第53話 女神は美食だけを好む

 クイニーの戦いを青ざめながら悪態をつくプレイヤーもいたが、多数は暴漢を懲らしめた彼女に好意を持ったようだった。さらに壊された料理店を修復したことも好感度上昇に繋がった。事件の渦中にあった洋食店ナックルガードの店主バウワウはガラスで切った左腕を抑えながらクイニーに駆け寄った。


「クイニーさま、お店を直してくださって、ありがとうございます」

「まぁ、大変! 怪我をしているわ」


「あ、ポーションを使うのを忘れてました」

「さぁ、こちらに……」


「え? ……う、わあぁ。怪我がーー治った。凄い……クイニーさま、ありがとうございます! 本当に……ありがとうございます。グス、グス……えへへ」


 バウワウが泣きながら喜んでいる様子を見ていたプレイヤーたちはクイニーを囲んで拍手を贈った。胸元に左手を添えて、ふわりとお辞儀をしたクイニーは右手の平を上に向けると、小さな星が詰まったボールを作った。真上に飛んで行ったボールは花火のようにはじけて、虹色の光を放った。


わたくしからの祝福を皆さまにーー」


 ランダムでバフを付与する女神の祝福がクイニーの傍に集まっていたプレイヤーたちに降り注がれ、通りから大きな歓声が上がった。


わたくしの依頼が欲しい方は、合言葉をどうぞ」


 クイニーは微笑みながらクエストを配布し始めた。彼女の合言葉は『料理を召し上がれ』だったが、笛吹ヴィータやミミックの王ハルデンのように配布後に立ち去ることはなかった。彼女はかくれんぼをする意思がないようだ。


 クエストの内容は料理店でのアルバイトや料理に使う素材集め、強盗団の討伐など、ゲーム初心者から上級者まで楽しめるものが多数あった。


 クリア報酬はプチクッキングスキルの他、料理店で使える飲食チケットと、らいなたん商店でアイテムと交換できる『エメラルドの果実』という林檎の形をした宝石だった。


 らいなたん商店で交換できるアイテムは宝石の数によって違っていた。食材などの消耗品、衣装やマイルームに設置できる料理器具、そして暴食の女神クイニーのデフォルメ人形、彼女の銘が入った武器や防具などなど……品揃えは豊富だ。そのため、クエストを貰いにクイニーの元に足繁く通うプレイヤーは多かった。



 『洋食店ナックルガードをクイニーが救った』という話題は、瞬く間にプレイヤーたちの間を駆け抜けた。それに加え、クイニーが歩きながら『冒険者に役立つバフ』を付与していたということもあり、彼女が『クイニーさま』と呼ばれて慕われるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。


 クイニーはNPCによくある決まったセリフ以外の言葉を喋ることが多く、それも人気の1つだった。楽しそうに会話をする彼女に惹かれて、クエストを貰う以外に声をかけるプレイヤーも少なくない。


「まるで人間の女性のようだ……。とてもNPCには見えない」


 レベル50の古参でパラディン職のマーチンは大型アップデートで追加された数々の事柄に目もくれず、クイニーと積極的に会話をしようと追いかけていた。


「ストーカーっぽい行動だが、ここはゲームの世界で、しかもクイニーはNPCだ。ぎりぎりセーフってことで良し! 」


 そんな感じで自分に免罪符を与えたマーチンにクイニーが戸惑うことはなかった。常に微笑みを湛え、彼が来る度に依頼を書いた封筒を渡していた。


 『サーベイの街の時計塔の上から降りられなくなった白猫を助けて下さる? 』クイニーにそう言われれば、マーチンは階段のない時計塔を必死に登りーー。


 『バッハベリア城の料理人がテラヤ森林地帯に蔓延る強盗団に囚われてしまいましたーー』……と言われれば、仲間を集って料理人を助け出し、強盗団を殲滅した。そして今……、マーチンは輝く笑顔に見惚れている。


「スピナーチ平原にいるバジリスクの卵で作ったオムレツを食べたいわ」

「最高のオムレツを作って参ります! 」


 いつものように、すぐに駆け出したマーチンはバジリスクと争いながら卵取りに奮闘した。しかし、いざオムレツ作ろうとした時、プチクッキングスキルでは作れないことに愕然としてしまった。このままではクイニーに向ける顔が無い……。マーチンは大急ぎで料理人職のフレンドの元へ走った。


「シュガー、忙しいのに我儘をいってすまない」


「いいよいいよ。バジリスクの卵は大型アプデで追加された食材だからさ、マーチンから連絡が来た時、めっちゃ嬉しかったよ」


「そういってもらえると、ありがたい。卵を全部渡すから、最高のオムレツを頼む!! 」


「オッケー! 腕によりをかけて作るから待ってなっ」


 料理人職のシュガーはマーチンが取り出したバレーボールサイズの卵に目を丸くした。


「バジリスクの卵ってこんなにでかいのか!? 出来上がりは普通サイズでおっけ? 」


「女性が食べることを想定して作ってくれると助かる。余った卵は貰ってくれないか? 」


「おっけーさんきゅー! って、マーチン……いくつ取ってきたんだよっ。多すぎだろっ。ぶはは! 」


 シュガーが作った料理を手にした時点でクエストはクリアになった。だが、マーチンは『食べたい』と言ったクイニーのために、出来立てのオムレツを持ち帰った。彼女にプレゼントを渡すプレイヤーはまだ見たことがない。受け取ってくれるだろうか? 一抹の不安を感じながらも、マーチンは恐る恐る料理を差し出した。


