第十二話 いつか君を想う ①

 秋は好きだった。

 理由は単純明快で、夏は暑いし冬は寒い、春は花粉が辛い。だから残った秋が好きだ。

 でも本当は、秋が好きという訳ではなく、多分他の季節が嫌いなだけだ。

 私は殆ど全てが嫌いだった。世の中には私の嫌いなものとそうでもないものの二種類しかないと思っていたし、例外と呼べるのは父と姉だけだった。

 だがこの二人を、そういう好き嫌いにカテゴライズするのは何か違う気がしていた。多分家族とはそういうものなのだろうなと思う。どこまでいっても他人は他人、裏を返せばどこまでいっても家族は家族なのだ。

 だから私は嫌いではないものを、好きなものだと勘違いしていた。

 江月と出会って、本当の好きという気持ちを理解したような気がする。それと同時に、たかだか十六歳の小娘が理解出来るような浅い感情でもないことも、分かり始めていた。

 それはかつての私が忌み嫌った、煩雑で粗雑で複雑なものである。だが今だけは、誰かを好きになるという気持ちの複雑さを寿ことほぐ気持ちすら湧いて来る。


 後悔はなかった。

 なんて、カッコつける余裕はない。何も考えられなかった。刹那が、とても永い。

 吐き出した言葉が椎本の耳朶じだに染み込むまでの刹那が、その言葉の意味を理解するまでの那由多が。

 感覚がめちゃくちゃになる。

 最悪の未来は容易く想像出来ても、最高の未来はまるでイメージがつかない。

 つまりは、そういうことなのだろう。

 そんな未来などありはしないのだ。それを心の何処かで分かっていただけなんだろう。

「……そう、なんだ」

 椎本の言葉が、上手く理解できなかった。ただの相槌なのだろうけれど、その声色から彼女の心情を窺い知ることは出来ない。

 少なくとも拒絶には聞こえない。それだけが救いだった。だが、がえんじているようにも聞こえない。

「うん……そう、だったんだよ。ごめんね」

「別に謝ることじゃないよ。勿論、江月に好きって思われてることは、素直に嬉しい」

「でも、さ。椎本が弱ってる時にこんなこと言うのは、多分、卑怯だよね」

 それを自分で言って、本当に卑怯者だと改めて思った。小狡いやり方だとも思ったし、卑怯なやり方をしたと彼女に伝えたことすら、小賢しさが見え隠れしている。

 自分はこんなにも姑息な人間だったのか。

 思わず目を伏せた。恥ずかしかったのだ。椎本を慰めるフリをして、こんなことをしてしまう自分が、恥ずかしくてたまらなかった。

「なんか、変だね。さっきとは逆だ」

 椎本の弾けた笑い声が聞こえる。

 それが思ったよりも近くから聞こえて、思わず顔を上げる。


「正直に言うとね、怖いよ」

 椎元は私の顔を見る。真摯なまでに目を離さない。油断すると、その唇に触れてしまいそうな程に、私の心を乱す。そんな表情をしている。

「私のことを好きって言ってくれるのは嬉しい。江月のこと、多分、私も好きだと思う。だけど、私は誰かとそういう関係になれない。そんな資格、きっと私にはない」

 口の中がカラカラになる。渇き切った喉が、私の言い訳がましい言葉が飛び出すのを邪魔しているようだ。

「ごめんね。江月を頼っておいて、こんなこと言うのは、ずるいよね」

「謝らないでよ。悪いのは私だから」

「もっとずるい事を言うと、それでも私は椎本の友達でいたい。人を愛するっていうことは分からないけど、友達が好きだっていう気持ちは、知ってしまったからさ」

 それは私の所為の結果なのか、それとも私のおかげと言っているのか。彼女にとってそれが良い事なのか、悪い事なのか。

 どちらにせよ、私が椎本の何かを変えたというのであれば、まだ諦めるという選択は無いようにも思えた。

 少なからず、たとえそれが人生単位で見たところで、些細な変化だったとして。

 想像するだけでも心が騒つくが、例え私ではない誰かが近い将来、彼女の心を溶かしたとしても。


 私が彼女の心を動かしたのだ。


 僅かであっても、些細であっても、それが私である必要性が無かったとしても。

 その事実だけは、私の決意をより一層固めていた。もしかしたら、諦めきれないという意気地の悪い性根なのかもしれない。

「だとしても」

 それは、喉の奥で空気が抜けるだけのとても小さな言葉だった。言葉ですらない。

「私は、それでも椎元が好き。椎本が友達のままが良いって言っても、私は椎本が好きなことには変わりないよ」

 吐き出したその言葉は、もしかしたら、いや、もしかしなくても、椎本の友達という関係性を崩したくはない気持ちを否定したかのように聞こえたのだろう。

 椎本は少しだけ眉を伏せた。


「だから、私は椎本を惚れさせてみせるよ。椎本にも、誰かを愛する資格とか、そういう感情があるんだってことを、分からせるよ」


 こんなにも自分は挑戦的な言葉を使うような性格だっただろうか。こんなにも好戦的な人間だったのだろうか。

 再度、湿り気を含んだ風が私と椎本の間を通り抜けた。木枯しという程冷たくは無いが、夏風のように暖かいものでもない。ただ、晩夏を告げるだけの、名も無き風だ。

 風見鶏を見上げる。そういう癖が、こんな時にも出るなんて思わなかった。

 視線を戻すと、椎本は笑っていた。その笑みは見たことがない。どういう気持ちを含んだ笑顔なのだろうかと、その感情に対して誰何すいかしてみたいとも思った。

「そうだね、私もそれを知りたいと思ってる。そして、それを私に教えてくれるのは、江月なんだと思うよ」

 もし、本当に私に誰かを愛するということが理解出来るのであればだけど。と、彼女は小さく自身の言葉に注釈を入れていた。

 それは椎本の本心なのだろう。そう信じたいと思っている私がいる。


「だから——待ってる」


 果たしてこれは私たちにどういう関係性の変化をもたらしたのだろうか。それを言葉に出来るほど人間の言葉は便利に出来ていないし、言葉にすること自体、どこか不躾なような気さえしてしまう。


「いつか君を想う時を、私は待っているから」

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