◆7◇ BABYDOLLは、立ち上がる!


―◆◇〖リィナ side〗◆◇―

 

 すっかり泣き腫らして、空虚な陽光の中。私はうたた寝をしたくなる。硝子一枚隔てた向こう、黒い服を纏った人達が朝に歩み始めていた。仕事や保育園に行くんだろうな。いつもなら学校に向かっている頃だけど……同級生クラスメイトも私の事を忘れているはず。

 

 パパとママのように『誰? 』と言われるのを想像しただけで……息を満たすはずの肺は串刺しにされたように、自由にならなくて。自分が生きて立っている事さえ疑ってしまう。知らない子を見るようなパパとママと目が合った時……記憶ごと私の存在は煙みたいに揺らいだ。消えかけの私は向かう場所なんて無くて、空っぽのまま置いてけぼり。

 

 私を忘れて朝に歩んでいるはずのパパとママの事を思うと、まだ涙とシャックリが戻ってきそうだけど……流石に疲れが打ち勝ったのかも。瞼が重くて……。

 

「はい、どうぞ」


 捨てられた人形のようにショーウィンドウへ寄りかかっていた私に、突然差し出されたのはふわふわの白いパンと、鮮やかな赤紫マゼンダのジュース。目が覚めるような鮮やかさに、瞬いた私は差し出してくれた彼女を見上げる。


 金色を帯びた鮮やかな黄緑色の欖石ペリドットの瞳は優しく細められ、高く結われた鈍い紫モーブの髪がふわふわと揺れた。陽光から暖かな光芒を連れてきたのは、きっと偶然じゃない。


「……ありがとう」


 パンとジュースを受け取る。一口飲むとローズジュースの意外な優しい甘さが広がって驚いてしまう。ふわふわの白いパンを頬張ると、練乳クリーム入りの嬉しさに気がつく。お腹が満たされると、あんなに泣き腫らしたというのにジワリと視界がぼやけた。光芒が涙に滲み更に輝く。私は、まだ残っていた優しさに気が付いた。


「ごめんね、ちょっとに手間取っちゃって。朝食渡すの遅くなっちゃった」


「交渉……? 」


 はて、何のことか。と首を傾げた私へ、アイは慌てたように言葉を選んでは結局げられない。私を怖い野犬から助けてくれたアイも私と同じように悩む事があるんだ、と驚く。漆黒を纏う皆とは違う色。紅白の羽織と明るい黄レモンイエローのチュチュスカートを翻して、私の前に現れたアイはとても強い人なんだと思っていたのに。


「えと……もし、良かったらだけど。私とファッションショーでもして遊ばない?」


「ファッションショー? 」

 

 はにかんだアイの唐突な提案に、私はやはり瞬きを返す事しか出来なかった。アイの後ろに広がるディスプレイには、カラフルなドレスとアクセサリー。そして反射する鏡面の床に、この場所の名を〖Boutiqueブティック Sunサン〗と彼女達が呼んでいた事を思い出す。

 その瞬間、私はアイ達のお仕事の邪魔をしていたのではと背が粟立つ。ショーウィンドウなどにへばりついて。さぞ邪魔だったろう。

 

「ごめん、私お仕事の邪魔だったよね。気を使わなくてもいいよ、もうちょっと端っこにいるから」


 出て行くね、とは言えなかった。ここを出たら私は……居場所が無くなってしまうから。ずっとここに居られる訳ではないだろうに。


「違うの、リィナは邪魔なんかじゃないよ。寧ろ……私を手伝って欲しいと言うか。リィナが良ければ、コーディネートさせてくれないかな? 私、まだまだ新米コーディネーターだから」


 恥ずかしそうに微笑するアイには嘘偽りの気配など無い。私にも役に立てる事があるのかな。

 

「私……で良ければ」


 おずおずと返事をした私の躊躇いは、アイの満面の笑みに攫われた。そのまま手を取られ、駆け出す! 一体何処へ!?

 

「良かった! なら早速来て欲しいの」


 戸惑ながらアイに引っ張られる私の視界に、壁に寄りかかる青年が映る。紺滅こんけしから白菫色しろすみれいろに化す髪。宵闇の睫毛瞬く双眸は、紫黄水晶アメトリン。憂いのある美貌で、アイを見つめて優しく呆れたように微笑する彼は確か、ネリアル。

 

 アイの兄であるという彼は、私が野犬に襲われかけた夜……冴え渡る月明げつめいを戴いていた。冷たく輝いていた彼は、私には少し怖かった。

 優しく微笑することもあるんだ、と意外性に私は目を丸くした。


「リィナは何色が好き? 灰みの黄緑アップルグリーンかな、明るい灰みの赤ローズピンクもいいよね。あ、鮮やかな青サファイアブルーも捨て難い! 」


「それはアイが好きな色だろ」


「そうかも……まぁ、私は全部好きなんだけど! 」


 ディスプレイの前、私とアイは立ち止まる。彼女の好きなカラフルな色彩は鮮烈に現れた!


 強い赤紫ブーゲンビリアの花弁が華やかなサマードレス。胡桃釦がレトロな深い赤茶バーントシェンナのオーバーオール。雲みたいな綿コットンレースの、明るい灰みの青スカイブルーワンピース。明るい黄ミモザの刺繍が施された滑らかなポンチョ。


「可愛い……」


 ディスプレイは花畑みたいにカラフルで、シャンデリアの光を受け取りキラキラと輝いていいた。まるで、夢の世界に迷い込んだように、心臓が高鳴る。この世は漆黒のお洋服だけじゃない……。


「でしょ? リィナはどれが着てみたい? 」

 

 全身鏡の前で、アイは深い赤茶バーントシェンナのオーバーオールを私に試しで当ててみてくれた。胡桃釦は可愛い……だけど。

 衣装の問題じゃない。全身鏡に映る私は、自信なさげに瑠璃唐草ネモフィラの瞳が揺らいでいた。

 

 私は、自信が無い。新しい事に挑戦しても、すぐに失敗してしまう。私はママとパパに『赤ちゃんみたいね』って良く言われてた。愛してくれている証でもあるとは理解している。けれど、何度教えて貰っても家事の一つも上手く出来ない私は『赤ちゃん』みたいに、まるきり役立たずだった。要領が悪いせいだと、諦め続けてきた自分が鏡の中に居た。

 

「……選べない。私、素敵な衣装なんて似合わないのかも」


「そんな事ない!リィナは可愛いよ。淡い青みの桃色ベビーピンクの髪はふわふわしてて砂糖菓子みたいだし、瑠璃唐草ネモフィラの瞳は澄んでて、私まで綺麗な気持ちにしてくれる。リィナはさ、どんな自分になりたい? 」


「なりたい自分……? 」


 眩しい程にアイは綺麗に笑う。きっと、アイは自信に満ちているんだろう……と想像する。アイみたいに、私も強く有れたら。


「私……自分に自信が欲しい。『赤ちゃん』みたいに何も出来なくて弱い自分から変わってみたい。……なんて出来るかな? 」


 掴んでみた衣装の袖は、ぬいぐるみと手を繋ぐように安心したけれど……ちょっとだけ勇気が出せた証だよね。


「 もちろん! 私はその為に居るんだから。〖太陽の救世者〗にお任せあれ! 」

 

欖石ペリドットの瞳を輝かせたアイは、笑みを弾けさせた。元気よく、紅白の羽織と明るい黄レモンイエローのチュチュスカートを翻す。

 

 ――私を救ってくれた時と同じ自信に溢れた姿は、『憧れ』として私のまなこに刻まれている。


 

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