第3話

 山間の道は舗装されておらず、ごつごつとした地面は自転車のタイヤにとってダメージが少なからずあった。ペダルをこぐたびにがたがたとシートが揺れたし、尖った岩でタイヤがパンクしないかずっと心配していた。


 山肌の一角に、明らかに自然にできたものではない、建物が見える。どうやらそこまで道は続いているようだ。道がなければ客が来るはずもないのだから、当然だが。しかしながら車で来る客のことを想定していないのだろうか?


 建物の正面に来ると、その異様さがはっきりとわかる。鬱蒼とした森の中に忽然とそれは建っている。悪趣味なほどカラフルな壁。天井がドーム状の、外国の寺院のような風格。


 宿泊施設『オメヨ館』。あの夢を見てからインターネットでその名前を調べると、知る人ぞ知る名所とのことだった。一般の民宿に寝泊まりすれば騒ぎを避けられないような高級モデルが、骨休めにお忍びで来ることもあると書いてあった。


 ぼくの財布にはへそくりの五万円を入れてある。どんな高級ホテルだろうが、一泊くらいは大丈夫だと思う。自転車でずっと来たので交通費は実質ゼロだ。


 ここに来なければならない。それほどの魔力が、夢で見た影の少女の声にはあった。成熟しきっていないが、どこか蠱惑的な声音。それはぼくを惹きつけるに十分すぎた。


 このホテルに来たところで何が起きるのか。それはわからない。でもぼくには、あの声を無視することはできなかった。建物に駐車場はない。入り口が見えているので、壁の脇の目立たない部分に自転車を泊めた。


 入り口は自動ドアだった。室内は宿泊施設にしては薄暗いが、何となく心地がいい。不安をあおる闇ではなく、寝室のような安堵させる暗さだった。


 ロビーには椅子が円形に並び、中央のテーブルをはさんで四人がゲームに興じていた。さらに奥にカウンターがある。タキシードを着た従業員がかかしのように突っ立っていた。ぼくはカウンターに行き、従業員に話しかけた。


「高校生、一人お願いします」

 ……かしこまりました。

「ぼくの名前は『    』です」

 ……そうですか。『    』様ですね。

「何泊するかとか、訊かないんですか?」

 ……ここは後払い制です。どうぞお気に召すまま、ごゆるりとお過ごしください。

「部屋の鍵をお願いします」

 ……お客様は五〇二号室でございます。今ご用意いたします。


 ぶつぶつと歯切れの悪い喋り方をするなと思った。おまけに表情も曇っている。接客業らしい明るさは彼に皆無だった。早く帰りたい、としか考えていないのだろうか。


 鍵を渡されると、ぼくはそれを取ってカウンター脇のエレベーターに行った。上に行くボタンを押して、しばし待つ。ちん、と小気味よい音がして、左右に扉が開いた。


 エレベーターに乗る前、ちらりとロビーの方を見た。椅子に座ってゲームをしている四人はこちらに興味を持っていない。しかしぼくが彼らの後姿を見ると、なぜか彼らが骸骨に見えた。


「オメヨカンは天の国。ここなら何の苦難もない」

「オメヨカンの地下、ミクトランには戻りたくない。もどりたくなーい」

「地下十三階の地獄……」


 骸骨どもがかたかたと顎の骨を鳴らして笑う。子供のように耳障りな甲高い声だ。ぼくは慌てて目を背けて、エレベーターの『閉じる』ボタンを押した。


 エレベーターの中はやや黴臭かった。扉が閉まり、上に向かって稼働を再開すると、ごん、ごん、と何かにぶつかるような音がする。老朽化が進んでいるのだろうか?


 天井近くに表示されている階層を見た。上は九階、下は地下十三階まである。六本木のビルより大きいのではないか。唐突に、骸骨の『地下十三階』という言葉が思い出された。あの骸骨たちは何だったのか? 単に色白な人たちを見間違えただけか。そうに違いない。そうであってほしい。


 ちん、と五階にたどり着く。最低限の照明しかない回廊だった。時刻は昼だが、廊下に窓がないせいで洞窟の中のような印象を受ける。壁沿いに部屋が並んでいるが、まるで独房のようだ。こんなところに有名人が来たりするのだろうか?


 扉の前のナンバープレートを順番に見ていき、自分の番号を探す。しかしながら『オメヨ館』とは妙な名前だと思った。おかめ納豆じゃないんだから、何だか間抜けている。しかしここでも骸骨の言葉を思い出した。『天の国』。この安普請が、そんなに居心地いいのだろうか?

 

 部屋と部屋の間の壁にくぼみがあり、そこにオブジェが置いてある。何だろうと見て見たら、まるで仏壇のようなものだった。エキゾチックさのある、金色のケースの中に山のジオラマがある。陶器で作られた人間たちが山に向かって拝んでいる。

  

 人間たちの見ている先を見てどきっとした。そこには人間の生首があったからだ。正確には、人間と同じように陶器の人形だ。首は聖母のように柔らかな笑みを眼下に投げかけていて、それが一層不気味だった。


 オブジェの横に解説が書いてあるプレートがあった。『パチャママの門』。アンデスの地母神とキリスト教の聖母マリアが融合した独特の宗教的世界観を表しているとされた。アンデスが十六世紀に侵略されたという、番組の説明を思い出した。あのタイミングでアンデスにキリスト教が伝来し、このようなものが作られたのだろうと思った。


 ぼくの部屋はよりにもよって不気味なオブジェの隣にあった。また悪い夢を見るんじゃないかと思いながら、ぼくは鍵をドアに差し込んで、開けた。


 部屋は薄暗かった。どうやらここにも窓はないらしい。もしかしてここは、いかがわしい施設なのではないか。有名人がお忍びで来るというのは、つまり『そういうこと』なのではないか。そんな邪念が胸中に巻き起こった。しかしカウンターで年齢確認はされなかったような……。


 壁に手を這わせてスイッチを探す。指先がそれらしいものにこつんと当たる。ぱちっとスイッチを入れた。


 部屋が明るくなると同時に、ぼくはベッドの上に誰かがいるのに気が付いた。ローブを着た、酷く小柄な人物で、顔はフードに隠れて見えない。さっきまで真っ暗だったとはいえ、気配すら感じなかった。ぞっとして声を上げる前に、その人物はぼくに言い放った。


「ようこそ、ヲメテオトル。ここはお前の真の価値を探す場所じゃ」


 ベッドの上の人物はフードを取り払った。

 十歳くらいの少女だった。栗毛で瞳は青、透き通るような肌。端的に言って、美少女だった。

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