R×R

姫川翡翠

第1話「だいぶ調子戻ってきたんちゃう?」

 キュッとシューズの擦れる音がコートに響いている。強いドリブルがつかれるたび、体育館が揺れる。10人の選手たちがコート中を駆け回り、激しくぶつかり合い、ポジションを奪い合う。目的はただひとつ、相手よりも多くバスケットボールを自陣の籠に入れることだ。

 試合は第4クォーター、残り2分。終盤も終盤。練習試合ではあったが接戦ということもあって、古倉こくら高校と彦根高校の両ベンチとも、声援にいっそう熱がこもっていた。

 彦根高校の選手が放ったスリーポイントシュートは、リングに嫌われて大きく跳ね返った。相志郎そうじろう琉瀬るせがリバウンドを取るために必死にポジションを確保しようとするが、当然、そう簡単に相手選手もそれを許さない。彼らは琉瀬と相志郎を完全に抑え込んでオフェンスリバウンドを取ろうとジャンプした。その瞬間。

 パァン!

 ボールが割れるような勢いでキャッチする音が体育館内に響いた。空中のボールをもぎ取ったのはランニングリバウンドに走りこんだ綾羽あやはであった。

「速攻っ!」

 悠仁ゆうじんが叫ぶ。それを聞いて綾羽はすぐさま最前線を走る怜真りょうまを見た。しかし、彦根高校の選手がすでにカバーリングに入っていてロングパスは出せなかった。速攻は失敗に終わる。

 6点差で負けている彦根高校にはオフェンスを待ち構える余裕などない。オールコートでディフェンスを仕掛けてくる。強いプレッシャーを受けて、綾羽は一瞬ボールをファンブルしたが、スティールされることはなく、落ち着いてポイントガードの悠仁にボールを渡した。

 マンツーマンで悠仁についている彦根高校の選手は、特にボールマンへのディフェンスを得意としていた。綾羽の時よりもいっそう強いプレッシャーが悠仁にはかけられている。そのはずだが、そんなことは意に介さないように悠仁は悠々とボールを運ぶ。

 悠仁がハーフラインを越えた瞬間、相手ディフェンスがさらに仕掛けて来た。ハーフラインは一度超えると、再びバックコートに戻ることが許されない。それゆえ、サイドラインとハーフラインの隅に追い込むようにして、悠仁にダブルチームを仕掛けて来たのだ。

 それに対して悠仁は、待ってましたと言わんばかりにゴール下でノーマークの琉瀬パスを投げた。ダブルチームを行えば、必ずマンツーマンディフェンスにはズレが生じる。しかし、基本的にズレはボールから一番遠い選手に生じるよう設計されている。そのため、本来ダブルチームの強いプレッシャーでズレを隠せる——隠すように練習するのだ。ただ今回、悠仁には通用しなかった、それだけのことだった。

 琉瀬は悠仁からのパスを受け取り、シュートをしようとする。だが、相手チームもまだ負けてはいない。ズレを修正するヘルプがやってきていた。それでも琉瀬が強引にシュートに行こうとすると、怜真からパスを求める声がした。

「琉瀬さん!」

 琉瀬へのヘルプは、怜真についていた選手だったのだ。それを聞いて琉瀬は怜真にパスを送った。怜真がパスを受け取りシュートモーションに入ると、またしても別のヘルプがシュートチェックに飛んできた。怜真はそれを冷静にシュートフェイクでかわし、ミドルシュートをで放つ。ボールはきれいな孤を描き、リングに触れることなくネットを揺らした。

 彦根高校の選手たちは一瞬表情を曇らせながらも、すぐに切り替えてオフェンスに転じた。残り1分30秒ほどで8点差。いまだ十分に射程圏内だ。彦根高校は可能なかぎり早く攻めたい。そして、センターのポジションは琉瀬よりも相手選手の方が技術もパワーも上だった。

 予想通り、彦根高校はセンターの選手によるポストプレイで攻めて来た。

「琉瀬! ファールはするな!」

 古倉高校の顧問である海野のコート外からの声は空しく、琉瀬はシュートブロックのために飛び、そして押し切られてしまった。ファールの笛が鳴り、相手選手のシュートは決まった。アンドワンだ。通常の得点である2点が認められ、さらに1点分のフリースロー1本が与えられる。相手選手はそれをしっかりと決めたので、5点差となった。

