第10話 再挑戦


 ローデリッツ伯爵主催の夜会の日。

 出席する貴族たちが続々と到着する中、ひときわ豪華な馬車が停まった。

 車寄せで降り立ったばかりの人々だけでなく、建物の中へと入ろうとしていた人々まで立ち止まり、階段の途中でも振り返り、目を丸くしている。

 そんな視線の中、軽やかに馬車から降り立ったのはカーバイン公爵の長男シリル。夜会用の華麗な衣装を隙なく着こなし、目があった人々には気やすい微笑みを返す。


 しかし、馬車を振り返った時、シリルはこっそりとため息をついた。

 人々の注目を集めるカーバイン公爵家の馬車の奥から、美しいドレスの裾がのぞく。姉フィオナのために手を差し出しながら、シリルは気弱そうな微笑みを浮かべた。


「……姉さん、やっぱり今日は帰ろうとかなー、なんて考えには……なっていないよね……」


 断言を避けた、極めて遠回しな言い方だ。

 しかし、弟の手を借りてしなやかに馬車を降りてきたフィオナは、そんな弟の密かな懇願を無視する。

 すっと伸びた背筋と優雅な身のこなしのおかげで、どちらかと言えば背が低いことを見るものに感じさせない。公爵令嬢の生まれにふさわしい堂々とした様子で顔を真っ直ぐに上げ、これから乗り込む美しい夜会の会場をきりりと見据えた。


「まだ最初の挑戦がうまくいかなかっただけでしょう? 今後も夜会への出席を続ければ、私の男漁りが本気だということが皆に伝わるのではないかしら」

「……いや、まあ、そうなんだろうけどね? 今回はいい具合に出席者の年齢層が高そうだから、姉さんに怖気付かない男性陣も多そうだと思うけどね? でもやっぱりこういうのはどうなんだろう?! それから『男漁り』なんて言った僕が悪かったから、その言い方もやめようよ?!」

「あら、ぴったりの言葉を教えてくれたと感謝しているわよ。さあ、今夜こそいい縁を探しましょう!」


 完璧なドレス姿で、フィオナは微笑む。

 シリルが絶望しながら指導しただけあり、離れたところから見ていた人々まで思わず見入ってしまうほど美しい笑顔だ。

 フィオナは努力を惜しむことはない。そしてその努力を実らせる能力も持っている。そのことはシリルも認めているし、どう見ても人形令嬢から卒業した姉はすごいと思っている。


(でも、この笑顔で「男漁り」なんて言っちゃう人なんだよなぁ……)


 どうしてそこは淑女らしさにこだわらないのだろう。

 無駄にやる気に溢れた姉に、シリルはまたため息をつく。


 しかし、シリルは父カーバイン公爵から姉のことを頼まれている。婚約者に逃げられ続けているフィオナを不憫と思うなら、良い相手を探すことを手伝え!という命令であり、同時にちょっと抜けたところのあるフィオナの暴走をできるだけ制御しろという懇願でもある。


(まあ、姉さんは王太子妃になるための勉強をしていた人だし、意外に常識もあるし、きっとなるようになる……はずだよね?!)


 シリルは、不安を懸命に抑えながら自分に言い聞かせる。

 姉をエスコートしながらさりげなく目を配り、何人かの男たちが興味深そうに身を乗り出したのを確認する。

 姉が望んだ通り、男漁りに……結婚相手を探しにきていると認識されたようだ。

 そんな男たちを見て、シリルの頭がすうっと冷えていく。


(……そうだった。今日は姉さんの補助をするために来たのだった。よし、遊び目的の男はサクッと追い払おう)


 冷静さを取り戻したシリルは、驚いた顔をしている高齢のご婦人に爽やかな笑顔を向けつつ、密かに決意を新たにした。




 会場に入ると、一瞬広間の中が騒ついた。

 あのカーバイン公爵家の姉弟がまた来ているなんて、一体何があったのだと囁き合っている。

 フィオナは満足そうにしているが、シリルは密かに集まる視線に神経を尖らせていた。今夜は番犬業がはかどりそうだと考えていると、すすっと若い男たちが集まってきた。


 いずれもシリルと近い年齢の青年たち。

 見覚えがある顔ばかりで、シリルは密かに緊張を解く。

 先日の夜会でリンゴ談義をした青年たちだった。


「カーバイン公爵令嬢! お会いできて光栄です!」

「あら、あなた方。でも堅苦しいのは疲れるから、フィオナと呼んでくださる?」


 フィオナはとっておきの笑顔を向ける。

 練習の賜物である作り物とはいえ、ごく自然で美しい笑顔に青年たちはぽーっとしたが、呆れ気味のシリルの視線に我に返って姿勢を正した。


「では、フィオナ様と呼ばせていただきます!」

「……え、そこは普通にフィオナさんとか、そういう気楽なものでいいのに……」

「まさか、今日もお会いできるとは思いませんでしたが、ローデリッツ伯爵家に縁がある者が主催者と交渉して、フィオナ様とシリル様のためにいい席を用意しました! さあ、ご案内します!」


 思い描いた反応ではないのでフィオナはひっそり困惑しているが、青年たちは全く気づいていない。

 目をキラキラと輝かせ、まるで騎士が女王を前にしているかのようにびしりと姿勢を正して整列している。

 ……何かが違う。

 フィオナはぼんやりとそう考えたが、青年たちは道を開けてフィオナとシリルを待っている。


「……ねぇ、シリル。これってどういうことなの?」

「ごめん、姉さん。僕もこういうのは初めてで意味がわからない」


 表面上は微笑んでいるのに、姉に囁き返したシリルは確かに困惑しているようだ。

 ならば、自分が訳がわからなくても当たり前なのだろう。

 そう考え、今までの殻を破るために来ているのだと思い出す。


(そうよ。若い男たちを従える二十一歳の女だなんて、ちょっと大人の悪女っぽくていいんじゃないかしら?)


 少なくとも「結婚できない人形令嬢」と呼ばれるより、色っぽい気がする。

 そう結論を出したフィオナは、機嫌よく足を踏み出す。

 番犬役を自認しているシリルも、渋々姉に従った。

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