4章 呪われた町

1.止まらない呪い

「時雨原は呪われている」

 それが、八子の結論だった。

 たった半月で七人も命を落としていることを思えば、卯月にとっても納得しかない話でもある。しかし、特に信仰深いというわけでもないため、半信半疑でもあった。

 そんな彼女の表情を読み、八子はお面の下で目を細め、おほほと笑った。

「いきなりこんな事を言っても意味が分からないわよね。いいのよ。じゃんじゃん疑いなさい。疑って、疑い続けて、納得がいってからアタシたちと付き合うかどうかどうか考えてちょうだい」

 そう断ってから、八子は話を続けた。

「まず前提としてお話しますけれどね、呪いなんてものは平和で恵まれた世界にだってありふれたものよ。今日を生きることが困難な世界でも当然生まれるものだけれどね、明日以降も生きていて当然だと思う世界であっても、人を強く恨む心はどうしても生まれるの。恨みは恨みを呼び、連鎖を引き起こす。そうして、誰も傷つけられないようなもっとも純粋な人が餌食となってしまい、そんな人達を愛する人達もまた恨みを抱くようになる」

 八子の言葉に捕捉するように、タマが卯月に向かって言った。

「たとえば今は……なんだっけな。現実とは違う世界とやらがあるのだろう? 何やら色んな形の機械を使って覗くものなのだが」

「ネットのこと?」

 ぴんと来た卯月の問いに、八子は短く笑った。

「そういう名前だったかしらね。とにかく、その仮想世界からも恨みはいつだって発生する。心と心が簡単に繋がるのですもの。現実では何も悪い事がなくても、強い恨みを貯め込んだ人たちが、その苦しみから解放されたいあまりに色んな言葉を綴るのよね。そこに宿った言霊はそれを目にした人々に様々な影響を与える。良い影響もあれば、悪い影響だってある。他人と簡単に繋がれるということは、そういうことよ。喜びや楽しみだけでなく、呪いも簡単に拡散されてしまう」

「呪いも……」

 卯月は呟きつつ、少しだけ分かる気がした。

 幻覚症状が何故辛いのかと言えば、それは人付き合いがあるからだ。他人からどう見られるのか、それが気になるからこそ卯月は悩んでしまう。

 ネットだって同じだ。他人が何を思っているのか、何を考えているのか、気になるから繋がろうとする。そして、知らず知らずのうちに飲まれ、いつの間にか言霊によって誰かの呪いを受けてしまう。

「感情は伝染しやすいし、人の心を傷つけやすい。心が傷つけば思考は乱されるし、思考が乱されればおかしな行動をとりやすくなる。そういったことの連鎖が人々の仲を引き裂き、怒りや悲しみを生み出す。そして、それらが高まった時、血は流れてしまう。時雨原の死の連鎖もまた、呪いから生まれているの。あなたを襲ったあの化け猫もね」

 八子はそう言うと、力なく息を吐いた。

「何処の地域だって同じ問題を抱えているわ。時雨原だけの話じゃない。ただ、アタシやタマちゃんはトキサメ様を御守するためにここにいる。だから、トキサメ様に危険が及ぶ前に何とかしなくてはいけない」

 その言葉に続けて、タマが腕を組みながら語った。

「かの化け猫がどうして生まれたのかは分からない。けれど、死の連鎖はいつ止まるのかも分からない。やがてあいつがトキサメ様を襲うつもりだという事はもう分かっている。お前さんに守りたい人とか世界とかがあるならば、ぜひとも力を貸して欲しいものだ」

