第16話 どら焼きと猫と
エミリア視点です。
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学園に到着した私達は、理科準備室に行く前に屋上へ上がって、夜空を眺めながらどら焼きを食べる事にした。
運が良ければ、記録で忙しくなる前に一つや二つ、流れ星が見られるかもしれない。
「美味しいです……! 生地がもちもちして、中のこし餡も程良い甘さです」
「不思議だな、原材料が豆だとは思えないな」
「えっ、これ豆なんですか? 俺はてっきりチョコレートの仲間かと」
「色は似ているが風味が全然違うだろう。ちなみにチョコレートの原材料はカカオ豆だが実際にはマメ科の植物ではなく」
「えっ、チョコレートは豆なんですか」
「だからマメ科じゃないって言ってるだろう」
「ふふ、すっかりいつも通りですわね」
二人の掛け合いを見ていると安心する。
仲直り出来たようで、本当に良かった。
「美味しかったです、ご馳走様でした! 人気が出るのも分かりますわね」
「そうですね。普通のケーキよりさっぱりしていますし、甘い物が苦手な人でも食べやすいかもしれませんね」
「ああ、店には定番以外にも色々な種類があったぞ。気に入ったなら使用人に頼んで、城下へ行くついでに買ってきてもらうよ」
「なら今日護衛に付いた騎士に頼めば喜んで買ってきてくれますよ」
「いや、やめとく。あのおっさん、勤務中に堂々とどら焼き食べてたぞ。しかも三つも」
「またですか。あの人、鎧の中にいつも飴とかチョコとか隠し持ってるんですよ。次やったら減給って言っておいたんですけどね」
「いつもあの調子なのか……」
「騎士達はもう慣れっこですけどね。……さて、では俺は後片付けしてきます」
アレクはゴミを集めて紙袋にまとめると、屋上に設置されているゴミ箱に捨てに行った。
殿下と私は、夜空を眺めながらベンチに座っている。
屋上でランチをする生徒もいるので、ここにはベンチやテーブルやゴミ箱が設置されているのだ。
「殿下、今日はとても楽しかったですわ。お時間がある時に、また一緒にお出かけしましょうね」
「ああ。私もエミリアと一緒にいられて楽しかったよ。今度はどこへ行こうか」
「殿下は、行きたいところはありませんの?」
「私はエミリアがいる所なら、どこにいても幸せだよ」
「ふふ、殿下ったら」
ここには、ゆったりとした時間が流れている。
空は本当に綺麗に晴れていて、星がよく見える美しい夜だ。
「にゃーん」
「……ふふ、エミリア、そんな猫みたいな声を出して。甘えているのかい?」
夜空を眺めていた殿下は、私の方へ顔を向けた。
私も殿下の方に顔を向ける。
「え? 私ではありませんよ」
「にゃおーん」
「……猫?」
姿は見えないが、どこかに猫がいるみたいだ。
アレクが走って戻ってきた。
「まずい、エミリア様、隠れますよ! 猫ですよ!」
「そ、そっか、プリシラが来るのね! 殿下、頑張って下さい」
「うにゃーん」
猫の声がだんだん近づいてくる。
アレクは辺りを見回すと、給水タンクを指差した。
「あそこなら入り口からは見えなそうですね。あ、でも奥に来てしまうと丸見えですから、奥にはプリシラを近づけないで下さいね!」
「わ、わかった」
私とアレクは急いで給水タンクの陰に隠れる。
その途端、うわっ、という殿下の小さな悲鳴が聞こえてアレクは身構える。
……が、アレクはすぐに構えを解いた。
どうやら殿下の膝に猫が飛び乗ったようだ。
白と茶色の、まだら模様の子猫である。
「よしよし、良い子だ。どこから来たんだい?」
「にゃーお」
殿下は何故か猫に懐かれたようである。
優しい表情で猫を撫でる殿下と、気持ち良さそうに膝に寝そべる子猫……眼福である。
「タマちゃーん、どこにいるのぉー?」
その時、屋上の出入り口から甘ったるい声が聞こえてきた。
プリシラ・スワローである。
殿下は表情を消して猫を抱き上げ、ベンチから立ち上がった。
「あっ、殿下! どうしてここにぃ? というか、殿下が抱いてるの、タマちゃんじゃないですかぁ!」
