第6話 脱出方法を探せ!

 パキラとスタンピートは樹木の間から湖を確認するように眺めていた。翡翠湖の守護龍は湖面中央に静かに佇んでいる。旋回しているワイバーンは5~6匹ほどで数は少なかったが、上空は黒い雲で覆われ、竜巻が湖面の水を巻き上げながら遊んでいた。


 状況が相変わらず良くないことを察した彼らはーー困ったような顔を互いに見せ合った。紫陽花のような葉を茂らせている低樹木の後ろでスタンピートはしゃがんだまま小声でパキラに話しかけた。


「なぁ、あいつらーー俺らを見失ってないか? 」

「そういえば、攻撃してこないですね」


 ひそひそと2人が会話をしているとーー1匹のワイバーンが左斜めにある岩場にスッと着地した。獲物を探しているのか、岩場周辺の花畑を歩きながら鼻をひくひくと動かしている。


 パキラは慌ててツタが絡まる樹木に身を隠すと、両手で口を抑えた。頭を引っ込めたスタンピートはいつでも森の奥に逃げ込める姿勢をとったまま、息を止めている……。額を汗が伝い、緊張感が辺りに漂ったーー。


 ワイバーンは赤い花を蹴散らしながら森のぎりぎりまで近寄りーースタンピートとパキラがいる方をじっと見つめていたが、何か思い立ったように空へ飛び立った。バサバサという羽ばたき音を聞いたスタンピートは、ゆっくりと息を吐き出した。


「危なかった……」

「うん、危なかったですね」


 パキラはカウンタースキルの見切りを使えばどうにかなるかもしれないと思ったが、タイミング評価をエクセレントかオーサムにしない限り、撃破するのは難しい気がした。他に仕えそうな攻撃スキルはないかスマホで確認している。


 ーー斬撃は相手と近すぎると威力が弱いし、小手斬りは弱点に大ダメか……ワイバーンの弱点ってどこよ!? あっ、ノックバックする突剣なら使えそう? 駄目だ……パーティでは使用禁止ってリンジェさんに怒られたからレベル1のままだった……。


 ボスの守護龍どころか、雑魚のワイバーンにすらどうやっても勝てる気がしないーーという空気がパキラにのしかかった。低樹木の後ろでしゃがんでいたスタンピートは少し森の奥に移動していた。奥で話そうと言ってパキラを手招きしている。


「パキラさん、手っ取り早い方法はデスリターンなんだけど……どうする? 」

「ううっ」


 ピクピクと動いていたパキラの白いケモミミがピンと横に張った。棺桶の黒い蓋を開けた時の、ぞわぞわとした感覚を思い出して鳥肌が立っている。パキラは自分を抱えるように両腕を擦ったーー。


「できれば、死にたくないです……。あの感覚はとても……怖い……です」

「……だよね。ーー俺もトラウマになったことがある」


「強制ログアウトまでここで粘るとか……ダメですかね? 」

「それは最終手段だな……。さすがに何時間もここにいるのはツライ」


「ですよね……」

「デスリターン以外の方法は……」


 スタンピートはうーん……と唸りながらポケットからスマホを取り出すと、忙しそうに指を動かして叩き始めた。


「ちょっと待っててね」


 樹木に寄り掛かっているスタンピートの隣で体育座りをしたパキラは膝を両手で抱えた。ーースタンピートに何か良い策があるのなら、あれこれと余計なことを考えるのは止めよう……パキラは、膝におでこをくっつけて、スマホ画面をじっと眺めている彼の言葉を待った。


 ピロン。


 着信音にすかさず反応したスタンピートはさらにリズミカルな音を奏でた。鳥の鳴き声すら聞こえない静かな森に、タタタタタという音だけが響いている。何かの曲を聞いているような気分になったパキラは少し心が軽くなった。


 スタンピートは目線を合わせるためにしゃがむと、膝を抱えて丸まっているパキラの頭を指でつんと突いた。顔を上げたパキラにパァと明るくなった表情を見せながら、嬉しそうな声を出している。


「パキラさん、俺ら助かるかも! 」


 その瞬間、バサバサという羽ばたき音が上空から聞こえてきた。パキラはカチンと石のように硬直したまま、音が聞こえなくなるまで息を止めた。ーー辺りに静けさが戻り、敵がいないことを確認したスタンピートは声を小さくして話を続けた。