 再び悠仁がひとりでボールを運ぶ。またしても余裕でハーフラインを超えた。

「怜真!」

 悠仁が呼ぶと、怜真はVカットをしてボールを受ける。怜真についているディフェンスはシュートを打たせまいと激しいプレッシャーをかける。怜真もさすがにこの状態ではシュートを狙えない。右足を少し引いて、ドライブを狙う姿勢を取った。それを見てディフェンスは少し後ろに下がった。もちろん、簡単にドライブをさせないように、だ。確かに左足が前に出ている半身状態では、右利きの選手はシュートが打ちにくい。しかし、で打つ場合は逆だ。怜真はミドルシュートを放つ。相手ディフェンスはシュートチェックのために1歩出すこともできなかった。感覚が狂ったかのように固まり、ただ怜真のシュートを呆然と見送った。そして当然のようにボールはリングに吸い込まれた。

 それでも勝つことを諦めない彦根高校の攻め方は変わらない。あくまでも早く。加えて言うならば、2点よりも3点取ること。怜真のマークマンは、お返しと言わんばかりにパスを受け取った瞬間にスリーポイントシュートを放った。怜真は不意を突かれてシュートチェックが遅れてしまった。幸いボールはリングに嫌われたが、依然としてゴール下は完全に彦根高校が支配していた。こぼれたボールをセンターの選手がチップインする。

 点差は5点。残り時間は1分を切っている。ここで古倉高校が得点を取れば、3ポゼッション差だ——つまり彦根高校が逆転するためには最低でも3回以上の攻撃を要する。1回の攻撃に付き最大24秒使用できることに鑑みれば、このオフェンスが決まれば、ほぼ古倉高校の勝ちも決まる。

「13番だ! 13番を止めろ!」

 彦根高校の監督が叫んでいる。古倉高校の13番は言うまでもなく、怜真の背番号だ。相手のディフェンス全員が怜真の動きに集中している。ここで裏をかいて悠仁が自ら得点を狙うというのがおそらく最適解だ。しかし、あいにくさま。は、性格が悪いのだ。

「R!」

 悠仁はいつものように死んだ目でセットプレーをコールした。

 『R』とは、怜真にシュートを打たせる、ただそれだけを目的としたセットプレーだ。

 両ウィングの怜真と綾羽がスイングする。ゴール下でふたりが重なった瞬間、綾羽が怜真のディフェンスにスクリーンをかける。それでも怜真のディフェンスは綾羽を避けて必死に追いかけてくる。それをあざ笑うかのように、怜真は相志郎と琉瀬の隙間をすり抜ける。その直後、相志郎と琉瀬は1枚の大きなスクリーンになった。怜真のディフェンスは当然通り抜けることはできない。完全にノーマークになった怜真に悠仁はパスをした。

 怜真はミートしてシュートモーションに入る。曲げた膝をプルアップと同時に伸ばし、強く床を蹴ってジャンプした。視界に入った怜真のディフェンスは、相志郎と琉瀬のスクリーンの隙間から必死に手を伸ばしながら、もはや泣きそうになっていた。味方からは歓声が、敵からは悲鳴が早くも聞こえている。

 ジャンプが最高到達点へ届いたと同時にボールをリングへ放る。それは高く、美しい放物線を描き、ゴールネットを静かに揺らした。

 怜真のシュートはただの2点ではなかった。相手選手たちの心を完全にへし折るものだった。悠仁の狙いはここにあったのだ。もはや微塵の抵抗も許さない、絶対的な敗北を押し付ける意味があった。頼りになる司令塔様を見れば、怜真に視線を向けることなく、相変わらずの死んだ目でディフェンスに戻りながら、怜真にサムズアップをしていた。


羽居はねいさん、おつかれどすー」

 練習試合も終わり、怜真りょうまが荷物をまとめていると、同級生の今井いまい悠仁ゆうじんがふざけた調子で声をかけてきた。

「ああ、おつかれ。ってなにが羽居さんやねん、白々しい」

 怜真がつっこむと、悠仁は嬉しそうにして怜真の肩に手を回してきた。

「そりゃ本日のヒーロー様は丁寧に扱わなあかんやろ? さすがのシュート力やったな、怜真りょうま。惚れ惚れするわ。あれだけシュートが入れば——しかも自由に打てるなら——さぞバスケが楽しいやろう」

「なにいうてんねん。それをいうなら俺だって、悠仁ぐらい視野広くて、自由自在に試合ゲームをコントロールできればいいのにっていっつも思ってる」

 これはお世辞ではなかった。怜真にとっては、改めて悠仁のすごさを思い知った4日間であった。

 京都府立古倉高校男子バスケットボール部は、春休みに滋賀県へ3泊4日の遠征に来ている。今日はその最終日だ。先ほどの戦った彦根高校は、この前の新人戦で県内ベスト4だったのだが、何とか勝利したのであった。試合の白熱具合といったら公式戦顔負けだった。

