地球そのものが“ダンジョン”となったこの世界を、元社畜のアラサーおっさんが生き抜いていく。あの、ユニークジョブ【新入社員】ってなんですか? ─ステータスボックスが設置されました─

レーヌミノル

第1章 千代田区ダンジョン編

#1 モンスターであふれた世界にようこそ


「死ぬか」


 不幸は立て続けに起こるものであると、影原彰人かげはらあきとは思う。


 彰人には、彼女がいた。

 それはもう美人の彼女がいた。


 そう、“過去形”である。

 先日、破局した。


 Q. 別れた理由は? 

 A. 彼女が浮気したからだ。


 Q. 誰と浮気していたのか? 

 A. 自分の務める会社の同僚と、だ。


 涙ながらにその事実を彼女から聞かされたとき、彰人は怒りを通り越して、呆れてしまった。


 仕方なかったの……。


 涙ながらに彼女は言った。仕方がないのであれば、それに至った理由や経緯を聞かせてくれと問い詰めたが、彼女は頑なに口を割らなかった。ただ泣いて、ただひたすら謝るだけ。その態度が彰人は気に入らなかった。


 普段は温厚な彰人も、この一件には腹を立てた。

 探偵に依頼して、彼女と間男のプライベートを徹底的に調査。

 掴んだ情報は、ネットの海に放流。

 もう取り返しがつかない事態になっている。


 犯罪に手を染めていることを承知で、彰人は二人に対して報復を行った。裁判沙汰になろうが構わない。いっそのこと投獄されて、十年ぐらい刑務所暮らしを満喫しても良いと思った。そんな考えが過るぐらいに、彼の精神は追い詰められていた。



 彰人は、とある会社に務めていた。

 そこそこ名のしれたところだ。

 そこの経理部門で働いていた。


 そう、“過去形”である。

 昨日、クビにされた。


 ただ、そつなく仕事をこなしていたつもりだった。良好な人間関係も築いていたと、彰人自身は思っている。順風満帆な社会人生活。


 事態が急変したのは昨日のこと。

 売上の過少申告と、架空の経費を発見した。


 とりあえず、彰人がその件を上に報告してみたら、即刻“クビ”にされた。気がついてはいけないことだったと、後で分かった。


 退社する際に、上司から、絶対に誰にも話すなと強く念を押された。あまりに理不尽な対応だったので、その腹いせに国税庁に証拠の書類を提出した。彰人がそこまでするとは、会社も思ってなかっただろう。


 ……ざまあないな。


 まったく、弱みを握られてる分際で私を解雇なんかするからこうなるんだ。

 刑事事件として立件されれば、企業のイメージは暴落。倒産する可能性もある。

 この私を敵に回したのが、運の尽きだ。悪いのは会社だ。不正を働いていたのは会社のほうなのだ。私は被害者だ。裏切られたのは……この私なんだ。


 でも、さすがにやりすぎた。


 元恋人と寝取った彼氏に仕返しをしたのも、会社の不正を訴えたことも、結局ただの自己満足に過ぎない。よく考えてみれば、そこまでする必要はなかったのではないかと、少し後悔している部分もある。


 元恋人にも、会社で働く社員たちにも人生があるのに、自分の私怨で全て台無しにした。被害者たちは、彰人のことを恨むだろう。恨まれて当然だ。……大勢の人から憎しみを向けられながら生きていくのはごめんだ。


『──間もなく、3番線に、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』


 ホームの黄色い線の外側で立ちながら、急行電車がやってくるのを待つ。これから彰人は、自分の人生に決着を付ける。


「死んでやる」


 報復したところで、人生を捧げるつもりだった会社と恋人の2つを同時に失った悲しみは消えることはなかった。全てを失った自分にはもう、何も残されていない。


「……っ」


 今までの人生を振り返りながら、スマホのホーム画面に表示された家族の写真を眺める。彰人、母、父、そして姪の七海ななみが笑顔で写っていた。


 ──プオオォォォォン。


 電車はすぐそこまで来ているのに、足が前に進もうとしない。死にたいと思っても、取り残される家族のことが頭を過った。そのせいで、死にたくても死ねない。そして最後には、死にたくないという結論に至る。


「……死ぬ勇気もないのか私は……」


 そうこうしているうちに、電車が通過する。

 その時。──バァンッッ!! 

 何かがぶつかる音がした。

 電車が急停車する。


「なんの音だ?」


 人身事故、だろうか?

