第16話 どら焼きと猫と

 エミリア視点です。


 ********


 学園に到着した私達は、理科準備室に行く前に屋上へ上がって、夜空を眺めながらどら焼きを食べる事にした。

 運が良ければ、記録で忙しくなる前に一つや二つ、流れ星が見られるかもしれない。


「美味しいです……! 生地がもちもちして、中のこし餡も程良い甘さです」


「不思議だな、原材料が豆だとは思えないな」


「えっ、これ豆なんですか? 俺はてっきりチョコレートの仲間かと」


「色は似ているが風味が全然違うだろう。ちなみにチョコレートの原材料はカカオ豆だが実際にはマメ科の植物ではなく」


「えっ、チョコレートは豆なんですか」


「だからマメ科じゃないって言ってるだろう」


「ふふ、すっかりいつも通りですわね」


 二人の掛け合いを見ていると安心する。

 仲直り出来たようで、本当に良かった。




「美味しかったです、ご馳走様でした! 人気が出るのも分かりますわね」


「そうですね。普通のケーキよりさっぱりしていますし、甘い物が苦手な人でも食べやすいかもしれませんね」


「ああ、店には定番以外にも色々な種類があったぞ。気に入ったなら使用人に頼んで、城下へ行くついでに買ってきてもらうよ」


「なら今日護衛に付いた騎士に頼めば喜んで買ってきてくれますよ」


「いや、やめとく。あのおっさん、勤務中に堂々とどら焼き食べてたぞ。しかも三つも」


「またですか。あの人、鎧の中にいつも飴とかチョコとか隠し持ってるんですよ。次やったら減給って言っておいたんですけどね」


「いつもあの調子なのか……」


「騎士達はもう慣れっこですけどね。……さて、では俺は後片付けしてきます」


 アレクはゴミを集めて紙袋にまとめると、屋上に設置されているゴミ箱に捨てに行った。

 殿下と私は、夜空を眺めながらベンチに座っている。

 屋上でランチをする生徒もいるので、ここにはベンチやテーブルやゴミ箱が設置されているのだ。


「殿下、今日はとても楽しかったですわ。お時間がある時に、また一緒にお出かけしましょうね」


「ああ。私もエミリアと一緒にいられて楽しかったよ。今度はどこへ行こうか」


「殿下は、行きたいところはありませんの?」


「私はエミリアがいる所なら、どこにいても幸せだよ」


「ふふ、殿下ったら」


 ここには、ゆったりとした時間が流れている。

 空は本当に綺麗に晴れていて、星がよく見える美しい夜だ。


「にゃーん」


「……ふふ、エミリア、そんな猫みたいな声を出して。甘えているのかい?」


 夜空を眺めていた殿下は、私の方へ顔を向けた。

 私も殿下の方に顔を向ける。


「え? 私ではありませんよ」


「にゃおーん」


「……猫?」


 姿は見えないが、どこかに猫がいるみたいだ。

 アレクが走って戻ってきた。


「まずい、エミリア様、隠れますよ! 猫ですよ!」


「そ、そっか、プリシラが来るのね! 殿下、頑張って下さい」


「うにゃーん」


 猫の声がだんだん近づいてくる。

 アレクは辺りを見回すと、給水タンクを指差した。


「あそこなら入り口からは見えなそうですね。あ、でも奥に来てしまうと丸見えですから、奥にはプリシラを近づけないで下さいね!」


「わ、わかった」


 私とアレクは急いで給水タンクの陰に隠れる。

 その途端、うわっ、という殿下の小さな悲鳴が聞こえてアレクは身構える。

 ……が、アレクはすぐに構えを解いた。

 どうやら殿下の膝に猫が飛び乗ったようだ。

 白と茶色の、まだら模様の子猫である。


「よしよし、良い子だ。どこから来たんだい?」


「にゃーお」


 殿下は何故か猫に懐かれたようである。

 優しい表情で猫を撫でる殿下と、気持ち良さそうに膝に寝そべる子猫……眼福である。


「タマちゃーん、どこにいるのぉー?」


 その時、屋上の出入り口から甘ったるい声が聞こえてきた。

 プリシラ・スワローである。

 殿下は表情を消して猫を抱き上げ、ベンチから立ち上がった。


「あっ、殿下! どうしてここにぃ? というか、殿下が抱いてるの、タマちゃんじゃないですかぁ!」


「タマちゃん? この猫か?」


