てるてる坊主

小林

一日目 

 大正八年八月上旬。その日は翌日に例祭を控えた日だった。


 皆は待ちに待った祭りに浮かれ、準備に勤しんでいた。碧天の下、走り回る老若男女だけでなく、犬や猫でさえも浮き足立っているかのようにも思われた。


 僕も山の上にある神社の境内の屋台に出入りし、大量の汗を額に浮かべながらあくせくとものを運んだり、飾りを取り付けたりと忙しく働いた。境内では祭りの準備する人でごった返し、下町では女性たちが明日着る浴衣の相談をしていた。それゆえ、町中が賑やかであった。もちろん僕も彼らの姿を見ているだけで心が躍り、今にも走り出したい気持ちを必死に抑えていた。


 僕は今回いくつか知り合いの商家を手伝うことになっており、その家から境内まで必要なものを取りに行っては届け、何度も往復を繰り返していた。僕の歳はもう十六であったが、体格に恵まれず見た目は十二、三歳に見受けられることも少なくなかった。本来僕は違う仕事につくはずなのだが、体格のせいでこの仕事を任された。




 そして今、僕はある一軒の商家の門の前に立っている。ここは江戸時代から続く名家であり、町内では知らない人はいないくらい、影響力を持つ商家である。噂通り、家は荘厳な佇まいでいかにも富者の家である。


 商家の書生や使用人らは境内やら浴衣屋へやら何かしら外出をしているため家には人がいない。店先で門番さんに軽く挨拶をすると、僕は大きな木造の扉を開けて中に入った。扉は立て付けが良くないらしく、きいきいと音を立てながら開いた。部屋の中の必要なものをかき集めて風呂敷つづみに入れていく。


 すると、上から床の軋む音が聞こえた。家の中には人はいないと聞いていた。音の具合はネズミや猫ではなさそうだった。不思議に思い、僕は2階に行ってみることにした。


 この階段もまた軋む音を立て、僕は長い長い階段を上がっていった。階段を登り終えて一息つき、周りを見渡した。特に異常はなかった。ほっとして下を見ると、奥の方の埃の溜まった床に何か足跡があるのが見えた。長い廊下の先の部屋である。所謂奥座敷と呼ばれる場所であった。


 僕は決心すると扉をスパーンと勢いよく開けた。6畳ほどの小さい座敷には女の子がちょこん座っていた。


「あ、すんません!」


 反射的に声が出てしまった。年は10もいかないくらいの少女が何やら大きな真っ白な布を持って座っていた。おかっぱの黒い頭を上にあげて、まるで飴玉のような瞳で僕を見つめてきた。赤紫の着物に赤色の帯を締めたその姿は座敷童のようであった。真っ赤な口紅を引いたその顔は小さな体には幾分か不釣り合いに見えた。


「ああ、居間は一階ですよ」


 少女はそう言うと、くすくすと笑った。


「す、すんません、失礼しました!」


 少女は僕が部屋を間違えたと思ったらしく笑った。その笑い声はとても可愛らしく玉の鳴る音にも僕は聞こえた。


 しかし、この商家には度々世話になっているがあの少女にはあったことがない。年が離れているから当然なのだろうか。


 僕は急いで階下へ降り、頼まれた商品を風呂敷に包み、境内に向かって歩を進めた。




 境内に入ると先程の商家のおかみさんと旦那さんの姿が見えた。僕は風呂敷包みからいくつかの商品を取り出すと、また新しい商品を持ってきて欲しいと頼まれた。僕は家にいた異様な雰囲気を纏った少女が気にかかり、


「すんません。おかみさん、家にいらっしゃった女の子はどなたですかね。僕は見たこともありませんで驚きました」


「嗚呼、あの子かい。あんたは見たことないかもね。あの子にはあまり近づかないでおくれよ。主人がめっぽう気に入っている子だから」


「そうなんですか。急にすんませんでした。ではまた」




 僕は次の屋台にも届け物があったため一旦そこを去った。その後もまた色んな人から頼み事をされ、例の商家についたのは日が傾きはじめた時分のことであった。


 人がいないため家は薄暗く、ひっそりとしていた。これだけ家が広いと流石に僕も届け物を探すのには多少骨が折れた。


「よし、次は2階の物置部屋か」


 僕は薄暗い家の気味の悪さを忘れようと独り言を呟くと、階段を上がっていった。詰襟に袴を着て炎天下の中駆け回った頭の中は奇妙な少女のことなどすっかり忘れていた。


 物置部屋で必要なものをかき集め風呂敷に包んでいると、突然トントンと肩を叩かれた。


「うわあ!」


 僕は大声をあげ、尻餅をついた。振り向くと先程の部屋の女の子が立っていた。


「あらあら、すみません。そんなに驚かれるとは。ねえ、一寸、奥の座敷で涼んでいかない?」


 少女はくすくすと笑うと年相応ではない言葉遣いで語りかけてきた。僕はその言葉が魅力的でつい部屋に入ってしまった。


 奥座敷へはいり、お茶を出されてはっとした。


「すんません。おかみさんから頼まれごとをされていたんです。一旦届けてからでも大丈夫ですかね」


「そうでしたの。止めてしまい、こちらこそすみません。終わったらまた、いらっしゃってくださいな」


 少女はそう言うと白い布に手をかけ、何やら始めた。


 僕は夕暮れ時の褐色に染まった街を駆け抜け、境内まで走った。




 日の傾いた境内ではほとんどの準備が既に終わっていた。おかみさんは僕を見つけると駆け寄り、風呂敷つづみの代わりにお礼だと言ってラムネ瓶を出して下さった。それをありがたくいただき、家路を急いだ。


 帰路の途中には例の商家があったが、僕は疲れのせいか、ラムネ瓶をもらったことで浮かれていたからか、少女のことはすっかり頭から抜け落ちていた。




 家に帰ると父と母、年の離れた弟が食事の準備をしていた。ちゃぶ台に座り、小さい豆電球の中で料理を囲んだ。父は難しい顔をしながら新聞を読み、母は弟の世話をしながら料理を口に運ぶ。密やかながら多幸感溢れる生活だった。明日の祭りに浮かれ、僕たちは寝床についた。


 時計はもう11時を回った頃。家族の中で1番最後に布団入った僕はあの商家の少女のことを思い出した。今からでも間に合うだろうか。幸い一番端の布団だったので家族を起こさず、そっと寝床を抜け出すことができた。

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