第2話 三人の師匠

僕がウィルという名前を知覚できるようになった頃、神々は諍いを始める。


教育方針に違いが出始めたのだ。


拾い親である万能の神、あらゆるものに化身し、誰も本当の姿を知らない無貌(むぼう)の神レウスは牡鹿の姿でこう言った。


「ウィルは優しい子供だ。自由奔放に育てたい。この山でなにものにも縛られることなく、天衣無縫(てんいむほう)に育てたい」


その教育方針には残りの神々も賛成したが、まずは剣神であるローニンが言う。


彼は剣を司る剣術の神で、東洋のサムライのような格好をしている。腰にぶら下げている曲刀は東洋のサムライブレードだった。


ローニンは刀を掲げながら言う。


「自由奔放に育てるのはいいが、男には腕っ節が必要だ。特に剣術がな。この子には剣術を習わせ、最高の剣士にしたい」


と、手作りの木刀を僕に握らせる。幼い僕は喜びながら木刀を振るう。


それを見ていたミリアが木刀を取り上げ、僕を抱きしめる。


「なにを野蛮なことを言っているの。この子は山の動物たちに囲まれ、彼らの傷を癒やす治癒師になるの。獣のヒーラーとして穏やかに人生を過ごさせるのよ。剣術なんて野蛮よ」


「なんだと!」

「なによ!」


ローニンはミリアを睨み付けるが、彼女には暖簾に腕押しだった。彼女は治癒の女神であるが、その実力は剣神に比肩するのである。


それにミリアは女性ながらとても気が強いのだ。


治癒の女神、別名、豊穣の女神は今はこの山で隠遁生活をしているが、神代の時代は邪神に対抗するため、先頭に立って、数々の邪悪を打ち払ってきたのだ。剣神とて恐れることはなかった。


