第2話「懐かしいクレープの味」

 俺の家は金銭に余力がない。高校のお金も出してもらっていたのに、そのうえ大学のお金まで出してもらうのは気が引けた。けど、爺ちゃんは出してやるの一点張りで。


 なら、少しでも金銭的な負担が減るようにと、俺は国公立に受かるように勉強した。

 その努力も実り、大学は国公立に合格。留年することなく無事卒業することもできた。


 俺も今年で三十だ。

 ただし独身。


 とんでもなく元気に長生きしてくれている爺ちゃんのすすめで、自立のためという名の一人暮らしをしながら、しがないサラリーマンをやっている。


 大学卒業後、就職はなかなかうまくいかず、ブラックでもホワイトでもない微妙な会社に勤めることになったことが原因かは知らないが、充実しているとはお世辞にも言えない毎日だ。


 こんな日々に意味があるのだろうかと中学生のような悩みを抱きつつ、爺ちゃんが心配なことを理由に今の仕事を辞め、実家に帰るのもアリなのでは、と検討していた。


 そんな、ある日のこと。

 営業まわりをしていた俺の元に突然の電話が舞い込んできた。


「……爺ちゃんが倒れた⁉ はいっ! すぐ行きますっ!」


 俺の中では、元気でいつまでもピンピンしているイメージが強かった。

 良い歳だし心配していたのは事実だが、それでもどこかでまだ大丈夫と思っている部分もあった。そんなところへ来て、いきなりのことに俺は慌てて病院へと向かった。


「ようっ!」


 爺ちゃんがいるという病室に勢いよく駆け込むと、元気に手を上げる笑顔の爺ちゃんがいた。


「爺ちゃん。なんだよ……ようじゃないだろ……」


 爺ちゃんはベッドの上で半身起こして座っていた。その横で看護士が何やら点滴の準備をしている。


「心配かけたなぁ……まあ、このとおり元気よっ!」

「はぁ……」


 そうは言うが、病院に担ぎ込まれたのも事実なわけで。

 やはり歳なのだから、これ以上一人にさせておくわけにはいかない。


「なあ爺ちゃん。俺、実家に帰ろうかと思うんだよ」

「なに?」

「また何かあったら心配なんだ。さすがに年なんだし」

「はぁ……何を言いだすかと思えば。おめえに心配されるほど老いぼれちゃいないわ! 三十になっても彼女の一人も作れず独身のお前を残して死ねるわけないだろうがっ!」


 倒れたという話が信じられないほど元気だなあ、おい。


「……今の時代は結婚がすべてじゃないんだ。そういう時代なんだよ。爺ちゃんが俺のこと心配してくれてるのもわかるけど、俺も爺ちゃんのことが心配なんだ」

「ふんっ……生意気言いおってからに。彼女の一人でもできたら話を聞いてやるわっ」

「はぁ……そんな時代錯誤な」

「言い訳は結構。まったく、高校生の時の彼女が最初で最後か……」

「っ!」


 希美……。思い出したくない話を。


「とにかく、近々実家に帰るからな!」

「まったく、心配性な奴だ。と言うより、お前は仕事中だろうが! さっさと戻らんか!」

「え、あ、いや、今日は爺ちゃんが心配で早退を……」

「言い訳抜かすな! 早く戻れ!」

「ちょっ……そんな剣幕でいたら周りに迷惑だろうがっ!」


 これ以上いるのもよろしくなさそうだったので、爺ちゃんの勢いに押されて俺は病室を出た。

 なんだかどっと疲れて、重い足取りのまま廊下を歩く。


「希美……」


 嫌なことを思い出してしまった。

 あいつ、今頃どうしてるんだろうな。

 まあ、俺より幸せな人生を歩んでいるに違いない。


「はぁ……」


 いろんな意味で気が重くなりながら、本当に仕事に戻ろうかとスマホを開いた、そんなタイミングだった。


「あのっ!」


 利発そうな女性の声に俺は振り返る。


「え?」


 そこにいた女医さんは、あの頃の黒髪をさらに長くのばし、童顔の可愛らしい面影を残したまま大人になったような美人な女性で、少し何かにおびえるような様子を覗かせながらも、彼女が口にしたのは……。


「あ、そういえば駅前に美味しいクレープ屋さんがねっ……」


 あの時と寸分変わらない言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る