第5話 苦難その2

 私は犬用リードを購入し、ボケに装着して散歩を試みた。簡単に考えていたが、やはり甘かった。

 犬は平面を動くが、猫は立体的に行動するからだ。塀や囲いがあればその上に上ろうとしたり、下に隙間があればそこをくぐって中へ入ろうとする。ちっともいうことを聞いてくれないのだ。


 結局最後は抱きかかえて帰るしかない。


 途中で猫好きのおばちゃんに出くわして、「あら可愛い」と頭を撫でられたボケは、お利口にも威嚇したり噛みついたりはしなかったが、目をつぶって耳が後ろを向いていたので、嫌だったことは間違いない。


 そんな生活が続いたある日、私の転勤が決まった。

 その地は、私のアパートから約八十キロメートル離れた場所にあった。都会と違って、公共交通機関の利用はほとんど不可能だ。


 もし公共交通機関を利用した場合、アパートからバス停まで徒歩五分、バス停から最寄りの駅まで二十分、電車で勤務地の駅まで一時間半、そこから勤務先まで徒歩十分、合計二時間ちょっとで行けるかもしれない。


 だが問題は、電車の発着時刻だ。絶望的に運行本数が少ない。勤務開始時刻前に到着するには、アパートを午前五時半位には出なければならない。それにその頃は、一時間や二時間のサービス残業は当たり前だったので、帰ってくれば午後十一時近くになる。


 こんな生活は、私には無理だ。ではまた引っ越ししなければならないかというと、転勤先はいわゆる田舎なので、充分な賃貸物件があるとは思えず、ましてやペット可の物件などおそらくないだろう。


 自家用車で通勤すればおそらく二時間はかかるが、それが一番現実的に思えた。三年もすれば、また転勤になる。それまでの辛抱だ。


 こうしてボケの散歩はなし崩し的になくなり、完全室内飼いになった。


 だが覚悟はしていたが、車通勤はやはり過酷だった。後年、私の後任者も真似をして車通勤したが、三ヶ月も経たずに脳卒中になって入院したと聞いた。冬場は雪のせいで、二時間の通勤時間が二時間半以上になったりもした。


 忘年会のときなど大雪になり、午後九時頃に会場を出ても、帰ったときには午前零時を回っていた。


 それでも三年間耐えて、私はアパートのある市に転勤して戻ってきた。ところが新しい仕事は私の最も苦手とする分野で、平日勤務に引き続いて当直勤務(といえば聞こえはいいが、ほぼ徹夜になる)もあるものだった。


 私は本気で転職を考えた。だが、辞めてどんな職に就くのかを考えたとき、その頃は就職氷河期だったので、年齢的にも再就職が難しいことは予想できた。ボケを養っていくことを考えると、やはり辞めるわけにはいかない。


 私はそこで歯を食いしばって二年間勤め、ようやくましな勤務先に転勤となった。

 私も辛かったが、ボケにも寂しい思いをさせた期間だった。(ん?寂しいというのは、私の思い込みか・・・)

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