「協力したいのは山々ですけど……」

 卯月はおずおずと二人を見つめながら言った。

「私に出来るのかな。私、何の取り柄もない女子高生なんだけど……」

「何の取り柄もないってことはないぞ。まず、あたしらの事が見える。これはもう今となっては貴重すぎる取り柄だ」

 タマの言葉に八子は頷き、続けて言った。

「そうよ。それに、過去に協力してもらった二人だって、アタシ達と出会う前は普通の若者だったのよ。だから、あなたに出来ないという事もない」

「そうは言いますけれど、やってみて駄目だったら? やっぱり役に立たなかったらって思うとちょっと……」

 卯月の言葉に八子とタマは顔を見合わせた。

 二人はしばし黙し、考え込んでしまった。沈黙が走る中、卯月は今すぐに消えてしまいたい気持ちに苛まれた。だが、再び口を開いたタマは、猫なで声でこう言った。

「駄目だったら駄目でいい。無理だと思ったら、いつでも引き返していい。あたしも八子様もそんな事でお前さんを責めたりはしない」

「そうね、タマちゃんの言う通りよ。見えるだけじゃ限界だってあるわね。精神的、肉体的に無理ってこともあるでしょう。それで協力をやめるとしても、それは仕方のない事よ。無責任でも何でもない。だから、そこは気にしないで」

 優しい言葉に卯月は少しだけ安心した。

 後戻りはいつでもできる。それを確かめられただけでも、気持ちは軽くなる。あとは、踏み出すかどうかを決めるだけなのだが、卯月はやはりその手前で悩んでしまった。

 はい、とも、いいえ、とも言えない。

 即断即決出来ない中で焦りだけを募らせていると、タマがそっと声をかけてきた。

「もちろん、ここで無理だと選択するのも自由だ。あたしらの依頼を断ったってそれでいい。それはお前さんの権利でもある」

 ──権利。

 その言葉を噛みしめながら、卯月は考えた。

 返答を躊躇うのはなぜか。怖いからである。では、何が怖いのか。思考の果てに行き着いた答えは、受け入れた場合の怖さそのものではなかった。何故、受け入れた上で駄目だった時のことを考えたのか。それは、決して手伝う事そのものへの怖さではない。自分が役に立たなかった時の事を恐れたからだ。

 では、何故、手伝うかどうかの決断を迷い続けているのか。現在、自分は何に悩んでいるのか。改めて考えてみて、卯月はハッとした。考え続けた結果、卯月は自分の心に気づいたのだ。自分は、断る理由を探しているのではない。承諾するため、背中を押してもらうための、根拠を探しているのだと。

 分かってしまうと、それ以上の躊躇いは不要だった。

「教えてください」

 卯月はやっと口を開いた。

「具体的に、私は何をすればいいのか。何を選択したらいいのか、教えてください」

 その強い言葉から、卯月の意思も伝わったのだろう。

 タマは口を結んで腕を組み、八子の様子を窺った。そして、八子もまた安堵したようにお面の下で目を細め、口元に笑みを浮かべた。

「質問ありがとう。そろそろ言おうと思っていたところよ」

 八子はそう言うと、両手を大きく広げた。

 途端に眩い光が生まれ、卯月は視界を奪われた。とっさに目を閉じている間に強い光が徐々に収まり、ようやく目を開けられるようになると、八子の手には先ほどまではなかった二つの物が置かれていた。

 一つはお面だ。

 八子やタマがつけているものによく似ている。白い獣のそのお面は、やはり鼻から上の部分しかない。三角耳のただ獣であるということのみが分かるお面であり、見るからにただのお土産品ではなさそうだった。

 そしてもう一つは刀だった。

 黒い鞘に収まった状態で、八子の両手に寝かされているそれ。思ってもみなかった、そして、現代社会ではたして受け取っていいものなのか疑問を覚えてしまう明らかな武器を前に、卯月はしばし凍り付いてしまった。

 模造刀なのだろうか。だとしても、木刀や竹刀ですら身近でない卯月にとって、戸惑ってしまう代物には変わりなかった。

 そんな卯月の反応を想定していたように微笑みつつ、八子ははっきりと言ったのだった。

「これで時雨原の呪いを断ち切って欲しいの」

 その言葉に卯月はさらに困惑した。

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