ナイトメア・オン・ステージ 先生を添えて

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第0話   大都会の真ん中で

 バスが一日三本、電車は一日一本だけ。見渡す限りの山々のかなたに、さらに深緑に覆いつくされた山が見え、梅雨時期になると湿気がすこぶる上昇し、山肌からもうもうと濃霧が立ち昇って、空へと吸い込まれていく。


 しっとりした腐葉土の匂いを、胸いっぱいに吸い込んで育ったのぼる少年は、小さい蛇も野兎もいるこの土地が、大好きだった。


 いつもクマのぬいぐるみを片手に、母と近場の山を散策。本物の熊が出没すれば、山を縁側から一日中眺めていたり、母の手作りコケモモジュースを飲み、川で祖父と鮎釣りをして過ごした。



 母の再婚相手は、転勤が多かった。


 ネオン輝く大都会の夜景を背景に、ファミレスで注文したチーズインハンバーグが運ばれてくるのを、今か今かと待っていた。


 引っ越し当日まで悲しくて泣いていたけど、昇少年は受け入れた。父も母も仲良しで、夏休みになれば祖父の家へ遊びに行ける。タブレットでテレビ電話ができて、今では自分で切符を買って、あの山へと、気晴らしにも行ける。


(子供って、大人の都合に振り回される生き物だけど、予定立ててお小遣いも貯めたら、わりとどこでも行けるんだよな……)


 高校では、キャンプ部に入った。いろいろなキャンプ地にバスで向かって、一泊二日テントで過ごす。活動日は土日。参加は自由で、昇少年と顧問だけのときもあった。


「先生」


「うん?」


 二人分のテントを張り終わった頃、共同の洗い場付近のベンチで、顧問とインスタントコーヒーを飲んでいた。夏は蚊が多いこの場所も、コンビニで買った虫除けスプレーのおかげで、今ではどこでも休憩することができた。


 キャンプ場には他にも人がいて、組み立てたばかりの望遠鏡で夜空を眺めたり、酒を飲んだり、まだまだ夕飯作りに悪戦苦闘しているグループもいる。


 昇少年も、初めてのキャンプ時には、限られた資材の中で段取りよく夕飯作りなんて、できなかった。ほとんど先輩が作ってくれたのを、横でメモしながら学んだ。


「俺、小さい頃は兎になって、山や都会を駆け回る夢を見てたんですよ」


「ははは、そりゃ楽しそうだな」


 何の脈絡もない話にも、顧問は返事をしてくれた。


 昇少年はうなずいた。


「最近は、見なくなったんですけど」


 折りたたみ式シリコンカップの中で、生ぬるいカフェオレが揺れている。


 顧問のカップは何かの景品だったそうで、表面の模様が禿げるほど使い込まれていた。


「親の転勤で引っ越しばかりで、悲しかったはずなのに、なんでかその夢を見た後は、すごく元気をもらえて」


「カオスな夢だなー」


「きっと夢で、ストレスを発散してたんだと思います」


 一匹の黒い兎となって、誰かと一緒に、屋根や電柱の上をひとっ飛び、悪の怪人と戦うヒーローの肩に乗って、戦いを補佐していたこともあった。


「子供の頃は、きっとそれぐらいしか、抵抗できなかったんだと思います」


 目が覚めたら、楽しかった夢は、思い出に変わった。けれど、それが現実の自分の引っ越しを止めてくれるわけじゃなかった。


「先生、俺……どうせ転勤で飛ばされるなら、教師になろうと思います」


「は? ははは、地獄だぞ~、教師は」


「ははは……」


 こんなふうに、何でも話せる雰囲気の先生に、なりたいと思った。


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