「白屋敷」


 Kさんの実家は西多摩の田舎町で、代々農家をしている。三十代の頃のKさんは野良仕事を手伝う傍ら、出稼ぎと称してタクシー運転手もしていた。


 二足の草鞋ということもあり、深夜から早朝近くにかけてタクシーを走らせることが多かったそうだ。


 ある年の春、日付が変わる頃に無線が入り、Kさんは八王子市内のマンションへ客を拾いに向かった。行先は千葉県で、聞き覚えのない町名だったが「かなり時間がかかりそうだな」とだけ思ったそうだ。

 マンションの前に着くと、おっとりとした雰囲気のご婦人が佇んでいる。

「予約したMです」

 と、丁寧に頭を下げられた。

 暗くはないが地味な色のトレンチコートに、毛糸で編んだ手作りめいた鞄。瘦せ型で、白髪染めを施したような赤っぽいロングヘアだった。Kさんはほとんど彼女をバックミラー越しにしか見ていないが、穏やかな表情で泥酔しているような様子はなく、どこにでもいる普通の女性のように感じた。

「有料道路を使って構わないから、ちょっと寝かせてください」

 女性が乗り込みながらそう言うので、Kさんはほとんど無言のまま指定された住所へ車を走らせた。当時のKさんのタクシーには既にカーナビが導入されていた。行先がよほど入り組んだ住宅地の中でもない限りは、乗客の女性を起こさずに家の前まで連れて行ける。


 いかにも田舎風の田園地帯を抜け、目的地まで残り三百メートルという辺りまで来た頃には、周りの景色もすっかり住宅地の様相だった。

 遠目に見える大型スーパーの看板を目印に道を曲がると、ナビが案内終了を告げた。どうやら、あとは道なりに進むだけらしい。


 しかし車を徐行させてすぐに、Kさんは困惑した。

 廃屋めいたボロボロの家の前に着いてしまったのだ。そのときタクシーに付いていたカーナビは精度がいまいちで、以前にもかなり目的地からずれた場所に連れて行かれそうになったことがある。

 いや、近くにある別の住宅が目的の家かもしれない。そうであってくれと願いながらKさんがきょろきょろしていると、後ろから女性が「着きました?」と問うた。

 Kさんは後ろを振り返り、何とも言えぬまま女性と廃屋とを見比べる。


 ――もしかしてこの場所で合ってるのか? いや、まさかな。


 ところがKさんの「まさか」は的中した。女性は「細かいのが足りないから取ってきます」と言い、先に万札だけをKさんに渡し、車を降りてその家の中に入って行ったのだ。


 Kさんは唖然とした。どちらかと言えば裕福そうな、身綺麗でおとなしそうな中年女性が、まるで心霊スポットのような朽ち果てた廃屋の中へ消えてゆく様子は実に奇妙だった。


 辺りには街灯が数本あるのみで、家の周辺は薄闇だった。それでもKさんの目にはカビだらけの玄関扉が見て取れた。

 屋根はあちこちが腐食して落ちている。窓は新聞紙やベニヤ板で塞がれているところもあるが、完全に覆われているわけではない。塞がれていない曇り窓の向こうは塗りつぶしたように真っ黒だ。窓際の端にだけ、重ねた段ボール箱のようなシルエットが映っている。中のものが見えるということは、あの窓にはカーテンが付いてないのだろう。


 この家は見た目が古くて汚らしいだけではない、そもそも電気やガスが通っていないのではないか。

 Kさんにはその家が、とても生身の人間が普通に生活できる場所とは思えなかった。


「ただのボロの空き家なら、まだいいんですが」

 Kさんの説明はこう続く。Kさんが家の方を見てまず顔をしかめたのは、高さ数十センチほどの白い柵のせいだった。柵と言っても幅三〇センチほどの短い木板を連ねた格好だ。白色に塗られた木板が何十本、何百本と刺してあり、家屋の周囲を取り囲んでいる。その木板の形が、どうもKさんにはミニチュアの鳥居に見えてならない。これにはさすがに住人のセンスを疑ってしまう。

 さらに、多くの家では花壇や庭の境界線に沿って丁寧に柵を付けるものだが、ここの柵は非常に歪な形をかたどっていた。円でも四角でもないが、特に何型というふうでもない。一体どのような意図でそうしているのか。まるで子どもが悪戯したのをそのままにしているようだった。


 おびただしい量の鳥居だけでなく、家自体も白色だった。塗装は日焼けし剥げ落ちているし、壁も崩れかけているが、屋根も壁面も玄関扉もすべてが真っ白い。

 おそらく昭和の文化住宅を少しばかり立派にしたような、和風とも洋風とも言い難い見た目の家だったはずだが、Kさんは家の形や造りよりも、とにかくその『白さ』が気になって仕方なかったという。夜の暗がりの中にくっきり浮かび出ているためか、その白い家には不気味さと同じくらい妙な迫力があった。