「クイニーさま、バジリスクの卵で作ったオムレツをお持ちしました」

「まぁ、なんて美味しそうなのかしら」


 クイニーはご機嫌な面持ちでテーブルをポンと出して椅子に座ると、オムレツにすっとナイフとを入れた。嬉しそうに口に運ぶ姿にマーチンの頬が自然と緩んだ。


 ーー彼女がプレゼントしたものを喜んでくれた! 


 胸元に右手を当てて速くなる鼓動を抑えていると、ふいに眼前に小窓が開いた。そこには『暴食の女神クイニーの好感度が3%増えた』と表示されていた。


「好感度があるのか!? 」


 驚いて言葉を零したマーチンにプレイヤーたちが興味ありげな視線を向けた。ランドルの街で情報集めをしていたディグダムは目を輝かせながら人混みをかき分けた。


「あの、すみません。俺は萬屋商会のディグダムと言います。ちょっと取材させていただいても? 」


「えっ、あ、はい」

「今さっき言った好感度について、詳しく教えてもらってもいいですか? 」


「えっと、クイニーさまにオムレツをプレゼントしたら、『好感度が上がった』という表示がでたんですよ」


「好感度ですか……。ちなみに、どのくらいアップしました?」

「3%ですね」


「ほうほう、なるほど……。100%になると、どうなるんでしょうね? 」

「分かりませんが……。たくさんプレゼントしてみますね」


 マーチンは照れくさそうな笑いをディグダムに見せた。面白い話を聞けたと喜んだディグダムはフレンド登録をマーチンにお願いした後すぐに、スマホのメモにクイニーの情報をまとめた。



 暴食の女神クイニーはランドルの街の中央広場からバッハベリア城に向かって大通りを歩いていた。プレイヤーたちはクイニーが手を振れば嬉しそうに手を振り返し、彼女が行く先は警備員NPCが出動するほど人だかりが出来ている。彼らの笑顔にクイニーは胸がジーンと熱くなるのを感じた。


 街とプレイヤーを守るヒーロー……それは彼女が思い描いていた理想そのものだった。行動や会話については、今のところ不自由はない。クイニーは何もかもが楽しくて満足げに微笑んだ。


「こんな素敵な日常がずっと続くのね。嬉しいーー」


 ふとした瞬間に、現実世界での記憶が心に過ぎった。クイニーはプレイヤーたちに悟られないように、オープンカフェテラスの青い椅子に座ると、羽の扇で顔を隠した。


「冒険者の皆さま、少しだけ休憩させていただいてもよろしいかしら? 」


 クイニーの傍に集まっていたプレイヤーたちはがっかりしたような表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して周囲のテーブル席についた。しばらくするとーークイニーの傍でティータイムを楽しもうとするプレイヤーが集まり始めた。


 賑やかなプレヤーたちの声が……どんよりと沈んだ暴食の女神の心にさらに追い打ちをかけた。どうしてこんな嫌な記憶が蘇ってしまったのだろうか……。



 とあるマンションの1室で、男女が言い争っていた。男は終始威圧的で『自分は悪くない』と言い張り、テーブルにあったグラスを叩き落とした。


「ちょっとーー暴力は止めてくれる? 警察呼ぶわよ」

「グラスを落としただけじゃないか。カリカリすんなよ」


「着払いで送るって言ったのに、どうしても荷物を取りに来たいって何度もしつこく言うから、しぶしぶ了承したのよ。この家はもう私のなんだから、さっさと出て行って! 」


 ダイニングテーブルの椅子に座っている男は腕組みをしながら顔をしかめた。


「ホント可愛げのない女だな。そんなんだから、俺に浮気されるんだよ」

「開き直る気? 」


「俺がせっかく結婚してやったのに、ゲームばかりしやがって、嫁としての自覚がなさすぎるんだよ」

「もう離婚したんだから、関係ないでしょ」


 女はむせびながら男を睨みつけた。


「あんたたちにせいで……私の赤ちゃんが……」

「おいおい、待てよ。お前が勝手に転んで流産したんじゃないか」


「私は! もう子どもは難しいって、医者に言われたのよ……」

「そ、そんなの俺にも理香子にも、関係ないじゃないか! 」


 男はダイニングテーブルを拳でドンと叩くと、女に向かって右手人差し指を突き出した。


「こ、このマンションをお前にくれてやっただろう? それに慰謝料だって300万も払ってやったんだ。お前、理香子から200万もとったそうじゃないか。ーーなんて強欲な女なんだ! 」


