第9話 後輩がやらかした。


 俺はバーを出ての帰り道を江本と共に歩んでいた。


 その江本は赤くなった顔で俺の左腕を掴んでいる。


「おい、いい加減離れろって」

「い~じゃないですか!今日くらい無礼講でいきやしょ~!!」

「それは後輩が言うことじゃないだろ……」


 どうやら本格的に酔いが回り始めてきたようだ。

 ……こいつ一人で帰れるかなぁ。


 そんな俺の心配をよそに、江本は歩きながら俺の頬をつついて来る。


「しぇんぱいぃ~ふふぅ、今日もイケメンですねぇ~♪」

「……痛い」

「ありゃ、爪が刺さっちゃいましたぁ?えい、えいえい」


 ええい、止めろうざい痛い可愛い止めろ。


「ふふふぅ、しぇんぱいぃ顔が赤いですよぉー?」

「お前が刺すから赤くなってんの」


 て言うかネイルがマジで段々痛くなってきた。


 だがその痛みを置いておけるくらいには江本のじゃれつきが可愛かった。


 ……どうやら俺も酔ってるみたいだな。


 自分の酔い加減に気付いた時、特徴的な公衆電話のボックスが目に入った。


 あれが見えたら我が家まで5分も掛からない。


「江本、そろそろ家に着くぞ」

「えぇー……まだ一緒に居たいですぅ~……」


 今度は俺の頬をつつくのを止めて後ろから抱き付いてきた。

 人は少ないけれど0じゃない。周りの視線が気になってしまう……


「お前も大人なら割り切れよ、楽しい時間は終わりだ」

「……」

「……江本?」


 急に黙りこくった江本は俺の背中に顔を埋めたまま、「先輩、知ってますか?」と話し出した。


「女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かで出来ているってやつ」

「え……?あぁー何だっけ。あ、マザーグース……だっけ?」

「そう、正解です。先輩は素敵な何かって何だと思いますか?」

「そうだな……」


 あまりにも不意にそんな話をするもんだから、パッと答えが出てこない。


 て言うかこれ、本当にどういう質問?


 そうは思ったが、江本は結構真剣な感じで聞いて来てたしなぁ…… 

 俺は少し真剣に考えてみる事にした。


「……」

「先輩……?」

「うん……良し、これだな」

「?」


 俺は後ろから抱き付いていた江本の手を離し、彼女の方へ振り向いた。


「江本、女の子の最後のファクターはな──」


 俺は酒で酔った頭で必死に考えた答えを、真っ直ぐに見つめてくる江本に告げた。


「──お月様だ!」

「はい???」


 おぉ、クレバーな反応。


 いかにもお前何言っちゃってんの?みたいな反応。


「……一応、聞いておきましょうか。その心は?」

「うむ、よく聞けい」


 俺はひなのと似たような口調で返事をした後、月を見上げて語った。


「月ってさ、太陽が無いと輝かないだろ?それが良く似てるなって」

「……えっと、あの良く分からないんすケド……」


 自分で言ってても良く分からないんだから仕方ないだろ!

 でも……何とか伝えたい。

 酔ってる時って語りたくなるもんだろう?


「だからさ、女の子という地球をお砂糖とスパイスという太陽が素敵な何かを輝かせるから女の子は女の子足り得るんだ。じゃないと魅力が無い」

「……ふむ」

「あれ、俺何言ってんだろ」


 言ってて段々恥ずかしくなってきた。


 だが真剣に聞いてくれてたらしい江本は顎に手を当て、今の話に追及をしてきた。


「それ、じゃあ結局お月様ってどういう意味なんですか?」

「え?」

「だってお砂糖とスパイスってラブコメ的に言えばツンとデレでしょう?なら最後の素敵な何か──お月様は結局の所何なんでしょうか?」


 こ、こいつ難しい事聞いてくるなよ……


 酔った頭で出てくる言葉を深読みしてはいけない。

 しかし聞かれてしまえば無意識に考えてしまう。それも酔った時に起こる不可思議な現象だ。


 まぁそれも限界に来ていたがな。


「え、えぇと……そうだな……!?」

「ふふっ、ごめんなさい。答えなんて要らないですよ」

「そ、そうなのか?」

「はいっ。困らせたい訳じゃ無かったんですけど、あまりにも真剣に考えてくれるからつい……」


 意地悪しちゃいました、みたいな感じで笑った江本は月を見上げてぽつり、と呟いた。


「先輩は意外とロマンチストなんですね……」

「そう……かな……」


 俺も同じようにまた月を見上げて、人が居なくなった道端で立ち尽くす。


「先輩、私は先輩の部下になれて楽しかったですよ」

「そうか?それは良かった」

「でも……楽しい時間は終わるもの、なんですよね」

「……そう……だな」


 夏の夜空、一際輝く3つの星を結んで大三角を見付けた時だった。


「先輩……今日は月が綺麗ですね」

「そう──」


 ──そうだな。

 

 またそう答えようとした。

 

 だけどそれは言葉になることは無かった。


 夜空を見上げる俺の両頬を挟み、江本は背伸びをしている。


 素敵な何かを見付けた後輩が俺の唇に触れた。


「……っ!?」


 それは甘美で、イタズラに成功した瞬間のような素敵な時間だった。


「──先輩」


 そっと唇から離れた江本は、赤い顔で笑った。


 酒のせいで赤いのか、はたまた──


「最後のファクター、それが"恋"だったとしたら先輩は私に魅力を感じますか?」


 俺は自分の唇に触れながら江本から目が離せないでいた。

 しかし何も答える事は出来ないで居る。


 これ……は、婉曲だが告白……なのだろうか。


 や、ヤバい悩んでる間にもどんどん時間が過ぎていく! 


「え、江も──」


 俺がとりあえず会話を繋ごうとした時だった。


 後ろから誰かが走り去るような音が聞こえた。


 だ、誰かにキスしてる所を見られた!?

 ご近所さんだったらどうしよう……


「ありゃ……やれやれ先輩が変な答えを言うからタイミング悪くなっちゃったじゃないですか」

「え、いや……それは──て言うか!お、お前があんな事するから!」

「あんな事って?」


 意地悪くニヤニヤしながら俺を上目遣いで見つめる江本。


 くそっ……不意打ちが過ぎる。


 だけど、あれが告白ならきちんと答えないとな……


 俺がそう思った瞬間、遮るように江本後ろを向いて呟いた。


「──ま、あんなの深い意味無いですから今日のお礼とでも思ってて下さい」

「は、はぁ……?」

「だから先輩」


 江本は恥ずかしそうに俯きながら顔だけこちらを向けた。


「……ま、また……遊んで下さい……ね。楽しい時間、もっと欲しいです……」


 あれ、お前今日が最初で最後みたいな事言ってなかった?

 また今度があるの?


 だがまぁ、ここで断るのもなんだ。


「仕方ねぇな、今度は割り勘な」

「む、可愛い後輩に奢れると言うのに!」

「可愛い後輩にならな。お前、強かな後輩だもん」

「なんですとぉー!?」


 そんないつものやり取りをしながら俺達は別れた。


 家に着くまでの数分、あのキスの意味を考えながら──

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