「カンナさん経由で、カンストさんに助けてもらえることになりました」

「ーーええっ!? 」


 パキラは喜ぶどころか、眉毛を八の字にして泣きそうな顔になった。さっき聞いた話から推察すると、きっとものすごい金額をカンナから請求されたに違いない……。現在の資産がいくらだったを確かめるためにスマホをぱっと取り出した。


 ーーううっ……。死にたくないっていったのは私だから、全額……は無理だ。割り勘だと失礼かな? じゃあ、7割? は厳しい、6割でなんとか……。


 カンナへの支払い金額を考えているんだろうなと察したスタンピートは、ぽんぽんと優しくパキラの頭を叩いた後に、状況説明を始めた。


「パキラさん、お金は請求されていないから大丈夫。翡翠湖の情報と引き換えってことになったから心配しないでいいよ」


「本当ですか? 」


「ほんとほんと。カンナさんはここの詳細情報を持ってないみたいでさ。場合によっては逆にお金を払うって言ってくれたんだよ」


 スタンピートはまだ信じていない風のパキラを安心させるために笑顔を見せながら話を続けた。


「パキラさんは緊急支援の笛って知ってる? ーー登録者がログインしたら、それを送ってくれる手はずになったんだ」


 緊急支援の笛はレベル50のプレイヤーが、レベル25以下のプレイヤーに贈ることができる消費アイテムだった。


 笛自体はレベル制限がなく誰にでも使えるため、そこを上手くついたプレイヤーたちが、低レベルプレイヤーと組んで笛を売り捌いていた。また、フレンドと合流するためのファストトラベルアイテムとして利用するプレイヤーも多かったーー。


「スタンピートさん、すごい。ありがとう」

「いえいえ。しばらくここに隠れて、時間を潰そう」


 パキラは照れくさそうにしているスタンピートにホッとしたような笑顔を見せると、スマホをバッグにしまった。少し元気になった彼女は笛が届くまで、彼とお喋りを楽しむのもいいかなと思いながら、ゆっくりと立った。


「スタンピートさん、テリトリー壁? の傍で待ってる方が安全かもしれないです」

「そうだよね。ボスからできるだけ離れてた方がいいよね」


 2人が森を分断している戦闘テリトリー壁に向かって歩いていると、ふいに湖の中央で佇んでいた守護龍が甲高い声を上げた。それは音波を飛ばして探知するパルミスというスキルを使うときに発する声だった。


 穏やかだった湖面が激しく波打ち、植物が小刻みに揺れた。音波はじわじわと波紋のように広がっていたが、上手い具合にパキラとスタンピートがいる場所までは届かなかった。


 守護龍はプレイヤーを探せ出せなかったことにいら立ちを感じたのか、樹木が水辺ぎりぎりまで侵食している森の方へ移動しながら再び、甲高い声を上げた。ザラっとした只ならぬ気配を感じ取ったスタンピートはパキラの腕をポンと叩いた。


「パキラさん、ちょっと待って。ボスを確認するから」


 黒いウエストバッグから取り出した小さな双眼鏡のピントリングを動かすと、レンズの向こうで守護龍がゆっくりと右方向にあるクリスタルへ移動している様子が樹木の隙間から垣間見えた。

 

 その動きを観察しながら、スタンピートは改めて守護龍の頭上にある名称に目を向けた。


「湖から出てきた時はびっくりしてちゃんと見てなかったど、ボスの名称って『守護龍ジェイド』だったんだ」


「すぐにワイバーンに囲まれちゃっいましたから、ボスの名前を見る余裕なかったですよね」


「見た目もさ、深緑色でなんだか綺麗だよ。翡翠を表現してんのかな」


 呑気にも双眼鏡でしばらく眺めていると……移動を止めた守護龍ジェイドの顔がスッと動いた。スタンピートは目線が合ったような気がしたが、こんなに距離が離れてるんだから、さすがにないだろうと高を括った。


 ーー気のせい、気のせい……。まさか、俺を発見したとか……ないよね?


