第40話 世界の車窓から見える、旅人のプライド

「世界の車窓から」、と言う番組でこの列車が特集されて以来、ずっと見たかった景色が目の前に現れる。左に海を見ながら北へと走る。真っ青な海とヤシの木がそよぐ様は愉快だし、頬を撫でる熱い風は何とも心地よい。窓もドアもほぼ全開のまま。海岸沿いにヤシの木々を駆け抜けて走る列車は日本では味わえない風景。

 途中駅のヒッカドゥワを過ぎたあたりからサンセットが一番美しく輝きだす時間に突入する。結構途中でお客さんが降りていくから、私は座席に足を延ばして太陽と対峙しながらこの贅沢な時間を過ごすことができた。インド洋に落ちていく太陽は言葉を失う美しさだと、訪れた人は皆、語る。私もこの美しさを能辯に語りたいのだが、全く言葉が浮かばない。夕日を前にして改めて自身の語彙力のなさを痛感する。

 私がただただサンセットを前にして絶句している向かい側の席では、地元の友人同士だろうか、怒鳴りあうようにして話し込んでいた。というのも、列車が老朽化のせいで揺れは激しく、音は異様なうめき声をあげるため。隣同士の会話も怒鳴り合わないと成立しないのだ。これは非常にもったいないことだ。

 ベントータのビーチ沿いでは、現地の人々がバレーボールに夢中になっている、非常に健康的な姿を目にすることができた。物質、文明的にはこの国の人々は恵まれていないかもしれないけど、心は日本人より元気で健康なんじゃないかな、と思った瞬間でもあった。

 「世界の車窓から」のテーマ曲を脳内で自動再生しながら、美しい夕日色に染まる波をいつまでも数え続けた。コロンボフォート駅に到着するまで、私はその作業を倦むことを知らなかった。

 18時過ぎ、コロンボフォート駅に到着。駅構内の喧騒で一気に夕日から得た興奮は一気に冷めた。帰宅ラッシュのようで、民族大移動のような熱気が充満している。やっとの思いで改札を抜け、公道にたどり着いたときには、近寄ってくるトゥクトゥクドライバーを睨み返す気力すらも削ぎ取られていた。

ともかく黙って宿方向に向けて歩いていたら、それはそれで不気味だったのか、気づけば誰も勧誘をしてこなくなっていた。

 夕飯場所を探すバイタリティーも皆無。宿に向かう道中、バーガーキングがあったのでテイクアウトすることにし、宿で食べることにした。ワッパーセットで1000ルピー。この国ではファストフードのバーガーキングは高級食のようだ。

 宿に到着し、すぐリビングへ向かうと、先客がいた。中国人かな?と思い、

「ハロー?」

と声をかけたら、日本人ですよ、と返された。すみません、と謝り、向かい合わせに座った。彼はバーガーキングの向かいにあったピザハットでテイクアウトしたピザにかぶりついていた。

「ゴールでも行ってきたの?」

「何で分かるんですか?」

「顔がやけどしているから。」

 思わず頬に手を当てた。確かに顔が熱い。ゴール~コロンボ間の2時間半近く、夢中になって夕日と会話を楽しんでいた為、酷く顔が焼けてしまっていた。

「この宿はね、日本人ばっかり宿泊するんだよ。で、大体ゴールへ日帰りツアーを決行する。で、あなたのように顔をやけどして戻ってくる。海遊びですか?」

 世界の車窓から、と言う番組で見た光景が忘れられず、夕日を眺めたり、波を数えていたんだ、と答えたら、彼のピザを持つ手が止まった。そして水を得た魚のような、生き生きとした表情をこちらに向けてきた。

 旅好きの同類と見たのだろう。彼は堰を切ったように、旅の面白さや今まで行った国のエピソードを話し始めた。

 エジプトで食べた蝙蝠の気色悪さ、ネパールとパキスタン、スリランカはだいたい同じものを食べているが、国民性が違うことなど、食べ物と絡ませながら分かりやすく、そして語ってくれた。

「スリランカではどこを回ってきたの?」

 ネゴンボからスタートして文化三角地帯を回って、など解説していく。話が分かる人が目の前にいると無駄に饒舌になるものだ。アダムスピークでの、どうでもいいエピソードまで話したら、さして驚かれもせず

「俺、トルコのゲストハウスで同室になった男に襲われそうになったよ。」

と私の買ったポテトをつまみ食いしながら、飄々とした顔で話す。私が言葉を失っていると、たまにあるよ、と軽く返してきた。そして今まで何か国ほど旅をしてきたのか、と聞いてきた。

「おそらく25ほどだと思います。」

「じゃあ、まだ驚くことばかりだよ。俺みたいに100近く、いろんな国をうろつくと、大したことじゃ驚かなくなるんだよ。似たようなこともいっぱい経験するし、この国なら、きっとこういうトラブルもあるよね、みたいに先が読めるようにもなるし。トラブル自体も楽しめるようになる。」

 そう話ながら、ピクルス食べていい?と私がバーガーから抜き取った苦手なピクルスを旨そうに口へ運んだ。

「そんなにいろんな国に行けるって、すごいです。憧れです。」

 彼の話を聞いていたらお腹がいっぱいになってきて、全てのポテトをどうぞ、どうぞと彼の方へ向けて、ポツンとつぶやいた。

「あぁ、俺、積み荷のない船だから。」

「積み荷のない船?」

「そう。ありがとう。」

 私の上げたポテトに馬鹿みたいにケチャップを付ける。


積み荷のない船??


「積み荷って人によってどう解釈するかはいろいろあると思うけどさ、俺には責任がないんだよ。例えば家族を養うとか、親の介護をしなきゃならないとか。そういう積み荷がないの。」

 ごちそうさま、と彼はポテトの入っていたか紙袋をこちらに返してきた。

「次、この国へ旅したいな、とか予定はあるんですか?」

「ないよ。俺、積み荷がないから、ふらふら漂っているだけなんだよ。来年は南極あたりを漂流してるんじゃないの?」

 そう言うと彼は大げさに声を出して笑った。でも目は決して笑っていなかった。


 シャワーを浴びて、布団にもぐりこんでからも、積み荷のない船、というフ

レーズは脳裏から離れなかった。

 私も似たようなものではないだろうか。独身で積み荷も背負っていない。だ

から自由に長期休みを利用して海外を飛び回ることができたのだ。彼は積み荷

がない、とあえてその言葉を選んだような気がする。積み荷から逃げてきた、

とは口には出さなかった。それは旅人のプライドに賭けた最後の抵抗だろう。

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