「タマちゃん? この猫か?」
「そうですぅ! タマちゃーん、おいでぇ。お爺ちゃんが心配してるから帰ろぉ」
殿下が猫を地面に下ろすと、猫はプリシラの元に歩いていった。
殿下の場所は見えるが、プリシラの居場所はギリギリ見えない……という事は、向こうからも私達は見えていない筈だ。
「あーん、タマちゃん、良かったねぇ。殿下に遊んでもらってたのぉ?」
プリシラは猫を抱き上げて、聞いたことがないほど甘ったるい声で話しかける。まさに猫撫で声だ。
「殿下、タマちゃんを見つけて下さってありがとうございましたぁ。この子、バイト先のお爺ちゃんが可愛がっている猫ちゃんなんですよぉ。急にいなくなっちゃって、探してたんですぅ」
「そうか。見つかって良かったな」
殿下は、にこりともしない。
「あの、殿下……。お願いがあるんですぅ」
「……何だ」
「今日は、流れ星が見られるらしいんですぅ。もう少しだけ、一緒にいても良いですかぁ?」
「……少しならな」
殿下はプリシラに背を向ける。
プリシラは、殿下に近寄ってきて、頭をこつん、と殿下の背中にもたげた。
微妙に見えそうな位置だが、プリシラは殿下に夢中で、こちらには気がついていない。
私はプリシラが殿下に触れているのがショックで、徐々に目に涙が溜まってきた。
「……やめろ」
「少しだけ……少しだけですから」
……やめてほしい。
殿下に触らないで……。
涙が次から次へと溢れてくる。
声を出す訳にはいかないから、私は静かに泣いた。
隣のアレクが心配そうにハンカチを差し出してくる。
ふと、殿下がこちらをちらりと見て視線を戻し……すぐにもう一度バッとこちらを見た。
そして殿下は、ものすごく困った顔で、あたふたし始めた。
アレクが隣で小さくステイ、ステイとジェスチャーしている。
……どうしよう、殿下を困らせてるわ……。
そう思うが、一度泣き出してしまうと、もう止まらないのが常である。
幸い、プリシラは背中に額をつけて目を閉じているので、殿下のおかしな様子に気がついていないようだ。
殿下はまだ心配そうな顔でこちらをチラチラ見ているが、ひとまず落ち着きを取り戻し、プリシラに「離れてくれ」と言った。
プリシラはようやく殿下から離れると、再び私達からは見えない位置に戻った。
「あ……流れ星が」
唐突に、プリシラが言った。
こちらからは指先しか見えないが、流れ星が見えたようで、空を指差している。
「ふふ、願い事しちゃいました。殿下が振り向いてくれますようにって。叶うといいなぁ」
夢見るようにプリシラは囁く。
「殿下はお願い、出来ましたぁ?」
「……私は……」
殿下はいまだにプリシラに背を向けている。
視界がまだ歪んでいるし、こちらからお顔は半分しか見えないが、なんとなく何かを耐えているような表情に見える。
「あっ! タマちゃん逃げたぁ! 待ってぇー!」
どうやらプリシラの腕から猫が脱走したようだ。
プリシラの声が徐々に遠ざかっていく。
「殿下ぁ、また学園で会いましょうねぇー! お店にもまた寄って下さいねぇー! さよーならぁー……待ってぇ、タマちゃーん!」
完全にプリシラがいなくなったのを見計らって、殿下はこちらに小走りで向かってきた。
私とアレクも給水タンクの陰から出る。
涙はまだ止まっていない。
「エミリア……!」
殿下は走ってくる勢いそのままに、私をぎゅっと抱きしめてくれる。
「ご、ごめんなさいっ、私、殿下を困らせたくないのに……っ」
「エミリア……すまない……。もっとちゃんと拒絶すれば良かったな……」
「いいんです、仕方ないんです、私がすぐ泣いてしまうからいけないんです……」
「エミリア……」
殿下は、私を抱く力を少しだけ強くする。
こうして、殿下の胸を貸してもらっていると安心する……。
「……怒られるのを覚悟で声をおかけしますが、あと五分で七時です。俺は一足先に理科準備室に行きますから、落ち着いたら来てくださいよ」
アレクのその一言で私は我に返ったのだった。
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