第30話 聞かせたい、深夜のさえずり

【9日目、アダムスピーク。睡眠不足でも登頂できる山でよかった。】                

 

 寝たのか、ただ眼を閉じていたのか。

 時刻は午前1時30分を指している。いや、寝ていないな。昨晩、助けてくれた隣室のカップルを悪く言いたくはないが、夜のさえずりがやかましくて貴重な仮眠時間を妨害されてしまった。壁があほみたいに薄いようで、耳栓をしても、その隙間を上手に見つけて2人の熱唱は体内に入ってきた。聞かせようとしているのだな、と勘ぐらずにはいられないほどだった。隣にやたら声だけは大きい日本人女性がいることをすっかり忘れているようで、ライブショーは23時過ぎまで繰り広げられた。

山登りの後、よく夜のスポーツをする体力が残っているものである。


 頭がぼーっとしている。

あまり寝てもいないし、山登りは中止にしようか、と言う思いもよぎる。しかし、ここまで来て登らないのもなぁ、もう2度とこない場所だろうし、と一人悶々としながら、とりあえず顔を作り始める。


 アダムスピーク(別名:スリーパーダ)。ガイドブックを読んで、世界遺産か、ならば行きたいなと思った場所だ。4大宗教(キリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラーム教)の聖地である。頂上付近にある1.8mの岩にある穴が足跡に似ており、仏教徒は仏陀の足跡、ヒンドゥー教徒はシヴァ神の足跡と、イスラーム教徒は人類始祖のアダムの足跡、キリスト教徒は聖トーマスの足跡に見立てる。アダムスピークという名前は、イスラーム教徒の主張するアダムの足跡に基づく呼び名である。

 信者による巡礼が絶えないこの山に登ると、何かご利益があるか知らん、とミーハな気持ちで登山を決めた。

 顔に日焼け止めクリームを塗りたくっていると、少し目も覚めてきた。リュックサックにありったけの食料を詰め込み、バリケードを崩し始めた。

 6時20分のご来光に合わせたいので、2時に宿を出た。登山道入口には、商店とレストランが併設された施設があり、明かりが煌々とついていた。どうも24時間営業らしい。

 その商店の左脇の道を進むこと15分。スリーパーダの正式なゲートに到着した。登山道は一本道だし、深夜出発なのにもかかわらず登山者も多いから非常に分かりやすい。念のために懐中電灯も持参したが、街灯もあるから要らなかった。

 まずこのゲートで手首に白い紐を結んで頂く。これは釈迦が昔、破れた衣をつくろった伝説から、始まったものらしい。オレンジ色の袈裟を着た修行僧らしき人物が登山客一人一人に対して丁寧に、手首に紐を結んでいた。

 私はジャージとスニーカースタイルで覚悟を決めたのだが、現地の方は布を体に巻き、足はサンダルもしくは裸足と言うラフな出で立ちが目立った。登山と言うより散歩するような装いである。階段ばかりだからかもしれない。

 今は非常に居心地の良い温度。しかし、山頂は寒いだろうなぁ。登山客の中には毛布を担いで登っている人も見受けられる。

 参道にはずっと露店があって7割方営業している。登山道も整備されており、トイレも40~1時間ごとに設置してあった。所々に涅槃像や仏像が設置されていたり、ヒンズー教の神であるガネーシャの像や、イスラームの建物があったりと、多様な信者に対応したちょっとした宗教テーマパークになっているのだな、と言う印象を受けた。

 目は覚めたといっても体の隅々まで起きているわけではない。のろのろと歩く私の横を、3~4歳くらいの子供が元気に追い抜かしていく。こんな深夜から家族連れで登山するのか。確かに昼間は異常に暑い。ご来光は別として、登りやすい時間帯に巡礼すると習慣があるのかもしれない。

募金箱も所々に設置されている。しかし椅子などの休憩できるスペースすらないから、誰も募金しない。みんな無視していく。

 裸足で登る人もいるなぁ…と思っていたところに突如出現したのは、日本山妙法寺。藤井日達創設の法華宗系の宗教団体であり、東京の日本山妙法寺多摩道場に事務局が置かれている。そして世界各地で平和運動を展開していることで知られている。  

 ここではボランティアをすれば無料で宿泊させてくれると旅仲間から聞いていたものの、あまり評判もよろしくないので、端からここに宿泊することは検討しなかった。日本寺妙法寺はスリランカだけでなくインド、ネパール、イギリス、オーストリア、イタリア、アメリカにもある。入口に豆電球がついているだけで、人の気配は感じなかったが、日本人のお坊さんがしっかりと管理しているという。これからの登山の無事を祈り、手だけ合わせた。この時点で3時を少し過ぎていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る