第8話 被害者参加制度

周囲の困惑した反応を無視し、郁恵は四番裁判員に向き合った。

「四番さん。あなたは先ほど、泣きながらとても辛かったDV体験を語って下さいました。だからこそ、あなたに伺いたいのです。どうか心を強く持って私の質問に答えて下さいませんか?」

四番裁判員は、ゆっくりと頷いた。一呼吸おいてから郁恵は質問を投げた。

「あなたは旦那様から執拗なDVを受けていた時、自ら友人を誘ってSPAや温泉など肌をさらすところへ行かれましたか?」

「え?」

「証言に立った大学時代の友人は、SPAに行ったとき、DVされて出来た傷を見たとおっしゃっていました。まず引っかかるのは、そこです。」

「はぁ。」

「気分転換にと、被告人が誘ったと証人は言っていたでしょう。」

二番裁判員が俯き、フリーズ状態に陥った様子を見かねて、六番裁判員がまた郁恵に絡みついてきた。

「気分転換の方法はいくらでもあります。証言台に立った友人との関係は、大学時代のテニスサークルで親しくなった関係です。久しぶりにテニスをしてもいいし、喫茶店に行って喋ってもいいし、カラオケでもいい。今の時代、気分転換の手段はいくらだってあるんです。なぜ、不特定多数の人間に肌をさらすようなSPAに行ったのか引っかかるのです。それも被告人から誘っています。」

「無料ご招待券があったとか、言ってなかったかい?」

一番裁判員が郁恵を諭すように、言ってきた。でも全く重要じゃない情報だ。申し訳ないが、スルーさせて頂くことにした。

「私は被告人がわざと友人にDVと思われる傷を見せたのではないかと考えています。友人は利用されたのではないか、むしろ被告人はこの段階から計画的犯行をスタートさせていたのではないかとも考えてしまうのです。四番さん、教えて下さい。あなたは酷いDVを受けていたとき、気分転換にSPAに行こうなんて、考えたことありますか?友人を誘ってSPAに行きたいなんて、思ったことはありますか?」

「四番さん、答えたくなかったら、答えなくていいですよ。三番さ・・・。」

「いえ、SPAに行きたいなんて、思いません・・・・・・。誰にも傷んだ体なんか見せたくないです・・・・・・。」

細く細く、空気にすぐになじんでしまいそうな声が、しっかりと評議室の隅々まで浸透した。郁恵は裁判長の言葉を無視し、心を固くしながらも、一生懸命吐き出してくれた四番裁判員に感謝した。

「四番さん、答えてくれてありがとうございます。本当にありがとうございます。私もDVに遭って辛い思いを抱えてきた事例をいくつも見てきました。暴力に遭い怪我をしている状態の時、多くの方は傷を隠そうと必死になられ、化粧を濃い目にしたり、長袖の服を着たり、酷い時は外出を控えるなどの防御策を講じていました。不特定多数の方と肌を晒し合うSPAに行った人は聞いたことがありません。皆さんの近くにもDVに遭われた経験のある人がいるかもしれません。また間接的ではありますが、DV被害者を扱ったテレビ番組を見たことがある方もいるかと思います。今回の被告人のような行動を取ったDV被害者を見たことはありますか?ある方、教えて下さい。」

「確かに、普通は隠すわよねぇ。周囲の人にあの人の体の傷、どうしたのかしら?って思われるのも嫌だしねぇ。」

ため息交じりの二番裁判員の言葉で、郁恵に対する向かい風が止んだ。郁恵はこのチャンスを逃すまいと、畳みかける作戦に出た。

「私は今回の事件に関して被告人は殺意もあったし、被告人は精神異常者を演じ、裁判を攪乱したと考えています。そして計画的犯行だったと思うんです。この被告人が嘘の動機を並べ、殺害に至ったと考えてしまう最後の理由は、被害者参加制度を利用して登場してきた、被害者のお母様の言葉なんです。向井裁判官、私の意見はこれで最後にしますので、どうか被害者参加制度を利用して登場した、お母さまのお話しのシーンの映像を再生して頂けますか?全部だと十分ぐらいあるので、お孫さんの様子、第一発見者だった和希ちゃんの様子を語っているシーンだけでいいです。」

「分かりました。皆さん、こちらのテレビ画面を見て下さい。」

向井裁判官はテレビを操作し、審理中ずっと収録して映像を再生した。早送りボタンを押して、最終日の最後に行われた被害者遺族の答弁の様子のシーンに合わせた。

被害者参加制度を利用して、殺された夫の母親が証言台に立ったのは、検察側の論告求刑の後だった。被害者の母(祖母)の話では、息子(父親)が殺された後、第一発見者だった孫の和希ちゃんはショックで倒れ、ずっと病院に入院しており、今も病院にいると言う。

「一番悲しくて、辛いのは第一発見者になってしまった孫の和希ちゃんがショックで倒れたことです。和希ちゃんは今も入院しています。父親を亡くしたショックで声も出なくなりました。死から一年以上も経ったのに、今もまだ話すことができません。最近、ようやく食事も少し摂れるようになりましたが、まだまだ十分とは言えず、酷く痩せ細ったままなんです。」

 この祖母の話は涙声であり、ところどころ聞き取りにくいが、それがかえって、私たちの心に改めて、深い悲しみをダイレクトに伝えてくれていた。

「わし、このシーン駄目や。わしにも孫がおるからきついわ。息子を失っただけでなく、孫までおかしくなって。もう、見とられん。」

一番裁判員は顔を覆った。評議室に漂う重い空気を悟った向井裁判官は、ここで止めますね、と言い、映像を停止させた。

「私にも一人娘がおりますので、このシーンは一番辛く、法廷で聞いていた時、何度も涙腺を刺激されました。皆さんに再度このシーンを見て頂いたのは、本当に被告人はDVを受けていたのかという点について、もう一度考えて欲しかったからです。もし本当にDVを振るわれていたら、子どもは当然その事実を知っていますよね。和希ちゃんは中学生でもあるし、その事実は絶対把握していると思うんです。もしDVが事実なら、『お父さんがまた暴力を振るってきたから、お母さんは自分の身を守るために、お父さんを刺したんだ』と聞いたら、こんな半分死んだような状態になりますかね。もちろん父親が亡くなり、母親が犯罪者になったという異常な家庭環境に一瞬にしてなったわけですから、体に変調をきたすのも、よく理解できます。しかしながら彼女からは、一切母親を擁護するようなそぶりが見られないのです。日頃からお母さんに暴力を振い続けている、憎き父親がまた母親に暴力を振るったのならば、今このような裁判になっているときに、例え声が出なくとも、子どもさんの方から小さくとも何かしら母親を護るアクションなり、行動が見られるような気がするのです。でも和希ちゃんからは何も出ない。彼女の精神状態に最大限に配慮したとしても、この点だけがどうしても引っかかるのです。」

「俺、この間たまたまDV被害者を特集していた番組を見ていたんすよ。といっても、そのDV被害者個人のドキュメンタリーと言うよりは、避難所での生活を特集したものだったんですけどね。シェルターって言うんですか?今の時代そういう施設があるそうですね。」

五番裁判員は、ようやくこの裁判に興味を持ってきたのか、やっと前向きな発言を出してくれた。

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