第5話 高田病院の支援医師たち

 高田病院広報の編集作業中に、米崎コミセン仮診療所に対する診療応援者リストを発見した。

 集計してみると、震災直後の3月14日から約4ヶ月間に、延べ4348人の支援を受けている。

 職種別では、医師1424人・看護師1358人・事務員762人・薬剤師455人・保健師157人・理学療法士43人・臨床工学士27人・放射線技師26人・その他96人。

 都道府県別では、北海道・岩手・宮城・秋田・茨城・千葉・東京・神奈川・石川・福井・静岡・三重・大阪・岡山・福岡・熊本。青森県からも診療応援で被災地に入ったニュースを見たが、米崎コミセンには来ていなかったようだ。


 今年の3月から診療応援に入った臨時医師として、ごく個人的な視点で仲間の支援医師たちを紹介しよう。


 2011年8月発行の「救命―東日本大震災、医師たちの奮闘」を読むと、大津波に飲み込まれ絶望的な状況で、リーダーシップをとり続けた石木院長の姿が目に浮かぶ。

 彼がインタビュアーに語った、「震災直後から救護所に入って、手伝ってくれている若い先生がいます。盛岡の中央病院からの派遣ということで、この春から内科医が一人増えることになりました。実を言うと、それはうちの娘なんですよ。」という最後の部分には泣かされた。

 その石木愛子医師は、弘大を卒業後に岩手県立盛岡中央病院で研修を終え、津波の数日後には米崎コミセンの仮診療所で父とともに診療していたのだ。

 消化器内科の専門医を目指しているそうだが、在宅診療などにも積極的に取り組んでいる。


 地元紙には、「娘と二人三脚、病院再興」という見出しで、石木親子の記事が載っていた。高田病院を愛していた母親の意志を継ぎ、医師として娘として公私で父を支えることだろう。


 そんな状況に共時性を思わせるタイミングで、消化器内視鏡専門医が高田病院へ現れた。

 高橋祥医師(39歳)は、被災地での診療応援を岩手県医療局に打診し、昨年6月に高田病院などを巡った際に石木院長から誘われたそうだ。

 意気に燃えて9月には小樽の病院を辞め、高田病院へ乗り込んできたという熱血漢。

 現在は、陸前高田市民の胃ガンや大腸ガンの早期発見にあたっているほか、石木愛子医師に消化器内視鏡の熱血指導をしている。


 熱血漢は更に、「畑にはまらっせんプロジェクト」を立ち上げ、仮設団地入居者に対する健康保健活動を進めている。

 地元の休耕地などを探しまわり、高田病院が地主と農作業希望者の仲介をするプロジェクトで、ケセン語の「はまらっせん」は津軽弁の「かだるべし」に相当するだろう。


 鹿児島の南日本新聞に、次のような記事が載った。

「一人でも多くの人に笑顔になってもらいたい」

 そんな思いで鹿児島市から陸前高田市へ赴き、奮闘する医師がいる。

 通山健さん(30歳)だ。仮設住宅の子どもたちから、タケちゃんマン先生!と慕われている。

 昨年6月に高田病院の診察を手伝った際、院長の誘いもあって10月から同病院の勤務医となった。」


 先日、オーストラリア在住の山内肇さんから、フェースブックを通じてコメントが寄せられた。

「私たちの行動やら決断というのは、自分の中にあるようでいて、じつは人との関わりや縁で動くものなのですね。あらためて実感しました。どうぞお体に気をつけて存分にご活躍下さい。遠くからですが、いつも応援しています」

 ちなみに彼は、震災後にオーストラリアから大槌町に入り診療にあたった経歴の持ち主である。


 このように多くの支援を受けながら、高田病院の「医療で震災復興を」プロジェクトが進められている。


(陸奥新報 2012・06・21)

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