第42話 待ち望んだその日

 ラインハルト視点です。


 ********


「ラインハルト・ヴァン・レインフォード、エミリア・ブラウン・レインフォード」


 聞き慣れた私の名と、まだ慣れない、愛しい妻の名が呼ばれる。

 隣に佇む最愛の女性は、静かに私に微笑みかけた。

 陽だまりのような柔らかい金色の髪は丁寧に結われ、白い花飾りと銀のティアラが、その美しさを更に際立たせている。

 空の色より美しい、澄んだ青色の瞳は幸せに潤んでいる。

 上品な紅を引いたその唇は優しい弧を描き、頬はほんのりと薔薇色に染まっている。


 愛おしいひと。

 君がウェディングドレスを着て隣に立つこの日を、私はずっと夢見ていた――。




 卒業パーティーの会場に入ると、途端にざわめきが大きくなった。

 皆、突然のことに驚いているようだ。

 だが、私達がホールの中央に登壇すると、途端に水を打ったように静かになった。

 私は、一度エミリアと目を合わせてから、はっきりとした声でスピーチを始めた。


「今日という佳き日に、三年生皆で無事卒業を迎えられた事を、嬉しく思います。ここまで支えて下さった教職員の皆様、一・二年生の皆様、まこと感謝にたえません」


 私はエミリアと息を合わせて一礼する。


「また、突然このような姿で登壇し、皆様驚かれたことと思います。本日、この佳き日に、私――王太子ラインハルト・ヴァン・レインフォードは、エミリア・ブラウン公爵令嬢を妻として迎えることとなりました」


