領地を持つ人物だ。直接カーバイン公爵に挨拶に行くだけの地位はあるし、行動力もある。


 その後ろ姿を見送ったもう一人の人物は、静かに会場を後にする。

 待たせていた馬車に乗り込んで、馬車が動きだすと、わずかに癖のある黒髪をかきあげる。暗い車内で目を閉じ、ふうっと深く長いため息をついた。

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