 臆病な自分に代わって、身を投げた人間がいたのか。

 彰人は、興味本位で近づいてみる。


「ギャ、ガ、ガァ……」


 電車と衝突したらしいそれは、人間ではなかった。手足があって、人間に近い形をしているが、まったくの別物。猿ではなさそうだ。体毛がない。


 見たことないぞ。

 こんな生き物……。


 深緑色の肌をしたそいつは、この世の生き物とは思えなかった。こんな生き物、見たことがない。


 新種として捕まえれば、いくらか報酬をもらえそうだが、頭の半分がペシャンコになっており、今にも死にそうである。息が絶え絶えだ。


「ギィ、ギィヤァァ……」


 乗務員がやってくる前に、その新種の生物は息絶えた。それと、驚くことに、その遺体はひとりでに灰になって朽ちていった。


 そいつの身体から飛び散った緑の体液は蒸発し、そこに生物がいた痕跡は跡形もなく消え去った。

 

 何の証拠も見つからないので、乗務員や警察が頭を抱えている。


 新種の件を話そうとも思ったが、信じてもらえそうにないので、彰人はその場を後にした。疲労やストレスのせいで、幻覚を見てしまったのだろう。


 この件はひとまず、自分の見間違いであると片付けることにした。


 ……全部、忘れよう。


 そのまま、彰人は居酒屋に寄り、そこで酒をたらふく飲んでから家に帰った。千鳥足でなんとかマンションに帰りつくと、そのまま気絶するように眠りについた。


     ***


 重たい身体をベッドから起こす。二日酔いによる頭の痛みが、気分を滅入らせる。つい、昨日は飲みすぎてしまった。


「ふぅ……」


 部屋の窓を開けて、風と日光を浴びる。心地良い風が、酔いと眠気を吹き飛ばした気がした。窓の外を眺めてみる。


「酔ってるみたいだ……まだ……」


 信じがたいことに、マンションの外にはモンスターがいた。ロールプレイングゲームに登場しそうな生物たちが、辺りを徘徊している。


「なんだ、これ」


 動くゼリー状の生命体。角の生えた狼。空飛ぶウサギ……。ゲーム知識に乏しい彰人は、そのモンスターたちを言い表す適切な名称が思いつかなかった。


 あれは、昨日のやつじゃないか?


 昨晩、電車にはね飛ばされて死んだモンスターを確認。おそらく同種であると判断。


 深緑色の肌に、7歳児ぐらいの体格をした二足歩行型のモンスターだ。獣の毛皮を身に纏い、棍棒を握っている。まるで、原始人のようだ。


「冗談じゃない……!」


 一体何事かと、テレビを点けてみるが、どの局もやっていなかった。おまけに、ネットにも繋がらない。


 頼みの綱である防災ラジオも、さっきからずっと無言を貫いている。世界から切り離された感覚。彰人は孤独を感じずにはいられなかった。自分以外の人類が滅んだとでもいうのか。

 

 私が寝ていた間に、何が起きたんだ?


 外を彷徨うモンスターたちが原因で、通信インフラに影響が出ているのだろうか。少なくとも、なんらかの関係があるのは確かだ。


 そう考えるのが妥当だろう。通信インフラだけではなく、ライフラインにも影響が出ている可能性がある。


 最悪な予想は見事に的中。蛇口をひねってみても、水が出ない。よりにもよって、生きる上で最も重要な『水』が使えなくなってしまった。食料の備蓄もほとんどない。災害用の乾パン3袋とドライフルーツ2袋だけだ。


 外に出て確保するしかないのか? 

 だが、外にはモンスターがいるんだぞ? 

 部屋を出た瞬間、一斉に襲ってくるかもしれない。


 今、マンションの近くにいるのは、地面を這いずって動くゼリー状の生命体『スライム』。それと、緑色の肌を持つ二足歩行型のモンスター『ゴブリン』が4体。最後に、豚のような顔をした巨漢のモンスター『オーク』が1体。


 スライムとゴブリンならまだしも、オークに打ち勝つ自信は彰人にない。不意をつけばいけるだろうかと考えたが、やはり無理だと結論。せめて、猟銃でもなければ奴を仕留めることは叶わないだろう。


 ご近所と協力してリンチすれば、あるいは……。


 一人では無理でも、数で押せばなんとかなる気がする。戦いは物量が大事だ。人類の歴史がそれを証明している。


 部屋から出るのも恐ろしい状況だが、とにかく今は協力を仰ぐしかない。彰人は、出刃包丁と盾代わりの鍋蓋を持って、部屋の外に出た。


     ***


 彰人は、同じ階の住人を訪ねることにした。ミュージシャン志望の音大生。仕事の都合で最近越してきた新婚夫婦。有害電波がどうたらと、いつも頭にアルミホイルを巻いている中年の男。先月の交通事故で夫を失った未亡人。手当たり次第に扉をノックしたが、反応はなかった。どこも出払っているようだ。