 しん、としていた会場が、一瞬の後に割れるような歓声に包まれる。

 大きな拍手を送る者、涙を流して喜んでいる者、隣の者と手を取り合って歓声を上げている者――皆、私達を祝福してくれていた。


 私は、エミリアと顔を見合わせて微笑む。

 エミリアの天使のような柔らかい笑顔に、どきりとする。

 この笑顔に、これまでもこれからも、私は何度でも心奪われ、何度でも恋をするだろう。


「エミリア、幸せにする。ずっと一緒にいてほしい」


 私がそう囁くと、エミリアは目を細め、頷く。

 その頬を一筋の涙が伝ってゆく。


「ラインハルト様、私、もうすでに幸せですわ。私には貴方だけです。一生、貴方のお側にいさせて下さいね」


「私にも、君しかいない。十年前からずっと。これから一生かけて、エミリアを今よりもっと、ずっと幸せにするよ」


 もう一筋、涙が頬を伝う。

 私はエミリアの涙をそっと拭い、触れるだけの口付けをした。

 会場の歓声が更に大きくなる――。



 ********



「まさか、ヴァンさんが王太子殿下だったなんて……あの、その、存じ上げなくて、失礼な事を色々、申し訳ありませんでした」


 私達が壇から降りて皆から挨拶と祝福を受けている所にやって来たエディは、一通り祝福を述べた後、そのように謝罪した。

 隣にはプリシラ嬢を伴っていて、二人とも何となく気まずそうにしている。


「いや、良いんだ。身分を隠していたからな。それよりエディ、上手く行ったようで何よりだ」


「はい。お陰様で、先程プリシラに気持ちを伝える事が出来ました。プリシラが頷いてくれるまで、俺、頑張りますよ」


「もう、エディ〜! だから、さっきも言ったけど、気持ちだけじゃ付き合えないんだってばぁ……」


「大丈夫、俺、ヴァンさ……殿下にアドバイス貰ったんだ。男爵領が豊かになれば、プリシラが貴族の家に嫁ぐ必要はないだろ? だから、俺頑張るよ」


「頑張るって……」


 プリシラ嬢は項垂れて、不安そうにエディを見ている。

 だが、私が提案した方法であれば確実に男爵領を豊かに出来る自信がある。

 エディも、決意に満ちた凛々しい表情をしている。

 そこに、エミリアが優しさに満ちた美しい笑顔で、柔らかく話しかける。


「大丈夫。上手くいきますわ。プリシラ様……もう物語にも貴族のしがらみにも縛られなくて良いのですよ」


「え? エミリア様って、もしかして……。いや、まさかね」


「そのまさかよ、プリシラ様。隠していてごめんなさい」


「道理で……。でもすごいです、最初はあなたも私と同じなんだろうと思ってたんですけど、途中からはやっぱり違うかもって思ってました」


「私はプリシラ様と違って、こちらの人格の方が強かったみたいですわ」


「あはは、まんまと騙されましたぁ」


 エミリアは穏やかに微笑んでいる。

 プリシラ嬢は一瞬目を丸くしていたが、すぐに納得したようで屈託のない笑顔を見せた。

 ただ一人、事情を知らないエディだけが首を傾げている。



 続けてやって来たのは、アレクとモニカ嬢だ。

 二人も私達を祝福すると、今後も私達に仕えたい旨を改めて伝えてくれた。


「アレク、モニカ嬢、待たせてしまったな。これで二人もようやく、堂々と一緒に居られるな」


「いえ、むしろ予定よりご結婚が早まってくれたお陰で、今日モニカ様と共に出席する事が出来ました。何にも代え難い思い出になりましたよ。ありがとうございます」


「殿下、お姉様、本当におめでとうございます。私、感動致しました……。披露宴は予定通りの日取りですよね、楽しみにしておりますわ」


「ありがとう、二人とも。これからもよろしく頼むぞ」


「ええ。誠心誠意務めさせていただきますよ」


 アレクもモニカ嬢も、本当に幸せそうだ。

 エミリアも嬉しそうに目を細めている。

 アレクが本当に義弟になる日も、近いだろう。



 ********



 その後パーティーはお開きになり、私達は学園前の広場で王都の貴族達にお披露目をした。

 皆一様に、温かい祝福を贈ってくれている。

 ニュースはあっという間に平民達にも広まったようで、遠巻きに大勢の人達がこちらを見て、歓声を上げていたのだった。

 そして私達はようやく、馬車に乗りこんだ所である。



「終わりましたね」


「疲れてしまったかい?」


 私が問いかけると、エミリアは微笑んで首を横に振る。


「いいえ。ですが、長いような、短いような、不思議な一日でした」


「そうだな。……さあ、帰ろう。私達の家に」


 今日からは、私の住む城がエミリアの家だ。

 公爵邸の前で別れを惜しむことも、もうない。

 隣同士、ドア一枚で繋がった部屋で、一緒に起き、一緒に食事をして、一緒に公務をこなし、一緒に眠るのだ。


「……やっと、殿下のお側で暮らす事が出来るのですね」


「ああ、ようやくだな」


 私はエミリアの隣に、移動する。

 エミリアを抱き寄せると、愛しい妻もおずおずと腕を回してくれる。

 私はそのままエミリアの頬を撫で、その唇を奪うと、優しい口付けを交わした。

 角度を変えて、何度も、啄むように、或いは噛み付くように、キスをする。

 愛しさを伝えるように。

 慈しみを伝えるように。

 この胸に灯る熱を、伝えるように。

 息をするのも忘れるほど、何度も何度も――。


「……はぁ……エミリア……。愛しているよ……」


「……ラインハルト、様……私、も……」


 エミリアは、感極まって涙を零している。



 愛おしいひと。

 十年前から、好きだった。

 穏やかに、愛していた。

 けれど、彼女の涙から、運命が変わった。

 私達は、改めて恋をしたのだ。

 互いに想いを伝え合い、想いは混ざり合い、溶け合って、より強くなった。

 恋しい。愛しい。愛している……。



「エミリア……」


 私達は、もう一度――深く深く、互いの境目が分からなくなるほど、深く熱く溶けるような口付けを交わしたのだった。

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