第32話 その問い

 俺たちは山城駅から三駅乗車して、東京都郊外のニュータウンまでやってきた。この街は映画館もあれば、ショッピングモールも兼ね備えており、わざわざ都心に出ずとも一通りのモノも揃うし、エンタメも完結できる。

 お気楽デートにはもってこいの便利な場所だ。


「あっ! 見えた見えた! これよ、これ。わたしが見たかったのは」


 俺たちの目の前にとある映画のポスターが現れた。


『ミッションクリア10』。

 ハリウッド人気俳優の大ヒットアクション映画最新作だ。


「わたしってばさ、この前本屋で立ち読みした時に、たまたま見つけちゃったのよ。ドムドム・クルージングって人気俳優に出会ってしまったってやつ? この俳優、めちゃすごいよね。全部スタントマン使わずに自分ひとりでやってるんでしょ? もうかっこよすぎでしょ」


 そういえば、木掛さんと水族館デートの次は映画館デートと構想を練っていたのだが、それもご破算となってしまった。彼女にフラれたのが昨日のことなので、カナコには悪いのだがイヤでも思い出してしまう。


 そんな沈んだ気持ちを他所に、カナコのマシンガントークはおさまらない。


「ねえねえ知ってる? ドムドム・クルージングって、本名は、ドムドムバーガ・ピクルスヌキ・デ・オネガイシマース4世なんだって。なんか、名前も『おおっ』って感じよね。んでね、ちょっと考えたわけさ。わたしも名前変えちゃおうかな。カナコ・ブラッド・チョビットオレンジ5世とか? どうよ。かっこいい? なんかね、色々と模索してるわけさ」


 目を伏せて少しだけ想像する。

 うん。てゆうか全然かっこよくないし。

 それに、オレンジか……。

 そういえば、あの時、木掛さんが吐き出したオレンジの果肉を飲み込んだっけ。

 一瞬、甘酸っぱい?思い出に包まれる。


 映画俳優を熱く語るカナコを生暖かい目で見守りつつ、二人分のチケットを購入し、売店に向かう。ご要望されずともコーラ二つとポップコーンを購入した。


「ありがとう」えへへと笑い、コーラを飲む。「ポップコーンは食べないから、エイジさんが食べてね」

「なあ、カナコってコーラとかゼリーとか、そんな甘いやつしか食べてないの?」

「うん。そうだけど。まあ、元はカナブンだからね。それに甘いのが好きよ」

「……大丈夫か? そんな食生活で病気になったりしないの? なんか、ものすごーく健康に悪そうな気が……」


 ないないとカナコは幼稚園児に諭すように手を振る。


「ハンバーグ食べてるカナブンって見たことある? ないでしょ。逆にそんなのがいたら笑っちゃうね。わたしだったら、思いっきり突っ込んじゃうかも。まあ、そんなもんよ」


 うーん。見た目はグリーン感満載でかなり奇抜なんだけど、やっぱり普通の女の子にしか見えないんだよな。

 本当に元カナブンなの?

 服を脱いだらどうなってるの?

 なんて、イヤらしいことまで妄想が膨らんでしまう。


「ちょっと! なんかイヤらしい目してない? エッチいこと考えてるでしょ。まあでも、エイジさんには表も裏も、アソコを広げた姿も思いっきりガン見されてる……よね。まあ、羽のことだけど。たはは」


 カナコは胸を張ったり、小さく屈んだり、やだなーもうと忙しい。


 ……俺が馬鹿だった。木掛さんから唐突な別れを告げられたそばから、カナコ相手にこんな妄想するなんて。いかんいかんと首を振るしかない。


 しょーもないやりとりをしていると開演時間が迫ってきた。劇場内へと向かうと、人気俳優の最新作であり、当然のことながら場内はカップルで溢れていた。周りを見渡せば若い人だらけだ。もしかしないまでも、俺たちも周りからカップルだと思われているんだろう。案の定、カナコの派手ないで立ちに少しだけ周囲がざわつく。良いのか悪いのか、今じゃすっかり慣れたもんだ。


「なんか緊張するね」

 カナコが襟を正して背筋を伸ばす。


 そういえば映画自体が初めてだもんな。映画を観るぐらいでこんなに喜んでもらえるなら、それはそれで連れてきて良かった。


 今回の最新作の設定は、火星を舞台に宇宙ステーションで不可能なミッションに挑戦するらしい。しかも宇宙ステーションではスタントマン無しでアクションに挑むということで、上映前からかなり話題になっていた。

 なんという、とんでも設定。

 だが、それがいい。


 右隣に座っているカナコの横顔をちらりと覗く。巨大スクリーンに釘付けになっており、照明に反射されたその瞳が緑色に輝く。

 まあ、こっちはこっちで、とんでも設定なのだが。

 なんというか、これはこれでいい……のか?


 そうこうしている間に、毎度恒例『NOモア映画泥棒』が始まり、本編がスタートする。言うまでもなく、本編スタートに合わせて照明は落ち、場内は暗闇に包まれた。


 その時――ひじ掛けに乗せた右手に、そっと手が重ねられた。


 その手の主はカナコだ。

 彼女の方から重ねた手を絡まらせてくる。


 えっと……。

 俺は困惑を隠せない。

 なぜか緊張してしまい、カナコの横顔を見ることができなかった。

 また、カナコもしかり。

 いつもだったら「なんか、真っ暗で怖いから手置かせて」なんて言ってきそうなものだが、何も発しない。無言のままだ。重ねられた手から、カナコの温もりが伝わってくる。冷たい無機質な感触ではない。紛れもない人の手の温もり。少し汗ばんだ手が絡まり合う。


 俺は不思議な熱に包まれた。頭の中身は木掛さんで埋め尽くされているのに、こんなデートみたいなことして。しかも、相手はカナコ。何て表現したらいいのか分からない複雑な感情が交錯する。重ねられた手は上映終了まで離れることはなかった。


 肝心の映画はとても面白かった。途中、『えっ! こんなのもスタント無しでやってるの?』等、ところどころに驚愕しながら最後まで飽きさせず、上質なエンターテインメントを堪能できた。だが、俺の意識は映画の内容ではなく常に重ねられた右手にあった。

 エンドロールが流れると、ちらほらと席を立つお客さんが目立ち始める。


「楽しかったな」

 カナコは、「うん」とだけ言った。


 依然、カナコの視線はスクリーンに張り付けになっている。

 そういえば、水族館のアシカショーが終わったあと大興奮していたよな。きっと映画を鑑賞して興奮冷めやらずなんだろう。結構面白い内容だったし。劇場を出て、彼女の熱い感想に付き合うとするか。


「この後、お茶でもする? 映画の感想言いたいんじゃないの? 一時間は余裕だろ?」


 カナコは無言だ。エンドロールが終わっても席を立とうとしない。残るは俺たちと数組のカップルだけとなった。


「次のお客さんも来るし、そろそろ出よ……」

「あのさ」遮るようにカナコはつぶやく。

「うん? どうしたの?」

「えっと……」少し間を置いて、蚊の鳴くような声でこう言った。「エイジさんって、やっぱり木掛さんのこと好きなの?」

「えっと……。ど、どうした急に?」なぜか俺ははぐらかしてしまった。

「ううん。なんでもない」


 急に放り込まれた、その問い。


 二人だけになった劇場内。


「なんだかなあ」とカナコは席を立つ。


 



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