第16話 汚れ

 迷宮に棲む悪魔と、同じ規模での地上に住む人間の集団とでは、人間の方が遥かに共同体としての意識は薄い。おそらく、悪魔には生物的な本能に基づく個体同士の"格"の違いがあるのに対し、人間は価値観から生まれる"権威"によって支配しようとするからだろう。


 同じ規模での人間と悪魔の群れを比較すると、人間の作る群れではそのことが、一つの目標をもたず仕事の効率が悪いという結果になり、内部分裂の原因になり、能力に見合っていない個体が群れの支配者層に「何体も」割り込んで来るという"ちぐはぐ"した状況が起こることにもつながる。しかし、生物にはそれぞれにあった生き方があるのだから仕方がない。



 レディットは冒険者としてもダンジョン攻略の指揮官としても非常に優秀な人間だった。

 しかし彼の友人で、同じダンジョン攻略の作戦に加わっていたライラックは、そのちぐはぐ個体の好例だと言える。


 この男とブレイズは、「託卵所」と呼ばれる有翼アルテミア人が働く売春宿で出会った。

 彼女は、ライラックが強いコネクションを持っており、周りの人間がなぜ出世に興味がないのか、むしろ、それを悪として捉えるのか不思議そうにしていることを知っている。 おそらく、半分嫌味で半分本気。

 実際には彼が、指揮官において必要とされる魔術について、指揮、統率について、迷宮についての知識の大部分を知らないままでいるということも知っている。



「ブレイズ・・・やっと会えたな」


「落ち着いて下さい、ライラック様。私も会えて嬉しいです。」


 ライラックはブレイズの腰に手を回し、彼女の体を引き寄せる。

 ひどい酒のにおいがして、ブレイズは思わずせき込んだ。


 この男が普段、どのような暮らしをしているのかも彼女は知っている。

 仕事の上でも、堕落と腐敗に満ちた生活が当たり前で、誰もそれを指摘しない。ライラックのクズさは枚挙にいとまがないが、ダンジョン近くの駐屯地にいる兵士たちからは一定の人望を獲得しているのだ。それは麻薬の売買を仲介しているからで、ダンジョン攻略に対しての利益はほとんどもたらさない。


 指揮官として仲間を鼓舞したことはなく、むしろ堕落させる最悪の男。それだけに利用価値はあった。


「あなたに渡したいものがあります」


「レディ・・・メタックか?君もやるのか?」


「いいえ、結構です」


 彼女は最大限の笑顔を保ったままそう返す。


なんて名乗ってるのに。見た目通り清純派を気取ってるのか・・・?」


 実際には彼女は悪魔であり、清純でもなんでもない。

 彼女の見た目は、アルテミア人であった頃からほとんど変わらない、むしろ更に洗練されたものとなっている。しかし、悪魔はどこまでいっても不浄の存在なのだ。


「ふっ。ある話を思い出した」


「なんですか?」


「私のある部下は、君のように清純そうな妻を誇りに思っていた。だがある日、家で謎の白い粉を見つけてしまった」


「はぁ」


「部下が相当ショックを受けたのを知っている。・・・私自身が自殺を食い止めてやったのだから」


「先入観が強いからでしょうか、それは大変でしたね」


「そういうとき、男が思い詰める理由は薬物を服んだ事実よりも背後に潜む人間関係だ。・・・でも実際、それは単なる瀉下薬だった。人騒がせな奴だ。私なら一目みただけでわかるがな」


「ふふっ。でも、信頼していたからこそでしょうね。見ただけで本当にわかるものなのですか?」


「薬の知識があるのでね。グラウバー塩などは自分で調合することもできる」


「流石ですわ。錬金術にも堪能なんですね」


 ブレイズがこのろくでなしと再び接触を試みたのは、彼がダンジョン攻略の作戦指揮官の一人であり、宿敵であるレディットとも関係が深い人物だからだ。


 その後ライラックは、彼女が密かに服ませた睡眠薬によって眠った。


 鼻の粘膜から吸収されたので、ごく少量でもすぐに効果が現れた。彼の知識をもってしても、一目見ただけでは睡眠薬と判断することは出来なかったようだ。


 彼女はその隙にダンジョン攻略の情報を盗み出し、その場を後にした。

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