「そうですぅ! タマちゃーん、おいでぇ。お爺ちゃんが心配してるから帰ろぉ」


 殿下が猫を地面に下ろすと、猫はプリシラの元に歩いていった。

 殿下の場所は見えるが、プリシラの居場所はギリギリ見えない……という事は、向こうからも私達は見えていない筈だ。


「あーん、タマちゃん、良かったねぇ。殿下に遊んでもらってたのぉ?」


 プリシラは猫を抱き上げて、聞いたことがないほど甘ったるい声で話しかける。まさに猫撫で声だ。


「殿下、タマちゃんを見つけて下さってありがとうございましたぁ。この子、バイト先のお爺ちゃんが可愛がっている猫ちゃんなんですよぉ。急にいなくなっちゃって、探してたんですぅ」


「そうか。見つかって良かったな」


 殿下は、にこりともしない。


「あの、殿下……。お願いがあるんですぅ」


「……何だ」


「今日は、流れ星が見られるらしいんですぅ。もう少しだけ、一緒にいても良いですかぁ?」


「……少しならな」


 殿下はプリシラに背を向ける。

 プリシラは、殿下に近寄ってきて、頭をこつん、と殿下の背中にもたげた。

 微妙に見えそうな位置だが、プリシラは殿下に夢中で、こちらには気がついていない。

 私はプリシラが殿下に触れているのがショックで、徐々に目に涙が溜まってきた。


「……やめろ」


「少しだけ……少しだけですから」


 ……やめてほしい。

 殿下に触らないで……。


 涙が次から次へと溢れてくる。

 声を出す訳にはいかないから、私は静かに泣いた。

 隣のアレクが心配そうにハンカチを差し出してくる。


 ふと、殿下がこちらをちらりと見て視線を戻し……すぐにもう一度バッとこちらを見た。

 そして殿下は、ものすごく困った顔で、あたふたし始めた。

 アレクが隣で小さくステイ、ステイとジェスチャーしている。


 ……どうしよう、殿下を困らせてるわ……。

 そう思うが、一度泣き出してしまうと、もう止まらないのが常である。

 幸い、プリシラは背中に額をつけて目を閉じているので、殿下のおかしな様子に気がついていないようだ。

 殿下はまだ心配そうな顔でこちらをチラチラ見ているが、ひとまず落ち着きを取り戻し、プリシラに「離れてくれ」と言った。

 プリシラはようやく殿下から離れると、再び私達からは見えない位置に戻った。


「あ……流れ星が」


 唐突に、プリシラが言った。

 こちらからは指先しか見えないが、流れ星が見えたようで、空を指差している。


「ふふ、願い事しちゃいました。殿下が振り向いてくれますようにって。叶うといいなぁ」


 夢見るようにプリシラは囁く。


「殿下はお願い、出来ましたぁ?」


「……私は……」


 殿下はいまだにプリシラに背を向けている。

 視界がまだ歪んでいるし、こちらからお顔は半分しか見えないが、なんとなく何かを耐えているような表情に見える。


「あっ! タマちゃん逃げたぁ! 待ってぇー!」


 どうやらプリシラの腕から猫が脱走したようだ。

 プリシラの声が徐々に遠ざかっていく。


「殿下ぁ、また学園で会いましょうねぇー! お店にもまた寄って下さいねぇー! さよーならぁー……待ってぇ、タマちゃーん!」


 完全にプリシラがいなくなったのを見計らって、殿下はこちらに小走りで向かってきた。

 私とアレクも給水タンクの陰から出る。

 涙はまだ止まっていない。


「エミリア……!」


 殿下は走ってくる勢いそのままに、私をぎゅっと抱きしめてくれる。


「ご、ごめんなさいっ、私、殿下を困らせたくないのに……っ」


「エミリア……すまない……。もっとちゃんと拒絶すれば良かったな……」


「いいんです、仕方ないんです、私がすぐ泣いてしまうからいけないんです……」


「エミリア……」


 殿下は、私を抱く力を少しだけ強くする。

 こうして、殿下の胸を貸してもらっていると安心する……。


「……怒られるのを覚悟で声をおかけしますが、あと五分で七時です。俺は一足先に理科準備室に行きますから、落ち着いたら来てくださいよ」


 アレクのその一言で私は我に返ったのだった。

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