そんなふたりのやりとりを見つめるのはとんがり帽子をかぶった隻眼の老人。いかにも魔術師っぽい風体をしているが、事実、彼は魔術師だった。


名をヴァンダルという。魔術の神である。


彼は魔術の真理を究めるため、このテーブルマウンテンに引き籠もり、本の山に埋もれながら研究を重ねていた。


いわく、前にひげを剃ったのは数年前、というほど魔術に没頭する研究者タイプだが、彼も僕の教育方針に一言あるらしい。


「この子は利発で聡明だ。是非、わしの後継者としたい。最強の賢者として教育したい」


その声は枯れていたが、力強く、決意に満ちている。


つまり神々の教育方針が分かれた、ということである。



剣術を極めさせたい剣神ローニン。

治癒師にしたい女神ミリア。

魔術の道を追求させたい魔術の神ヴァンダル。



三人が三人、一歩も引かない。

神々の間に火花が飛び散る。


一触即発、まるで火薬庫のようになるが、仲介するものが現れる。


万能の神レウスである。


彼はこのテーブル・マウンテンの神々をとりまとめる主神なのだ。


無限の貌を持つ神であるが、牡鹿の形をしている彼は、威厳ある表情と声でこう言った。


「子供の前で争うな! それ以上、喧嘩をするならば、ウィルを連れて、別の世界に旅立つぞ」


主神に怒られたから、というよりも愛する子供を奪われることに恐怖した三人は、それぞれの主張を止める。


――一瞬だけであるが、ローニンがいったん、引き下がる素振りを見せたあと、さり気なく木刀を僕の側に置き、喧嘩が再発する。


ミリアは僕の近くに薬草を置き、ヴァンダルは魔術書を置く。老獪なヴァンダルは魔術書の上に飴を置くものだから、ふたりは激怒する。


また、殴り合いの喧嘩になりそうだったので、万能の神レウスは言った。


「ええい、お前ら、いい加減にしろ。なぜ、そんなにも自分の意見を通そうとするのだ」


ローニンは答える。


「それはこの子が可愛いからだよ、レウス。可愛い我が子には自分の跡を継がせたいものさ。てゆうか、剣術は最高だ。きっと、将来、この子を守ってくれるはず」


ミリアも答える。


「前半までは完璧に同意。でも、この子を守るのは優しい心よ。相手を癒やす力こそがこの子の糧となるはず」


ヴァンダルもうなずく。


「その通り。しかし、この子を救うのは知識だ。万物の知識こそこの子を幸せにするはず」


それぞれが僕を愛してくれているのは分かるが、このままだと埒があかない。


そう思ったレウスは宣言する。


「分かった。そこまで言うのならばそうするがよい。ただし、喧嘩は禁止だ。もしも喧嘩をしたならばウィルは取り上げるぞ」


レウスは一拍おくと、


「ウィルの教育は日替わりでおこなう。それぞれ順番にな」


と宣言した。


「それはどういう意味?」


女神ミリアは尋ねる。


「そのままの意味だ。我らが子ウィルにはそれぞれが教育を施す。つまり、ローニンが剣術を、ミリアが治癒を、ヴァンダルが魔術を教え込むのだ」


その言葉を聞いた神々は、

「その手があったか!」

という顔をした。


その表情を見たレウスは、


「これで決まりだな。この子は最強の神々によって、最高の教育を受ける。やがて大人になるだろうが、そのとき、どのような大人になっているかな」


と、漏らした。


剣神を超える剣術を持ち、治癒の女神を超える癒やしの力を持ち、魔術の神を超える魔力を持っているかもしれない。


あるいは、剣術はローニンにおよばず、治癒はミリアに劣り、魔力はヴァンダルに負ける中途半端な大人になっているかもしれない。


しかし、そのようなことはどうでもいいことだった。

肝心なのは、ウィルという子供がどのような人間になるかである。


レウスとしては身体の強さよりも心の強さを持ってほしかった。


どのような強敵にも屈しない強い心、悪を許さない正義の心、弱きものに情けを掛ける慈悲の心。


それらさえ備えてくれれば、たとえ最弱の男になっても構うことはなかった。


そのようにウィルを育てる決意をしたが、レウスの杞憂は数年で吹き飛ぶ。


赤子から幼児へと成長する過程で、ウィルはとんでもない強さの片鱗を見せる。


ある日、剣神ローニンがウィルに訓練をほどこしていた。


朝から晩まで剣術の手ほどきをしていたのだが、ローニンは冗談めかして言った。


「ウィルよ、目の前にある巨木を切り裂けば、お前が前に欲しがっていたダガーをやるぞ」


「本当?」


ウィルは喜ぶと、さっそく巨木を切り裂く。


ローニンのように剣の先から剣閃を出そうとするが、そうそう簡単に出るものではない。


――出るものではなかったのだが、ウィルは三回、ローニンの真似をしながら木刀を振るうと、木刀の先から剣閃を出す。


木刀から放たれた黄金色の剣閃は巨木に当たる。

砕け散る巨木。


それを見ていたローニンは、「――よくやった。約束通り、ダガーはやるよ」とウィルにそれを渡す。


ウィルは喜びながら、山の仲間たち――、動物たちにダガーを見せびらかしに行く。


そこに現れたのは治癒の女神。彼女はローニンの横に並び立つと、ウィルをべた褒めする。


「すごい才能ね。治癒師としてだけではなく、剣士としても一流だわ」


もちろん、あの子は治癒師にするのだけど、と続けるが、ローニンはそんなこと聞いていなかった。正確には耳に入らない。


ウィルのすさまじい才能に驚いているのだ。


ローニンは木があった場所まで歩むと独り言のように言った。


「……俺は木を切れと言ったんだぜ? それなのにウィルのやつは木を砕きやがった」


砕けた木片となった欠片を握ると、にやりと微笑むローニン。


ミリアは治癒師に、ヴァンダルは魔術師にしたいようだが、ローニンはウィルを最強の剣士にしたかった。


ウィルのとんでもない才能を見て、決意を新たにするのだった。

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