 悠仁のポジションはポイントガード、いわゆるチームの司令塔である。悠仁は怜真が出会ったどのポイントガードよりも優れていた。

「そんなことないで。何より、俺は得点をからな。怜真にはほんまに助けられてる」

 もとより明るい性格の悠仁ではあるが、異様にテンションが高い。どうやら格上の相手との接戦を制した昂ぶりが若干残っているらしいかった。

「なに? 悠仁、酔っぱらってる?」

「なんでやねん」

「まあ、褒め言葉として受け取っておくわ」

「褒め言葉以外のなにものでもないやろ」

 悠仁はなにがツボだったのかわからないが、笑いながら怜真の肩をバシバシと叩いた。

「ふたりともおつかれーい」

 さっきまで彦根高校の顧問に挨拶に行っていたキャプテンの宮野みやの涼哉りょうやと同級生の今咲いまさきしんが戻って来た。

「お疲れ様です」

「俺はあまり出てないからそんなに疲れてないんやけどな。お前ら1年トリオはさすがや」

 涼哉は自虐的な笑みを浮かべて言った。

 古倉高校のスタメンは、5人中3人が1年生である。その3人である今咲深、今井悠仁、羽居怜真の3人は、部内では「1年トリオ」と呼ばれている。涼哉はポイントガードで悠仁とポジションが被っているため、キャプテンながらほとんど出場機会がないのだ。

「今さっきの先生への挨拶も、ほとんど深が受け答えしてたしな……」

「そんなことありますね」

「深! お前そこは俺をフォローするとこだろうが!」

「ふふ、つい面白くて」

 辛辣にもキャプテンをいじるのが今咲深。間違いなくチームナンバーワンの絶対的エースだ。ポジションはスモールフォワードであるが、身体的にも、能力的にも恵まれた深はどこのポジションでもトップレベルに上手い。今日の試合が接戦となったのは、体調不良といって深が試合に出ていなかったからといっても過言ではない。

「そう卑屈になるなよキャプテン」

「お疲れ様です、琉瀬るせ先輩」

「おう、お疲れ。あんまり涼哉をイジメないでくれよ、深」

 深を窘めたのは兼城かねき琉瀬るせだ。チームで5番を背負っている。怜真にとっては中学時代からの頼れる先輩だ。ポジションはセンターで、細身ながらパワフルなプレーを得意とする選手だ。

「イジメてません」

「今日試合出られなかったからストレス溜まってるんだろう? 今日の試合でちょっと気になったことがあるからこっちに来てくれ。悠仁も」

 琉瀬に呼ばれて深と悠仁は、作戦盤のある方へ行ってしまった。涼哉の方はというと、とっくに他の部員のところにおり、遠征の疲れを労っていた。涼哉のそういうところが、彼がキャプテンたる所以なのだ。

 怜真は改めて涼哉の器の大きさに感心してから、帰り支度に戻った。

「怜真」

「うわっ、びっくりした……相志郎先輩」

 驚いて振り返ると、目の前に鉄仮面が現れた。守詰かみづめ相志郎そうじろう、怜真の先輩だ。がっちりとした骨格にポストプレイヤーとしては少し小柄な一八〇センチ強の体躯を持つ。刈り込まれた坊主頭とストイックに鍛え上げられた鋼の肉体、そしていかなる時も崩れない鉄仮面のせいもあって、厳つく荒いプレイスタイルと勘違いされることが多い。しかし、相志郎は元フォワードということもあって琉瀬とは正反対の技巧派の選手だ。ゴール下のパワープレイももちろんできるが、長い腕から繰り出されるしなやかで繊細なフックシュートや正確なミドルシュートとパス、切れのあるドライブと何でも器用にこなす。そして何より、チームに献身的に尽くすスクリーンやリバウンドが一番多い。寡黙に自分の責任を果たす職人気質で口数も少ない。そしてなぜか異様に怜真を気に入っているようだ。

「相志郎はほんまに怜真好きやな」

「怜真はお前みたいにうるさくないからな」

「はぁ? うるさくないから。お前の方がうるさいから。ほら相志郎もはれの方がうざいって目で言ってる」

「わかってへんな。あれは好意的な目や。どう見ても遥也はるやを見る目の方がどぶを見る感じやろが」

 やって来ていきなり騒がしいのは、西にし遥也はるや蒼井あおいはれだ。どちらも怜真の先輩で、ポジションは怜真と同じシューティングガードだ。遥也はドライブが上手い。スペースがあれば仕掛けて簡単にボールを持ち込み、2点を持って帰ってくる。晴はスリーポイントシューターだ。チームでは深に次いでスリーポイントが入る。また、ふたりは幼なじみである。常に一緒にいるので、仲がいいのは疑いようがないが、しかし、いつ見ても喧嘩している。もはや喧嘩するために一緒にいるのでは? と怜真は秘かに思っていたりする。