 みんな、一早く異常を察知し、郊外にでも避難したんだろう。私が、ぐっすり寝ている間に……。

 

「どうする……」


 困ったことになった。

 協力者がいなくては、外を出歩けない。

 一人で行動するには、あまりに危険すぎる。

 だが、マンションを出なくては餓死する。


「あ、あのぅ……誰か……いるんですか……?」


 自分の部屋に戻ろうとしたとき、401号室の扉の奥から、女性の声が聞こえてきた。幻聴、だろうか。彰人の記憶が正しければ、たしか、隣の部屋には誰もいなかったはず。ちなみに表札はなかった。


 今度は幽霊か?


 彰人は6年もこのマンションで暮らしてきたが、隣の部屋から生活音が聞こえてくるようなことはなかった。当然、隣人はいないものと考えていた。


 ふと、隣の部屋が空いていることを良いことに、よく深夜に恋人を連れ込んで激しい性交渉をしていた過去の自分を思い出す。恥ずかしさで死にそうになった。


「外に……いるんですよね?」


 なんだか複雜な気持ちだ。

 情事の音、丸聞こえだったろ絶対。


「誰か……いるなら……返事して……くれると助かります……」


 今まで、気配を感じさせないほど、ひっそりと暮らしていたのだろうか。常軌を逸したその存在感の薄さに、ある意味、尊敬の念を抱いた。深呼吸して、扉を3回ノックする。


「えーっと、影原かげばらって言います。隣の部屋に住んでる者です、一応……」

「あ……どどど……どうも……」

「失礼ですが、お名前は?」


 とりあえず、名前を聞いてみる。

 ……だが、返事がなかなか返ってこない。

 言葉が滑らかに出てこないようだ。

 かなり緊張しているらしい。


引籠ひきごめ……美千代みちよ……です。あっ、ああ、あ、あのぅ……な、なにか、ご用ですか……?」


 美千代は、かなり彰人のことを警戒してるようだった。喋り方や声の調子から、彼女が対人経験に乏しいことを見抜く。ネットから知識を得る現代の人間とは異なり、彰人は本から知識を摂取するタイプの人間だった。


 今までに読んだ本の数は千冊を軽く超える。心理学の本もいくつか読んでいたので、プロほどではないが、他人の心情を理解するスキルを彼は身につけている。


 培った知識は、主に上司や同僚の機嫌を取るために活用していた。それをまさか、この非常事態下で使うことになろうとは。


 緊張感を和らげる術を織り交ぜつつ、美千代に経緯を説明する。それから10分が経過。扉のロックが解除される。わずかに緊張が残っているようだが、彰人に対する恐怖心は無くなったと信じたい。


「わ、分かりました。どうぞ……入ってください……」


 彼女の案内に従って、部屋の中へと入る。


 なんだこれは……!


 まず、凄まじい異臭が、彰人の鼻腔を刺激した。次に、視界に飛び込んできたのは、部屋の床を埋め尽くす大量のゴミ袋。足の踏み場がまったく無い。よくこんなところで生活できるなと、彰人は頭を抱えた。


「ちょ……ちょっと、散らかってますけど……。え、えへへ……」


 ちょっと? 

 これは、そんなかわいいものじゃない。

 脱ぎ捨てられた下着。

 多分、洗濯してないんだろうな。 

 清潔感皆無。嫌悪感絶大。

 ここは、人の住む場所ではない。


「うっわぁ……」


 この悲惨な光景を目の前にして、嫌悪の声が漏れてしまった。こんな部屋で生活するなど、神経質な自分には絶対にできない。赤の他人である彰人が、彼女の生活に口を出す権利はないのだが、これには物申さずにはいられない……。


「ごっ、ごめっ、ごめんなさい……。これでも綺麗にした、つもり、なんですけど……」

「失礼ながら言わせてもらいますけど」

「やっぱり、その、汚かった……ですか?」

「汚いですね」


 彰人の元彼女も、汚部屋に住んでいた。それで、フラッシュバックしたのだろう。「片付けろ」と、元彼女に口を酸っぱくして注意していたこと、自分のために料理を作ろうとひたむきに頑張る彼女の後ろ姿、そして突然別れを告げられたときのことを、彰人は思い出した。それは、忘れようにも忘れられない、元彼女と過ごした記憶。


