第10話

 アンディシュに、ジャガイモ料理をふるまってから一か月が経過した。

 私は、随分とナスカの身体になれていた。


 ナスカはこの世界の女性の中でも、かなり背が低く、随分と華奢な肉付きだ。

 理由はその食の細さ。


 アンディシュが随分と銀貨をはずんでくれたので、この一か月間、私と母さんの食事はとっても豪華だ。パン職人に小麦をわたしてパンを焼いてもらい、チーズ(ハードタイプのチェダーチーズ)もホールで購入した。


 鹿肉のスープと、パンをひとかけ、それに暖炉であぶって溶かしたチェダーチーズを乗っけて食べる。これを朝夕二食。


 私は、これだけでお腹がくちくなってしまう。

 その食事量は、日本にいた頃の三分の一以下だ。


 母さんも、私に負けず劣らず食が細い。

 だからアンディシュから受け取った銀貨二十枚を、食費だけで使い切るなんて、とてもじゃないが不可能だった。


 だから、私はちょっとだけ贅沢をした。服を新調したんだ。


 最初は仕立て屋さんに作ってもらおうとおもったけど、「もったいない!」という母さんの一言で、インディゴの葉で染めた生地だけを銀貨十枚で購入して、母さんが服を仕立ててくれた。

 青色のワンピースで、腰の部分で前紐を結ぶ、今はやりのスタイルだ。


「これなら腰のくびれが強調されて、貧相なあんたも少しは女らしく見えるってもんだよ!」


 母さんは、そう言いながらも目をほそめて、私の事を愛おしく見つめてくれる。


「ありがとう、母さん」


 私がこころからのお礼を言うと、


「次は、自分で作るんだよ!

 炊事と農作業は随分とうまくなったが、裁縫はあいかわらずなんだから!!」


 と怒られてしまった。


 うーん、私、裁縫は苦手なんだよな……取れたボタンをつけるのも四苦八苦していたし、というか、日本にいたころは、ほとんどファッションに頓着してなかったし。


「服なんて高級品なんだ。めったに仕立てることなんて出来ないんだよ!

 本当に、アンディッシュさんには感謝しかないよ。

 銀貨二十枚なんて大金を、ポンとよこしてくれるんだもの。

 きっと、いいとこのお坊ちゃんに違いない!

 ナスカ、アンディシュさんを絶対にのがすんじゃないよ!」


「あ、あははは……」


 私は、乾いた笑いを出すことしかできなかった。


 正直言って、アンディシュが私に惚れるなんてありえないと思うんだけどな……だって彼が好きだったのは、私のような、引っ込み思案なレタス農家の元おっさんじゃない。大学きっての麒麟児だった、ナスカなんだもの。


「じゃあ、母さん、わたしは畑仕事にいくから」

「ああ、頼んだよ」


 三か月後、アンディシュは私を迎えに来ると言っていたけど、おそらく、冷害に強いジャガイモの栽培を行うために呼び戻すつもりなんだろう。

 彼、そして大学が興味あるのは私じゃない。寒冷地でも容易に栽培可能なジャガイモなんだ。


 でも、それで構わない。なぜならそれこそが、ナスカがその身体を捧げて、私に望んだことなんだもの……。ナスカの想いに全力で応える。それが私の使命なんだ。


 私は外に出て、庭の畑の土をいじる。


 うん。ジャガイモは順調に成長している。そろそろ、芽かきと、土寄せと追肥をするころだろう。落葉樹で作った腐葉土がうまくいくといいんだけど……。


 ・

 ・

 ・


 アンディシュは、ナスカの家に向かっていた。

 身長190センチを超えるアンディシュが、北方原産の逞しい白馬に乗ったその姿は、堂々としたものだった。


 中央の大学からナスカの家までは、徒歩で一週間の道のりだ。

 月一で通うとなると、さすがに移動時間が惜しい。

 だが馬を使えば、三日とかからない行程だ。


 白馬が特産である北方地方の出身であるアンディシュにとって、乗馬はお手の物だ。辺境の要所を護るオタベ卿の子息として、馬術、そして馬上武術は当然の嗜みだった。


 アンディシュは白馬を走らせ、ナスカのもとに急ぐ。白馬に少々無理をさせ、三日かかる工程を二日に短縮していた。

 ナスカと過ごす時間を、一日でも多くしたかったからだ。少しでもナスカと一緒にいてジャガイモの情報を聞き出したい。そして……もう一度、あの花の咲いたような笑顔を観たい。


 アンディシュは、心の中に湧き上がる、とてもとても複雑な感情を振り払いつつ馬を走らせた。そして想定よりも二時間ほど速くナスカの村へとたどり着いてしまった。


 ナスカの村に入ると、村は麦の収穫の真っ最中だった。


「今年は随分と身が痩せちまってらぁ」

「あれだろ? 魔女が引き起こした寒冷化のせいだろ?」

「あんなのデマにきまってらぁ、デマが広まって二年もたつが、それでもキッチリ麦は育っているじゃあないか!」

「しかし、今年の気候は変だねえ。いつまでたっても曇天のままだ」

「ああ、そろそろお天道さまを拝みたいよ!」

「おまえさんは、そのお天道さまを肴にペールエールをひっかけたいだけじゃないか!」

「当然さぁ! お天道さまの陽気の中で真昼間から吞む一杯! それが収穫期の楽しみってもんだろう?」


 村人たちは、話をしつつも、一切手をとめることなく収穫作業に勤しんでいる。

 アンディシュは、その話を聞いて胸が痛くなる。

 

 村人たちは、これから訪れる寒冷化の事を知らないのだ。

 毎年、収穫時期に訪れていた春。曇天の空が取り除かれ、太陽が拝める季節。


 それが、数年前から少しずつ遅れててきている。

 そしてシメオン曰く、今年は

 そしてそのまま記録的な冷夏が訪れて、土壌は堆肥を得られなくなる。


 おそらく、来年は、数百年ぶりの麦の不作が訪れるだろう……。


 アンディシュは、白馬のたずなを握りしめ、ナスカの元へと急いだ。

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