 スタンピートはボスに察知されたという自分の考えにゾッとしてすぐに否定した。だが残念ながらそれは間違っていなかった。守護龍ジェイドはにんまりと笑っているかのように目を細めて、スタンピートの頭上に獲物としての赤い星マークを付けていた。


 守護龍ジェイドが上空に向かって歓喜したように大きな咆哮を上げると、主人の喜びに応えるように黒い雲から稲妻が何度も湖面に落ちた。さらに水を巻き上げた竜巻が狙い定めた獲物に向かって移動し始めた。


 急激な変化に驚いたスタンピートは顔面蒼白になっている。


「え、まさかーー気のせいじゃなかった!? パキラさん、ごめん。ボスに見つかったっぽいっ! 」


 竜巻が激しい唸り音をあげながら森に近づいていることに気付いたパキラは反射的に日本刀を抜いた。スキル見切りで切り抜けられるかもしれないと思ったが、柄を握る手は震えていた。


 パキラが自身を励ましている最中に……ガサガサという大きな音が上空から聞こえてきた。スタンピートとパキラは咄嗟にシダ植物の茂みの中に身を隠しーーできるだけ身を低くして息を殺した。


 どうやら竜巻が移動する方角のどこかに獲物がいると思ったワイバーンたちが、森の上空からずぼっと枝葉に頭を突っ込んでいるようだった。彼らは唸りながら目をギョロギョロと動かしていたが、しばらくすると……頭を引っ込めて飛び去っていった。


 スタンピートは隣で落ち着きなくソワソワしているパキラの肩をポンと叩いて立ち上がった。


「あいつら、森にはどこからも侵入できないみたいだな」

「いっぱい赤い頭が見えたから、どうしようかと思いました」


「森にさえいれば大丈夫っぽーーあぁ……マジかよ」


 ホッとしたのも束の間、森に到達した竜巻が木々を破壊している音が聞こえてきた。ゆっくりだが確実に……2人に近づいている。


「あの竜巻、森に侵入できるんですね。まだ大丈夫そうですけど、ここにずっといるのは危ないかも……」


「アレがここまできたらやっかいだよな。俺がおとりになって、あっちの森に引き付けるよ」


「そんな……私がおとりにーー」


「いいや、サムライ職のパキラさんには無理だ。俺にはシーフ職の隠密スキルがあるから、あいつらの目を眩ませて逃げられる。あとでメッセ送るからさ、ここで待機よろしくっ」


 パキラの返事を待つことなく、スタンピートはすぐに駆け出した。木々の間を縫うように走り抜けーー森の外に飛び出すと……獲物の移動を察知した守護龍ジェイドが目をギョロリと動かした。パキラがいる森を削っていた竜巻はスタンピートを追いかけるために進路を変えた。



 スタンピートは上空をホバーリングしているワイバーンたちが騒いでいることに気付いていたが、立ち止まるどころか振り返りもしなかった。ギャーギャーという声を聞きながら、必死に目的地を目指している。


 ーーあいつら、目ざといな。まだ向こうの森まで距離があるのに! くそっ、隠密の持続時間って何秒だったっけ? 


 いつもゆるゆるとなんとなく使っていたため、肝心な時にどうだったか分からなくなっていた。やっと今のスキルレベルだと15秒だったかもと思い出したスタンピートの背後で3体のワイバーンが牙を剥きだしていた。


 3方から囲むように近づく彼らの気配にシーフ職のパッシブスキル第六感が反応した。


 ーーヤバっ! 隠密!


 突如、目の前にいたはずの獲物を見失ったワイバーンたちはーーあれ? どこ行った? という風にその場できょろきょろと頭を動かした。しばらく探すような素振りをしていたが……諦めたのか上空へ舞い戻っていった。


 その間に目的地の森にたどり着いたスタンピートは樹木の影から、その様子を窺っていた。肩で息をしながら、大きな鼓動がする胸に手を当てて、竜巻の進路を確認している。


「やっぱり思った通りだ。あの竜巻は俺を追いかけてる……。ボスが俺をタゲってるってことだな。それなら、パキラは安全だ」


 湖面に浮かぶ紫色のクリスタルからは、新たなワイバーンが生まれていた。赤い頭がにゅっとでる瞬間を、木々の間からばっちり見てしまったスタンピートは、オレンジ色の髪をぐしゃぐしゃと両手でかき回した。


「カンナさんからメッセがくるまで、俺が逃げ回ればいいけど……スキルディレイ中に、ワイバーンに囲まれたら……マジやばい」


 ポケットからスマホを取り出して画面を見たがーーまだカンナからのメッセージは来ていなかった……。


「クリスタルを壊してみるか」

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