 落ち着かない気持ちで五分ほど乗客の女性を待っていたが、Kさんは徐々に疑念を抱き始める。

「やはりこんな家に住んでいるはずがない。廃屋を利用した乗り逃げじゃないのか」

 手口としては考えられなくもない。しかしKさんは女性から既に数万円を受け取っている。足りないのは千円程度で、乗り逃げにしては太っ腹だ。しかし、少額だからこそ逃げてしまえという気になったかもしれないし、案外Mさんは酔っぱらっていて、わけもわからずこの廃屋に入ってしまったのかもしれない。

 兎にも角にも、Kさんとしては運賃を全額払ってもらわなくては困る。


 Kさんは思い切って、その廃屋めいた家の扉をノックした。

 辺りは静まり返り、中から返事はない。ドアの横にはインターホンらしきものがあるが、ビニールテープで塞がれていた。

 仕方なくKさんは、先ほど女性がそうしていたようにドアノブを握った。ドアノブと言っても、錆びついて右にも左にも動かないただの持ち手でしかなかったが、木製の玄関ドアはギエギエと音を立てながらあっさりと開いた。


 玄関は真っ暗だった。しかしKさんの足元には、先ほどの女性が行儀良く正座していた。玄関というより、一段下がった三和土たたきの部分だ。コートだけを脱ぎ、にこにこしながらKさんを見上げている。まさかそんなところに人がいるとは思わないので、Kさんは驚いて後ずさったが、Mさんは気にも留めず微笑んでいる。

「あたしねぇ、足が悪いの。はい、お金です。どうぞ」

 女性は正座した姿勢のまま、無邪気な笑顔でKさんに平べったいものを差し出した。二千円札だ。千円札が二枚、なのだが、大きな柿の葉のようなものに、多種多様な花びらを黒い糸でびっしりと縫い付けたものの上に載せられていた。

 Kさんは無言のままお金だけを掴み、そのまま振り返らず逃げ帰った。


 それからしばらくして、友人が起ち上げた会社の手伝いをすることになり、Kさんはタクシー運転手を辞めた。


 さらに数年経ち、会社もだいぶ落ち着いてきた頃のことだ。Kさんと友人は慰安旅行を企画し、三人しかない若い社員達を連れて軽井沢へ出かけた。車出しと運転手は下戸のKさんが担当だ。

 友人が予約してくれた温泉宿は立派な別荘が多く建つエリアに近い。「他人様のものでも豪華な洋館を見るのは楽しい」と女性社員二人は満足そうに笑っていた。


「でも、この辺の別荘地って心霊スポットも多いらしいですよ」

 もう一人の男性アルバイトがそう言い、当時まだ珍しかったスマートフォンを取り出した。他のメンバーはまだガラケーだったので

「この近くにもある?」

「地図も出るの?」

 と、質問攻めだ。


「寄り道はいいけど、俺は手が離せないからな。勝手にカーナビに入れてくれよ」

 Kさんは幽霊にもオカルトにも興味はないが、慰安旅行ということもあり、ちょっとしたサービスのつもりで社員らにそう言った。しかし、今ではその時のことを酷く後悔していると言う。


 目的地の温泉宿からほど近い場所にその家はあった。

 白い小さな鳥居でと歪つに囲われた、屋根も壁も扉も真っ白な廃墟がそれだった。

 Kさんがあのとき千葉で見た白い廃屋に瓜二つの白い廃別荘。しかしなぜ軽井沢に?

崩れかけた白い家とおびただしい数の鳥居を目の前にして、Kさんはみるみるうちに生温かい空気に覆われたように息苦しくなり、気分を悪くしてひとり先に車内へと戻った。

 Kさんは、女性社員の一人がその家を眺めながら「ぐるぅりしてるね」と言ったときの声音が、なぜだか耳の奥にこびりついて忘れられないのだそうだ。確かにあの鳥居の群れは白い家の周りをとしていたように感じる。


「そのときアルバイトの子がネットの情報を見ていたんですが、その軽井沢の白い家は『あめうちの白屋敷』と呼ばれているそうです。なんでも家の下に広い地下室があって、若い女中さんが何人も幽閉されて亡くなったとか……」

 パソコンのない家で育ったKさんは、近年ようやくスマートフォンを買ったそうだ。

「今では本当に何でも調べられる時代になりましたよね。でも、今までその事件について調べようと思ったことは一度もありません」

 と、苦い顔で呟いた。



 余談ではあるが、当時Kさんと軽井沢へ行ったアルバイトの男性はとっくに転職し、現在はどこにいるかもわからないらしい。Kさんに代わってではないが、私も独自に「あめうちの白屋敷」を探している。しかし未だそれらしき心霊スポットの特定に至ってはいない。

 軽井沢の「あめうちの白屋敷」あるいは千葉県内に存在するという白い家についてご存じであれば、ぜひ筆者へ一報してほしい。
























※ ボツ? 佐山ちゃんの電話待ちで






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