第二十三話 優しい嘘

 冬の間にスクーターに乗るのは少し厳しい。寒いのもあるが、暗くなるのも早いので夜道を運転するのが少し怖いからだ。

 とはいえ、頑張りが認められて時給が僅かだがアップしたのは嬉しい。今日は給料日だし、江月に美味しいものでも買って帰るかなと、バイト先近くのコンビニに寄った時、顔見知りでなくても目を引く柊の姿が目に入った。


「こら、非行少女」

 夜九時とはいえ中学生には十分危なっかしい時間帯だ。それに制服のままだし。

 補導されても文句は言えないだろう。

 なので、警察に見つかる前に私が柊の頭をチョップして注意する。

「痛いなぁ、何するのさ楓お姉さん」

「もう九時でしょ?施設にいるんだから、そういうの厳しいんじゃないの?」

「今日は貴女を待ってたのよ。まさか、こんな遅くまで働いてるなんて思わなかったから、こんな時間なったのよ?」

 成る程、だから店が見えるコンビニで立ち読みしていたのか。

 とはいえ、店員はバックヤードから帰宅するから、私がたまたまコンビニに寄らなかったら会えないところだった。

 そういう抜けてるところは、中学生らしさがある。

「ジュースでいい?」

「何の話?」

「わざわざ待ってたんでしょ?飲み物くらい奢るからさ、さっさと移動しない?」

 じゃああったかいミルクティーで。とリクエストしたので同じものを二つ購入してから、近場の公園へ向かう。

 いつだったか、塚本に怒られた場所だ。


「甘いの、好きなの?」

 飲んでから思わずその甘さに顔を顰めた私は、幸せそうに飲んでいる柊に訊くと小さく頷いた。

「そういえばこの間も、ブラックコーヒー、飲めなかったもんね」

「あんなもの好んで飲む方がおかしいのよ」

 紅茶で暖かくなった息を白く彩って吐きながら、柊は答える。

 思えば、もう真冬だというのに制服のままでコートも着ていない。

 そうか、施設にいるって言っていたから、そういうのも自由に貰えないのだろうか。

「それで、何か用事があるんでしょ?」

「……まぁ、そうね。どう?若菜お姉さんとは」

 まさかそんな野次馬的根性でわざわざ待ってた訳じゃないよね。

 そんな疑念を抱きつつも、何と答えたものかと考えあぐねる。

「それなりに、仲は良いよ」

 と、当たり障りのない回答を選択したが、柊は満足そうだ。

「柊はさ、本当は優しいんだよね?」

「何よ急に」

「だって、江月に君の両親の話をしたことを、私に話す理由がないからさ」

 柊は、いつだって世界が優しいことを知っていた。

 それは、最初からこの世界を呪ってなんかいなかったという証拠だ。

 わざわざあの時私に話をしたのだって、きっと彼女なりの思いやりのようなものがあったに違いない。

「……悪かったわ。あんな事をして」

「別に気にしてないよ。それに、もう分かってるからさ」

 実を言うと、年が明けてすぐにナンテンから電話があった。謝罪と釈明だとナンテンは言っていたけど、私からすればそれはもっと別の意味を持っていた。


「ナンテンから聞いたよ。私と江月が、柊の両親の娘って知ってから、色々調べてたって」

 正確に言うと、江月の姉もその対象なんだろうけど。

「それは、だから、貴女達に復讐するためで……」

 柊も以外と諦めの悪い性格のようだ。

 私がナンテンから聞いたという時点で、もっと先の話まで聞いていると予想するべきだろうに。今思うと、そうやって強がるところは、私にそっくりかもしれないけど、私より何倍も可愛らしく見える。

「ずっと気になってたけど、言い出せなくて、その内、私と江月が恋仲になりそうなのを知ると慌ててたってナンテンが言ってたよ」

 あの二人は柊と違って、自分達の父親と母親が何をしたのかを知らない。

「ナンテンは『だから、二人の傷が深くなる前に真実を明かしたんすよ』——ってね」

「……本当、バカ天梨。何で勝手に言っちゃうかなぁ」

 柊は笑いながら、小さく溢した。

 初めから、柊は私達に敵意なんか持っていなかった。

「——正直言うとね、私の両親が何者なのか知った時、嬉しかったのよ。私にちゃんと親がいたんだ、って。捨てられたのは、勿論恨んだりもしたけどさ、それでも、私は最初から孤独なんかじゃなかったんだって」

 私には幸い母がいた。それでも、母が死んでしまった時の喪失感を考えると、柊は最初から一人きりだったという事実は計り知れない孤独感があったのだろう。

「それにね、私の両親が死んだのは、私に対する罪悪感が原因だったの。家族を裏切ってまで愛する人と一緒になったのに、それでもその間に出来た子供を捨ててしまったっていう罪悪感が二人を蝕んでいて、心中、したんだって。その時の遺書で、私は楓お姉さんと若菜お姉さんの存在を知ったのだけど、遺書の殆どは私に向けての謝罪が所狭しと書いてあったわ」

 ——なんともまぁ、自分勝手な父親だと軽蔑するが、それでも最後に柊に対して申し訳なく思う程度の良心は残っていたのだろう。

 柊にとって、例え捨てられた事実は一緒だとしても、その遺書は多少なりとも心を軽くさせるような意味があったのかもしれない。

 そればかりは当人にしか分かりえないことだが。

「私は浮かれていたのよ。天涯孤独だなんて思っていのに、突然、姉のような存在が三人もいるって分かったから。だから、直ぐに貴方達のことを調べて、わざわざ高校まで行って覗いたりしたの」

「だったら、声、かけてもいいのに」

 小さな声で、そんな可愛らしいことを言う柊を私はどんな表情で見ているのだろう。

 自分を客観的に見えるように人間は出来ていないから、分からない。

「かけようとしたわよ。でも、二つの家庭を崩壊させた原因なのは間違い無いし、そんな私が今更出て行った所で好かれるなんて思わないもの。だから、心の中で私には血の繋がった姉がいると思うだけで満足だったの。寂しくなったら、偶に様子を見に行って、遠くから見るだけで私は一人じゃないって思える気がして」

 そうか。

 柊にとっては、それだけで良かったのに、私と江月が惹かれあっていくのを知って、自ら悪役になったんだ。

 嫌われるのを覚悟で、それでも私達の平穏を守るために。

 それはなんて不器用なんだろう。


 不器用で、生きるのが下手くそで、誰よりも優しくて。

 柊が、私と江月の妹だというのが。

 誇らしく感じるし、守りたくなる。


「ねぇ、柊さ——」


 だから、人は繋がりを求めるのだろう。

 私は初めて父親に感謝した気がする。

 こんなに可愛い妹を遺してくれてありがとう。私も江月もきっと、貴方達にもう関心を持つことは二度とないだろうけど。


 私は、柊に一つの提案をしてみる。

 いつだって世界は優しかった。母さんも、江月も、塚本だって、須磨さんだって。

 だから私だって。

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