08.原点 6

「……話を聞くのが役目だからね。いいよ」

「ありがたく存じます」

 二人が恭しく頭を下げる。それから、兄はカルハイ、弟はインドリだと名乗った。

「あなたは、人の願いを何でも叶えられる、霊験あらたかなお方。そのお力で多くの人々をお救いしてきたことも、よく存じております。今も神殿の外には、願いを胸に抱いた多くの人々が集まっています」

 ナートは神殿の奥深くにいて、外がどうなっているのかまったく分からないが、たぶん彼の言う通りの状況なのだろう。

「人が集まれば、諍いも起きやすくなります。現に、我ら兄弟が神殿にたどり着き、拝謁の番を待つ一月の間にも、何度も起きました。刃傷沙汰になったこともございます」

 背後に控える護衛が、何を言うか、と声を荒らげる。ナートは再び手を挙げて制した。

「どんな内容でも、外の様子は聞きたい。僕はもう長いこと太陽を見ていないから」

 そう言うと、より悲しげな顔をしたのはインドリの方だった。

 本当に、不思議な二人だ。ナートの姿を見るや、駆け寄ってすぐにも手を握ろうとする者も少なくないのに、彼らはそれをしないどころか、願い事とは関係なさそうな話を長々とする。

「我々がこんなことを言うのはおこがましいでしょうが、なんとおいたわしい……」

「貴様ら、願いがないのなら帰れ! ナート様には、いつまでも与太話に付き合う時間はない!」

 護衛がますます大きな声を上げる。

「いいよ、僕が許す。与太話でも何でも、僕と長く話そうとする人なんて、今ではほとんどいない」

 背後をちらりと見ると、護衛は気まずそうな顔で押し黙った。

 同時に、ナートは自分でも驚いていた。心はとおの昔に冷えて固まり、もう動かないと思っていたのに、彼らの話をもっと聞きたくなっていたのだ。

「……本当に、おいたわしい」

 カルハイが前に進み、護衛が制止の声を上げる前に、ナートの手を握った。大きな掌の皮膚は厚く、けれど彼の温もりはしっかりと感じられた。

「わたしはこれからあなたに願い事をしようとしているのに」

「……願い事は、何? 何でもいいよ」

 果たして彼には、どんな願い事があるのだろうか。参拝者の願い事にはほとんど興味を持たなかったが、今は別だ。

「わたしがそれを口にしたら、たちまち叶うのでしょうか?」

「叶うよ。僕の手を握っているからね」

 すると、カルハイは振り返ってインドリに目配せした。

「兄に代わり、わたしが兄の願い事を申し上げます」

「なるほど、それなら君の願いは叶わないね。でも何故そんなことをするの?」

「一つ伺いたいことがございます、と申し上げたでしょう」

「ああ、そうだったね」

「単刀直入に申し上げますと、我々は、あなたに眠っていただきたいのです。あなたの力は多くの人々を救います。けれど同時に、多くの争いごとも招きます。今も、外では些細な争いが起きているでしょう」

 護衛が何か言おうとするが、インドリはそれを遮るようにまくし立てた。けれど口調に責めたり詰ったりするものではなかった。

「ご存じですか、あなたのお身柄を手に入れようとする者が大勢いて、その連中とこの神殿の者たちの間で、何度も大きな衝突が起きていることを」

「……そんなことが?」

 それは、噂でも耳にしたことがない。

「貴様、なんということを願おうとしているんだ。その手を離せ!」

 抜刀する音が聞こえた。ナートはカルハイの手をしっかりと握り、振り返る。

「動かないで、話はまだ終わっていない」

 護衛は剣を抜きかけたまま、悔しげな顔で動きを止める。

「……あなたが眠れば、争いは収まるでしょう。そのような願いでも、あなたは叶えて下さいますか」

「僕にずっと眠っていてほしい、ということだよね? 叶うだろうね、そうと願えば」

「よろしいのですか?」

 ナートの手に、カルハイはもう一方の手を重ねる。

「いいよ、別に」

「ナート様!」

「僕は……疲れたんだ。本当はとっくの昔に死んでいていいはずなのに、ちっとも年を取らないし、なのに全然どこにも行けないし」

「……一人でお眠りになるのは、寂しいかと。僭越ながら、わたしがあなたと共に眠ります」

「君が? 僕とずっと一緒に眠るというの?」

 ナートはインドリを見、手を握っているカルハイを見る。二人とも、小さく頷いた。

「一緒に眠ってくれるのはありがたいけど、ずっとは気の毒だよ」

「では、百年。百年の間、共に眠ります。百年経ったら、次の者と交代しましょう。そうすれば、あなたはずっと、一人ではない」

 百年というのがどれほど長い時か、時間から切り離されたナートは、すっかり忘れていた。

 護衛がやめろと叫ぶ。もう一人が、ナートから引きはがそうと、カルハイに向かって手を伸ばす。けれどその手が届く前に、カルハイは願い事を口にした。

 心地よい眠気がナートに忍び寄ってくる。手を握られている感触は遠くなり、護衛たちがカルハイに飛びかかる光景も遠ざかる。

 ああ、ひどい目に遭わされないといいけれど。

 彼ら兄弟は、争いを呼び込む化け物にこびることなく、恐れるでもなく、拒絶するのでもなく、優しく包み込んでくれたのだ。

「兄のことは心配いりません。今はゆっくりお眠り下さい」

 姿ははっきり見えないが、インドリの声がすぐそばで聞こえた。

 眠くてどうしようもなく、夜に包まれたように周囲は真っ暗になっていた。

 けれど共に眠るインドリの存在を近くに感じ、ナートは安堵して目を閉じた。

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