 女はグラスを手に取って、男の顔に勢いよくお茶をかけた。唇を噛みしめながら、男の背後にあるドアを差している。


「早く出て行って! 顔もみたくない」

「この野郎! 何しやがる! 」


 顔を怒りで赤らめた男は拳を振り上げたが、警察に通報しようとしている女を見て大人しく引き下がった。


「その言葉そっくり返してやるよ、守銭奴ばばぁ! 俺は若くて可愛い理香子と、生まれてくる子どもと一緒に幸せに暮らすのさ。あはは、あはははっ! 」


 女は下品に笑う男にーー『ゲス野郎』とつぶやいた。



 閑静な住宅街を網目のように走る道路で、若い女性が流行りの小型犬を連れて散歩している。その横を聡子は速足で通り過ぎて、門に設置されているチャイムを鳴らした。これから両親と会うのかと思うと気が重い。ため息を吐き出した聡子を母親が笑顔で出迎えた。


「お帰り聡子。大変だったわね……。そうそうこれ見て」


 母親の後についてリビングに入ると、オニオンスライスが入った2つの大きな深皿がダイニングテーブルを占領していた。


「お母さん、これは? 」


「テレビでね、血液がさらさらになるって言ってたの。お母さん、聡子のためにいっぱい作ったのよ。今日は泊まって行くでしょ? 」


 流行りものを見つけるとすぐに飛びつくのが母親の悪い癖だった。いつだっただろうか……きのこヨーグルトなるものを宅配便で大量に送ってきたこともあった。今度も段ボールいっぱいの玉ねぎを送ってくるような気がした。


「お母さん、私……今日はーー」


 そう言いかけた時に、ソファにどっかりと座っていた父親が怒鳴るように聡子の名を呼んだ。男尊女卑家庭で育った父親は娘を見下すような目を向けていた。


「ちょっとこっちに来なさい」


 しかめっ面の父親の対面にある1人掛けソファーに聡子は座った。父親は堂々としている娘が気に食わないのか、ますます眉間に深いしわを寄せた。


「母さん、お茶」


 母親は慌てたように急須に湯を注ぎ、夫の湯呑みにお茶を淹れた。聡子にもと湯呑を出そうとしていたが、夫に制止されてすぐにひっこめた。相変わらずの光景に聡子は不快感を露わにした。


 お茶をぐいっと飲んだ父親は長机を叩くように湯呑を置いた。


「ほらみたことか! こうなると思ったんだ。父さんが言ったとおりだろ? 」

「お父さん、止めてください」


「母さんは黙っていなさい。聡子、私は反対したじゃないか! それを無視してあんな男と結婚なんかするから、こんなことになるんだ」


「お父さん、言いすぎですよ。聡子は心に傷を負ってーー」


「聡子、心療内科に通っているそうじゃないか。私の親族にお前みたな心の弱い子はいないぞ。ーー母さん、お前の血筋のせいじゃないのか? 」


 母親は下を向いて口をつぐんだ。聡子は『家族をモラハラでコントロールしようとするゴミ野郎が! 』と怒鳴りつけたい気持ちをグッと抑えて、息を整えた。


「離婚成立の報告をしに来ただけだけなので帰ります」


「待て! お前、慰謝料を手に入れたんだろ? 少しは今までの恩返しだと思って実家にーー」


「お、お父さん、お金なんかいいじゃありませんか。聡子だってこれから大変なのに……」


「おい聡子、聞いているのか? 今まで育ててやったのに、親を無視するのか! 聡子! 」


 急いで玄関のドアを通り過ぎた聡子は逃げるように走った。


「あんな家……2度と帰るものか。あんなやつら親じゃない! 」


 聡子はコインパーキングに止めたクルマに乗り込んですぐにエンジンをかけた。だが……とめどなく溢れる涙が抑えきれず……ハンドルを握りしめたまま、枯れるまで泣き続けた。



 ーーわたくしに必要なのは美食なの。こんなお腹を壊しそうな記憶なんていらないわ。


 クイニーは周囲にいるプレイヤーに気が付かれないぐらいの小さなため息を漏らしたーー。このとても不快なデータを早く消去しなければ、輝かしい未来を歩むことが出来ないような気がしてならない。クイニーは『現実世界の過去の記憶』というデータをかき集めると、シュレッダー式のゴミ箱に放り込んだ。


 羽が付いた扇を膝に置いたクイニーの姿に気が付いたプレイヤーたちは、嬉しそうに次々と立ち上がった。誰よりも速く、彼女の傍に駆け付けたマーチンが笑顔で薔薇を模ったクリームを乗せたラズベリーケーキを差し出している。


「クイニー様、お召し上がりください」

「まぁ、わたくしに? とても嬉しいわ」


 優雅に、そしてとても美味しそうにラズベリーケーキを食べるクイニーにマーチンは釘付けになった。クイニーの好感度は少しずつ上がっていた。順調にいけば……デート出来ちゃうかもしれない!? そんな妄想に浸っている最中に、視線を邪魔するかのように小窓が視界のど真ん中にポンッと開いた。


 ーーもう強制ログアウトの時間か……。


 マーチンは名残惜しそうにクイニーを見つめた後に、表示されているログアウトボタンを指で押した。

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