「相志郎先輩?」

 さっきから相志郎が黙っているから怜真は彼の方を見てみた。

 普通に怒った顔をしていた。

「あの、おふたりさん」

「「なんや」」

「相志郎先輩、怒ってます」

「は、嘘やろ。相変わらずの無表情やん」

「俺らのこと馬鹿にしてるな? なめやがって」

「俺らの方が相志郎と付き合い長いんやぞ?」

「そうだ、そうだ」

 遥也と晴はなぜか変顔をして遊びながら楽しそうに怜真を煽るが、怜真はますます青筋が額に浮かぶのであった。

「おい」

 相志郎の声が低く響いた。

 先輩ふたりは途端に肩を竦めて震えだし、ゆっくりと相志郎の方を向く。

「うるさい」

「はい……」

 遥也と晴はがっくりとうなだれて、仲良く去って行った。怜真も立ち去りたくなるほど恐ろしく迫力のある声だった。

「怜真」

「は、はいぃ」

 声が裏返ってしまった。それを不思議そうに見て、

「おつかれ」

 そう言ってごつごつとした大きな手のひらで怜真の頭を無骨に撫でた。脳をかき混ぜるような乱雑さがあるが、なぜだかこれがなかなか気持ちいい。怜真の瞼がとろけてきたところで、相志郎はパッと手を止めた。荷物を背負い直すと、機嫌よさそうに相志郎は行ってしまった。

 相志郎と入れ違いで、同級生の左藤さとう信長のぶなが宮下みやした陽樹はるき梁井はりい太陽たいよう白部しらべりんが寄って来た。

「おつかれー、4日間の遠征ってホント疲れるわ」

「毎日試合だし、俺らでも試合山ほど出れるからなぁ」

 そうはいいながらも、信長と太陽は試合に出れたことを喜んでいるようだった。しかし、陽樹はぼやいていた。

「この短い春休みに4日間も遠征とか、休みじゃないやん。詐欺やん」

 それにすかさず信長がつっこんだ。

「休んで何するねん。どうせゲームやろ?」

「そりゃそうよ。ゲームでなんか悪い?」

「でた。陽樹はゲームしすぎ」

「こいつ宿でも『ゲームゲーム』うるさかったからな」

「なんやねん。太陽も帰ったらゲームするくせに」

「まあするけどさぁ」

「ほら見ろ。4日間も我慢したんやで? 明日はゲームしかせーへんから」

「ま、明日も朝から部活あるけどな」

「地獄やな」

 信長と陽樹を太陽は3人で盛り上がっている。先輩は大好きだけれど、同級生とバカみたいな話をしているのも気楽で心が落ち着く。

「お疲れさま」

「うん。お疲れ、倫」

 倫は怜真の親友だ。出会いは高校だったが、もう何年も前から一緒だったみたいに気が合う。

「今日も調子よかったみたいやな。相変わらずの精度や」

「ありがとう。倫もだいぶ調子戻って来たんちゃう?」

「うーん、どうやろ」

 倫は少し目を細めて、自分の右腕を見た。

 倫は春休みに入る少し前に怪我をした。練習試合中、空中で相手選手と接触し転んでしまった際に、運悪くも利き腕にヒビが入ったのだ。その怪我からの復帰直後の遠征だったために、倫はかなり不安だったようだ。実際のところ、倫自身は若干の違和感を覚えているようだが、今日倫と一緒にコートに立ってプレーした怜真としては、心配していたほど変わりないように思えた。

「まあ大丈夫やって」

「そうかなぁ」

「インターハイ予選までまだ1か月以上はあるんやから」

「うーん」

 以降、倫は何も言わなかったが、怜真のことを待ってくれているようだ。だから、怜真も何も言わずに荷物をまとめた。そっけないように見えるが、このような倫との距離感を怜真はかなり気に入っている。怜真は口数が多いわけではない。だから、何も言わずとも通じ合っていると感じる倫との関係がとても心地よい。

 結局、一度の会話のないまま支度が終わったので、怜真は立ち上がった。

 それを見て倫は、やはり何も言わずに、体育館の出口の方に歩き出す。振り返って忘れ物がないか最後に確認してから、怜真は小走りに倫を追いかけた。

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