第11話 対峙する

 何を焦っているのかさっぱり分からないリリスは、父親の傍へ行こうと足を踏み出した。そのとき。

「早くしないとあいつが……ぐはッ!」

 言いかけたところで、目の前の父親が突然大量の血を吐いた。そのまま膝をつく。

「なッ」

「と、父さん?!」

 その場に崩れ落ちる父親に、リリスは駆け寄った。父の身体を抱きかかえると、その背中の大きな切り口がリリスの目に飛び込んできた。

 鋭い刃物で斬りつけられたようなその場所から、どくどくと赤い血が流れ出てくる。

「父さんっ、父さんっ」

「早く村に戻って……」

「しゃべったら駄目だよっ」

「母さんと二人だけ、でも……逃げな、さい」

「なに、言って……」

「リ……リス……逃げなさい」

 瀕死の状態ながら、父親は何度も何度も逃げろと言う。

 なぜそうしなければならないのか理解出来ないリリスは、どうしていいか分からない。

 ただ、出血の止まらない父親をここにひとり残していくことだけは、どうしてもできなかった。

 そんなリリスと父親の上に、突然影が落ちてきた。

「逃がさないよ」

「!」

 リリスはその台詞に、いやその声に身を固くした。

 この声は忘れもしない、いや忘れてしまいたい声そのものだった。

「お前はッ!」

 固まるリリスの後ろから、カンナも切羽詰まったような声をあげた。

「探したよ、リリスちゃん」

 こちらを見下ろしてきた男は、口元でニヤリと嘲笑った。途端にリリスは身を固くして動けなくなる。

 そんなリリスと男の間にカンナが素早く割って入った。そうだ。守ると約束したのだ。

「おやァ? キミは昨日簡単にボクに吹き飛ばされたヤツじゃないか。ふうん。死ななかったんだネ、出来損ないクン」

 男は口元から笑みをはずさないまま、カンナを挑発してくる。

 人を見下げたような視線と相変わらずいやらしい口元が気に入らないが、ここで挑発に乗ってしまっては相手の思うつぼである。

 しかしそんなカンナを見透かすように、男はふんと鼻で笑った。

「今日も飛ばされに来たんだロ?」

「……」

「なぁに? 怖すぎて声もでないの」

「……この祭壇の前で、昨日の力が使えるのか?」

 カンナは冷ややかに言いはなった。

「悪魔に魂を売った、サイテイなヤツめ」

「……」

 男の顔から笑みが消えた。

 カンナを睨んだまましばらく口を閉ざしていたが、

「サイテイ? サイコウの間違いだロ?」

 男の目に妖しい輝きが宿るのを、カンナは見逃さなかった。

「おい、離れていろ」

 カンナは背後のリリスに声をかけると、正面の男を見据えた。

 何がなんだか分からない、どうすればいいのか分からないリリスは、カンナに言われるままに父親をどうにか担ぎ上げてその場から離れた。なかなか動かない己の身体を必死に動かして柱の陰に座り込むと、カンナの方に視線を移した。

 カンナは静かに立ったまま、眼前の男を見据えていた。

 リリスは固唾をのんで見守ることしかできない。

(ええと。こういうときって、どうするんだっけ)

 男と対峙するカンナの手助けができる方法を、自分は知っている気がする。

 そういえば、まわりに危険が降りかかったときに唱えるおまじないがあった。子どもの頃ケンカして怪我して帰ってきたときに、母親が教えてくれた。

 確か、歌のようなものだった。

 大聖堂の柱により掛かって、流血やまない父親を抱きかかえながら、リリスは必死に思い出そうとする。

(助けないと……)

 カンナにまた怪我をさせてしまう。このままでは父も助からない。自分のせいで誰かが傷つくのは見たくなかった。

 そこへ、

「俺はネ、祭壇の前でも平気なノ」

 カンナの目の前の男がニヤリと笑った。

「俺は悪魔じゃない。悪魔に魂は売ったけれども、まだ人間ダ。だから祭壇があろうガなかろうが、力が使えないわけジャない」

「……そうか」

「例えばコレ、とかな!」

 男はそういうやいなや、弓で的を射るようなポーズをとった。

 次の瞬間、昨日カンナを吹き飛ばしたあの黒い球体が、瞬く間に弓の形へと変化して、男の手中に収まる。

 男はそれをギリギリと引くと、カンナめがけて矢を放った。

 カンナは横に飛んでそれを避ける。が、その矢はカンナの黒いマントを貫いた。

「っ!」

 矢の勢いでうしろに引っ張られる前に、素早くマントを脱ぎ捨てる。片膝をついて着地すると、今度はそこに矢の雨が降ってきた。

 カンナはぎりぎりで転がって避けた。すると間髪入れず昨日カンナを吹き飛ばしたあの球体が飛んでくる。

「どーした。体制立て直す暇もないナァ」

 男が愉しそうに嘲笑う。

 笑いながら次々と魔法で矢や球体を作り出し、カンナめがけて放つ。彼の言うとおり、体勢を立て直す暇などカンナには微塵もない。

 しかし、カンナもただ逃げ回っているわけではなかった。

「お前にはもう負けない」

 カンナはそう言うと男の攻撃から逃げるのをやめた。その場で静止する。

 男はニヤリと笑う。

「どうした、ついに諦めたか」

「愚か者め。俺様がただ単に逃げ回っているとでも思ったか」

 カンナもニヤリと笑い返すと、両手を真横に広げた。

 まるで、俺を狙ってくれと言わんばかりに。

「まさか俺の力を使い果たさせるために逃げ回ってたのカ? だったら無駄だ。昨日リリスちゃんからたんまり魔力を頂いたからナァ」

「……」

 カンナは男を睨む。

(魔法村の噂は本当だったか)

 しかし考え事をしたその一瞬の隙に、男は今までと比べものにならないくらい大きな球体を作り出す。それから、カンナめがけて勢いよくそいつを放った。

「カンナッ!」

 リリスは思わずカンナの名を呼ぶ。あの大きさの魔法では逃げ切れない。

 しかし。

 バチバチと、目もくらむような白い火花が飛んだ。

 それと同時に周りの雰囲気がガラリと変わる。

 そう、昨日リリスが感じたふわふわの感触、あれに似ている。

 カンナの方を見やれば、黒い球体はカンナの手前で見えない何かに阻まれていた。勢いで前に行こうとしているが、それよりも大きな力で押しとどめられている。前に進もうと回転するたび、青白い火花が飛び散る。

 まもなくして、その黒い球体は散り散りに消し飛んだ。

「なっ」

 男は目を丸くする。

 今まで確かに優勢だったのに、今までよりも大きな力を放ったのに。それを跡形もなく消されてしまったのだ。

「俺の足元になにがあるか、わかるか?」

 静かに告げるカンナの声に、男は驚愕の色をかくせないまま、カンナの足元に目を落とした。

「……魔法、陣」

 男が呟くとおり、カンナの足元に青白い光で魔法陣が浮かび上がっていた。

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