 ……考えるのはよそう。

 今は、そんなものに浸っている余裕はない。

 頭の隅に残る余計な物を、息とともに吐き捨てる。

 彰人の思考が、現実に引き戻された。


「ひぇぇ……なんかごめんなさい……」


 部屋が汚いという、包み隠さない彰人のその発言に対し、美千代はただ謝るしかなかった。今までずっと頭を下げて生きてきたのか、彼女の態度はあまりに控えめで慎ましい。


 乱れた長髪、おそらく洗濯していない白Tシャツは、黄ばんでいる。使い古したジャージパンツは、サイズが合っていないのか窮屈そうだ。


 肥満体型、というわけではない。ジャージは、中高生の時に履いていたもので、成長するにつれてサイズが合わなくなっていったと考えられる。


 一般女性の平均か、それより痩せているように見える。ただ、女性らしい部分に限っては、平均を優に超えていた。服の上からでも、はっきり分かるほどに。


 白い肌には艶があって、とても若々しい。服装はナンセンスだが、顔立ちは良さげ。服装はナンセンスだが。


 彰人よりも年下、おそらく20代だと予想。定職についているようには見えないので、大学生か無職のどちらかだろう。


「薄汚くて、ごめんなさぃ……」

「すみません。私も言い過ぎました」


 他人に厳しいところがあるのは、彰人も自覚している。反省の文字を胸に刻んだ。どこか腰を落ち着かせる場所はないかと、部屋を見回す。「ん?」。そこで気になるものを、彰人が発見する。

 

「……気になってることがあるんですが」

「はっ、はひぃっ!」

「あのATMみたいなのは、一体なんです?」


 そう言って、ゴミ山にそびえる謎の機器に視線を向ける彰人。ATMに見えるその機械は、電気の供給もなく稼働しているようだった。


「ステータスボックスって言うらしい、です。実は、あの、私もよく分かってないんですけど……」

「ステータス、ボックス?」


 ステータスは日本語で『社会的地位』。ボックスは『箱』を意味する。ステータスボックス、それは今までにない単語の組み合わせだった。どこかで見聞きした覚えも当然ない。


 どういう機械なんだこれは?


「ゲ、ゲーム、とか、やったことあります?」

「将棋とかチェスなら」


 望んでない返答だったのか、顔を歪める美千代。彼女の言うゲームが、テレビゲームのことを指しているのなら、彰人の答えはNOだ。


 彰人は、生まれてこの方、ゲーム機に触れたことは一度もない。幼少期は、そういう娯楽の類を禁止されていた。彰人自身、とくに興味もなかったので、つまらない少年時代を送っていたとは思ってない。


「じゃあ、えーっと……ざっくり言うと……うーん。ああ、そうだ……。自分の好きなように、能力値を割り振れて……。えっと、例えば、頭を良くしたいなら頭脳にポイントを振ったり、筋力を高めたいなら筋力の項目にポイントを振ったり……して、なんか、調節できる? っぽくて……。ああ、ごめんなさい。私、説明下手くそで」


 ステータスボックスについて、美千代は早口で説明した。要領は得ないが、言わんとしたことはなんとなく彰人に伝わったらしい。


「えー、つまり、この機械を使えばそれができるってことか? で、ステータスってのは個人の能力を数値化したもの、ってことでいいですかね……?」

 

 美千代がコクコクと首を激しく縦に振ってうなずく。うまく伝えられたことに、喜んでいるのだろうか。


 変な世の中になったもんだな……。


 個人の能力を調整できるという、この機械を、一体誰が何のために発明したのか。好奇心をそそられる。そこで、彰人は軽く機械に触れてみることにした。


「本当にATMみたいだ」


 タッチパネルに、そっと指を置く。ピロリン!と軽快な音が鳴った。

 

 《サーバーに接続中……。接続完了》

 《生体情報を登録中……。登録完了》

 《ステータス初期値を設定……。設定完了》 


 すべての情報登録、および設定が完了しました、という機械音声とともに液晶が明るくなる。画面に表示された、『ステータスオープン』をタップしてみる。



───────────

Lv.1 【影原 彰人】


職業 :ワンダラー(無職)Lv.1

    次のレベルまで 0/5pt


装備 :①出刃包丁(片手剣)

   【攻撃力】20

   【会心率】0


    ②鍋蓋(盾)

   【防御力】10


HP :100/100

SP :50/50

筋力 :10

耐久 :10

敏捷 :10

器用 :10

魔力 :0

抗魔 :0


技巧Pt :0

経験Pt :50


基礎スキル 近接格闘Lv.1 

所有スキル なし

職業特性  なし

固有能力  なし   

───────────


 すると、上記の文章が表示された。パネルには、レベル、スキル、魔力、その他色々なことが数値とともに記載されている。『ワンダラー(無職)』とは、今の彰人の状態を指しているのだろうか。

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