第59話 朝ドタ?

 体が重い。

 意識が覚醒しつつあるのに、瞼が重くて開けられない。


 寝返りを打つのでさえも億劫に感じる。

 ぼんやりとして働かない頭が導き出した答えは疲労の蓄積。


 抗うのを止めて、もう一度眠りの海へと沈もうかと思い始めた頃、ようやく薄っすらと瞼が開いた。

 見慣れた部屋の天井と明かりの差し込み具合で、だいたいの時間を推し量る。


 今日は……あれっ、今日は何をするんだっけか。

 駄目だ、上手く頭が働かないと思いつつ、ふっと視線を横に向けた。


「うわっ……いてて……」


 自分以外の人間がいるのに驚いて、ベッドから転げ落ちてしまった。

 ベッドの上で驚いた顔をしているリュシーと視線を交わし、そこでようやく昨夜の出来事を思い出した。


 目が覚めた直後に微笑み合い、キスを交わすようなスマートな感じが朝チュンの理想形なのだろうが、これじゃあ朝ドタだ。


「だ、大丈夫?」

「あぁ、ごめん。こういうの初めてなんで、いつも一人だからさ……」

「マサ、疲れてるんじゃない?」

「うーん……ちょっとね」

「でも、そっちは元気かも……」


 リュシーが頬を赤らめて、ちょっと視線を背けてみせる。

 うん、昨晩いたした後、そのまま眠ってしまったからパンツも穿いていないし、朝の生理現象は若い男性としては仕方のないことなのだ。


 加えて、リュシーも生まれたままの姿だし、更に元気になってしまうのは仕方のないことなのだ。


「リュシー……」

「えっ、朝からは……ちょっと待って」

「駄目、待てない」

「んっ……やっ……あんっ!」


 終わってからリュシーに怒られた。

 でも、あんな状況で我慢するなんて出来ない相談だし、仕方のないことなのだ。


 水浴びで体を流す時間が無くとも、着替えをする時間が無くとも、清浄魔法を使えば問題ない。

 リュシーは、昨晩ギルドから一度家に戻り、着替えてから雉鳩亭を訊ねて来たので、このままの格好でギルドに出勤しても朝帰りだとは気付かれないだろう。


「そんな訳無いわよ。髪だってボサボサだし、お化粧もしてないし……」

「大丈夫だよ。そのままでもリュシーは可愛いから」

「もぅ、そういう事じゃないんだけどなぁ……」


 ドナートさんやマリエさんの生暖かい視線に見守られながら、リュシーと遅めの朝食を取っていると、ペタンとミルネが寄ってきた。


「マサは、そのお姉ちゃんと結婚するの?」

「しゅりゅの?」

「えっ、いや……どうかなぁ……」


 リュシーの形の良い眉がちょっと吊り上がり、食堂の気温が急に下がった気がする。

 ドナートさんの話を聞いて、責任とか放棄して欲望に従って行動したのだが、まさかこんな形で追い詰められるとは思っていなかった。


「えっと……結婚は、色々手順を踏まないといけないから、今すぐは出来ないんだよ」

「そうなの? じゃあ、いつするの?」

「いつしゅりゅの?」


 ペタンとミルネの追及は続き、リュシーの口角が少し上がった。

 うん、そんな悪い笑みを浮かべるリュシーちゃんは違うと思うんだけどなぁ……。


「えっと……それは、これから相談して決めるから」

「そうなの? じゃあ、いつ決まるの?」

「きまりゅの?」

「い、いつかなぁ……それは相談してみてかなぁ……」


 さっき清浄魔法を使ったばかりなのに、背中を嫌な汗が伝って落ちていく。

 俺の顔が引き攣る一方で、リュシーは満面の笑みを浮かべてペタンとミルネの頭を撫でている。


 厨房に目を向けると、相変わらずドナートさんとマリエさんがニマニマとした笑みを浮かべている。

 くそっ、あのドナートさんの話は罠だったのか。


 ペタンとミルネの反応を見越しての振りだったのか。

 引き攣った笑いを浮かべつつ、急に味のしなくなった朝食を喉に詰め込んで、リュシーと一緒にギルドに向かう。


 リュシーは人目もはばからず、俺の左腕を抱え込むように腕を絡めてきた。


「マサは、あたしじゃ嫌なの?」

「嫌じゃないけど……」

「けど……?」

「なんか色んなことが急に起きて、状況が変わり過ぎて戸惑ってる」


 良く考えてみれば、別にリュシーと結婚するのが嫌という訳ではない。

 別に俺は勇者ではないのだから、一国のお姫様とラブロマンスに落ちるような展開は期待していない。


 知り合いの間では競争率の高い美人を勝ち取り、平々凡々な普通の家庭を築ければ十分なのだから、リュシーとの結婚を拒む必要は無いはずだ。

 強いて言うなら、もう少し色んな女性と遊んでから……というスケベ心はある。


 でも、それは昨日みたいに娼館で発散すれば済む話のような気もする。


「ちゃんと考える。ちゃんと考えるから、少し気持ちの整理をする時間が欲しい」

「そう、だよね……私も少し舞い上がっていたかも」

「大丈夫、ちゃんと前に進む気ではいるから」

「マサ……んっ」


 ギルドに入る前に、リュシーと向かい合って唇を重ねる。

 この国では、路上でキスを交わす姿を見るのは珍しくない。


 珍しくはないが、あくまでも家族や恋人限定で、挨拶としてキスを交わすことはない。

 つまり今の俺達は、いい感じの馬鹿ップルという訳だ。


 色々と退路を断たれるような状況が続いているが、これもまた運命というのなら、その流れに身を任せてしまうのも悪くないのかもしれない。

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