第6話 客にモラルがなさすぎる

「そんなこと言われても、イメージが湧かないわ」


 吉田の熱心なプレゼンに、夫人はそう漏らす。城や貴族の屋敷、別荘だったものを改造したシャトーホテルとは、ヨーロッパでわりと一般的だが、そもそもホテルがない。わからないものを忌諱するのは当然だろう。

 なので、「試しにやってみましょう」と言う話になった。


 しかし、待っているだけでは客は来ない。吉田は街に出て呼び込みをすることにした。

 街は王都と比べると小規模だが、交易路の要衝に位置しているので、人の往来も盛んだ。街の総人口の九割ほどが地元の人間。それ以外に、オリエント風の衣服を身にまとったもの、小麦色の肌をした者もちらほら見かける。


「大貴族のガライ家のお屋敷に泊まってみませんか~! 今ならたったの大銀貨一枚で一日宿泊できますよ~!」


 街の入り口である城門の前で必死に声を張り上げる。

 ビラを作ったら、他の使用人たちに「何が書いてあるんですか?」と言われた。この世界の識字率はかなり低いらしい。


「お屋敷に泊まるだって?」

「何の冗談だ?」

「とって食われるんじゃないか?」


 精いっぱいおもてなしするつもりだと告げても、民衆たちは疑いの眼差しのまま。赤字覚悟で設定した金額が安すぎることも、不審感に拍車をかけているようだ。


 朝から始め、声を枯らしたり、人通りの多い中央広場に場所を変えたりしたが、芳しい結果は得られなかった。

 吉田はとぼとぼと屋敷に戻った。入り口に机を並べただけの即席のカウンターの前に立つ。一応陽が落ちるまではここに居るつもりだが、先ほどの人々の奇異の反応から思うに、客が来る望み薄い。


 ぼんやりしていると門の方に人影が見えた。

 おっかなびっくり近づくのは太り気味の、中年くらいの男だ。身なりは商人のようだが、服は垢じみてやや薄汚い。


「泊まれるって聞いたんだけど」

「はい! 泊まれます!」

 

 記念すべき初めての客に、声が上ずる。

 やはりホテルは客を泊めてこそ。吉田は俄然やる気になり、チェックインの説明をする。


「料金は前払いでも後払いでも大丈夫です」

「後からも払えるのか?」

「はい、もちろんです」


 酒や土産を購入した場合、チェックアウト時にすべて清算するので、後払い制を採用するホテルも多い。

 客は明らかにほっとした。


「なら、それで」

「かしこまりました。ではこちらにお名前を頂戴します」


 客は不慣れな手つきでミミズがのような字を記入する。吉田は深くは追及しなかった。


「お部屋にご案内します」


 客は物珍し気に室内を物色する。

 部屋は急遽用意した、普段は親戚に貸し出す用のものだ。机は飴色で木目細工が美しく、壁は明るい色の壁紙は貼られ、小さいが趣味の良い花束の絵がかけられていた。ベッドには白くなるまで洗った清潔なシーツがかけられている。

 

 浴槽やトイレは準備が間に合わなかったため、部屋の外にあると言う難はあるものの、貴族の屋敷と言うに相応しい豪華な部屋だ。


 客を部屋に案内した後、あまりに浮かれ過ぎて夕食の時間を伝え忘れたことに気づく。ホテリエにあり得ないミスだ。吉田は客室へ引き返す。


「お客様、失礼いたし」


 部屋に入ると、客は壁にかかっていた絵画を外そうとしていた。他にも、室内の小物を一所に集め、ベッドのシーツに包んでいた。


「一体何を」


 客は「げ」と漏らすと、シーツを背負って窓から逃げようとする。

 吉田は逃すまいと必死になって客の腰にしがみ付いた。


「お客様、ホテルの備品を置いて行ってください、お客様!」


 硬直状態は、吉田の叫びに他の使用人が駆け付けるまで続いた。


                *


「だから言ったじゃない」


 夫人は呆れ交じりに指摘する。意気消沈している吉田は言い返すこともできない。


 ホテルのものを盗むなんて、しかもあそこまで大胆だなんて思いもしなかった。

 落とした財布がそのまま戻って来て、外国人の宿泊客にいたく感動されたことがある。日本はモラルはかなり高かったらしい。と言うか、この世界のモラルが想像を絶するレベルで酷い。


 確かに、全てマンパワーで作っているこの世界では、シーツとして使っている布ですら大変高価なものだ。これから全ての客を犯罪者予備軍として扱わねばならないのか。吉田は憂鬱になった。


「泥棒ってどう処理すれば良いんですか?」


 備品を盗もうとした客を野放しにすることもできない。縄で縛り、別室に拘束と言う、ホテリエとしては大変不本意なおもてなしをしている。


「普通は領主に引き渡して裁判だね」

「領主って誰ですか?」

「俺」

「終わってんな、この街」


 思わず本音が漏れる。


「何故か俺が領主になってから仲裁依頼がないんだよね」


 由緒ある貴族令息は首をひねっているが、吉田はわかる気がした。

 民衆が権力者に裁判を委ねるのは、判決を履行させる力があるからだ。日本でも裁判の結果に違反すれば、最悪警察が出張ってくる。

 ガライ家は収入を絶たれ、護衛の兵も最低限。一般的な貴族は数百人規模の軍隊を所有しているらしいが、そんなもの影も形もない。余談であるが、吉田が戦争の尖兵となれとの少年王の命を即座に断ったのには、そうした背景もある。

 裁判の取り決めを破っても罰則を与える力がないから、誰も彼に裁判を頼まない。


「では、あのお客様を裁いてください」

「えー。わかんないや。母さん、どうしよう?」


 未亡人は、「この街から追放しましょう。持ち物から賠償金を払わせ、門番に説明して街に入れないようにすればいいわ」と、至極まともなことを言っている。


 このマザコンが行政長官で裁判官。

 つまりこの街は無法地帯なのか、と吉田はさらに気落ちしたのだった。

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