18 抗議


 エレベーターの前に戻ると誰もおらず、三人で司令室に赴くと、既に中には全員が集結していた。


「おやアルベルト。お腹でも痛かったのですか?」


 椅子に座り、デスクに両肘を立てて優しく笑うカイの姿が、真っ先に目に止まる。

 ネクロムの傭兵は、脚を組んだり胡座をかいたりソファにもたれたり、マナーの欠片もない居座り方をしている。


「全員、揃いましたね。では、要件をお聞きしましょう」

「要件も何も、俺たちはただ報告に来ただけですよ、司令殿」


 立ち上がり際にミカが言う。カイの前へ歩いていき、黒塗りの机をバン! と力強く叩いた。


「お受けした地下研究施設の調査任務を行った結果、あの施設には大量の〈異端者ヘレティクト〉と〈外怪物アウトワルド〉を培養液で保管している施設が存在致しました」


 カイは微動だにせず、彼が大声で吐き捨てる報告を黙って聞いていた。


「我々傭兵の仕事は以上です。あとはそちらでどうぞ」

「……ご苦労さまでした。詳しい調査は、こちらで行います」


 全てきっちりと聞き入れ、椅子にもたれたカイは、瞳を閉じながらそう呟く。さながら、飢えた獣を前にして、冷静に策を練る賢い小動物のようだった。


「なぁエヴィプティ総司令官、妹さんも来ている事だし、あの事に関して、俺たちにをしてもらおうか」

「謝罪……ですか」


 彼の左眼が開き、アルベルトの方を見た気がした。

 思わず、ごくり、と固唾を飲んでしまう。


「八年も前の事だ。忙しい司令殿は忘れてるかもしれねぇが、あんたは俺たちに到底許されはしないことをした」

「……私は研究の一環でやったまでです」


 今度は握り拳で、黒塗りのデスクが勢い良く叩かれる。割れるのではないかという音が、刹那の間静寂を切り裂いた。


「お前は味わった事があるか? 腕を切られる感触、腹を裂かれる感触、血管の中で何かが蠢く感触――――ないだろうが」

「〈外怪物アウトワルド〉は対象とした人間の皮膚を破り、身体を極限まで縮小させ寄生します。そして、宿主の身体が傷つけば異能を用いて、傷を無理矢理修復――」


 黒塗りのデスクに、強烈な蹴りが炸裂した。流石のカイも、少し退かざるを得なかった。


「分かるんなら覚えとけよ。そして二度と、二度と俺たちを踏みにじるような真似をするな……!」


 そう言い捨て、ミカはデスクの脇に置かれたアタッシュケースを持ち、大股歩きで部屋を出ていった。

 他の傭兵達も、カイを睨みつけながら、彼の背中を追う。


 アルベルトは、あまりに気まずい空気から彼と話す気にもなれず、顔を逸しながら部屋を出ようとした。


「アルベルト」


 途端にそう声を掛けられ、彼女は振り向く。


「自分を、よく保つのですよ」


 屈託の無い笑みで笑うカイ。


 この瞬間、初めて、彼の笑顔から一切の温もりを感じなかった。



 ◇




 本部の地下に存在する、コズミコアの製造プラント。薄明るい青い壁に囲まれた無機質な空間で、ロボット達が緻密な作業を幾度となく繰り返していた。


 この製造プラントは極秘施設であるため、外部との接続は殆ど断ち切られている。唯一の手段は、最新の転送システム。

 四本のアンテナの中央に青い粒子が収縮し、やがてカイが姿を現す。続いてトシミツも、ぎこちない様子で現れた。


「……司令、見せたいものとは?」

「この施設そのものですよ」


 ゆっくりと歩くカイの背中を、未だ消えない転送システムの不思議な感覚に戸惑いつつ追った。


「コズミニウムは、〈外怪物アウトワルド〉襲来の数年前に、あなたの祖国で発見された物質でした」

「それを独占しようとしていたその国に、アディシーズ帝国は宣戦布告し、瞬く間に植民地としてしまいました」


 トシミツは唇を噛む。血が滲む程に。

 祖国の文化も誇りも、何もかも奪われた。行き場の無い怒りを、自らの唇で噛み締める。


「どの国も、コズミニウムを求めました。ソビエト、中華民国……それを求めた末、争いに身を投じる事が、いかに“苦しみ”に満ちているかも顧みず」


 皇帝は強欲だった。それは、国の政治に根強く影響している。何処までも進歩し続ける科学技術、それにより生活はどんどん豊かになり、楽になる。この国は、そういう所だ。

 

「トシミツさん。あなたなら分かりますよね、“苦しみ”なんて無くていい。“絶望”も、または“後悔”さえも」


 製造の過程で発生する赤くて淡い光が、不敵に笑う彼の背中を照らした。光が相まって、彼がとてつもなく強大な存在に見えて、身体が無意識のうちに震え上がる。


「ねぇ? あなたなら、私の考えに賛同してくださいますよね。さん」


 身体に残っていた、転送の感覚はとうの前に抜け落ちて、武者震いか、あるいは単なる恐怖によるものか、痺れるような感覚が身体を支配した。


 



 ◇




 部屋に戻ると、ルルワとセトはベッドで引っ付き合って眠っていた。あまりの愛しさに、アルベルトから笑みが溢れた。


 眠る二人の小さい頭を撫でて、その身体に耳を当てる。

 とくん、とくん、と聞こえてくる心拍音。あまり大差は無いのだろうが、自分のものと比べ、堪らなく愛おしい音だ。

 温かくて、虚無な自分が確立した気分にさせてくれる。初めての感覚だった。初めて、人を心から守りたい、と思えた。


「アベル? 入るよ」


 扉がノックされ、小さな声で返事をすると、スルトがそぉっと入ってくる。ゆっくりと近づき、アルベルトの側に座り込んだ。


「邪魔だった?」

「ううん」


 厚着していない彼女は、身体のラインがくっきりとしている。赤いセーターと黒のスカートに包まれたその身体は、貧相な自分の物とは掛け離れている。


「ねぇ、一つ聞いていい?」

「なに?」


 スルトが明後日の方を向いたまま聞いてくる。


「アベル、私のこと、嫌いになった?」

「……まさか」


 彼女の視線は、依然としてこちらを向かない。

 嫌いな訳がない。彼女の事は、自分へ優しくしてくれる大切な友達だと思っている。捨ててはいけない、大切な。


「初めて会った時は、私きっと、あなたに“恋してた”。カワイイな、綺麗だな。あなたを見るたびに、そんな言葉で頭がいっぱいになって。脳が麻痺して……」


 五年前の情景が、嫌でも思い浮かんでくる。

 アルベルトは彼女を捨てた。何を思ったのかも分からない。自分を大切にしてくれていた彼女を、その手で捨てたのだ。


「あなたが居なくなってからは、凄く怖かった。一人だったもの……一人ほど怖い物はないわ。……ずっと怖かった、嫌われたのかと思った」


 スルトの華奢な指が、か弱い力でこちらの服を掴んで、震えた。

 そして泣きそうな声で「ねぇ、答えて。私の事嫌いになったの?」と彼女に尋ねる。


「嫌いな訳ない……スルトも、ノアも、この子たちも、皆大好きだよ。私が嫌いなのは、私なの」


 気持ちが高ぶり、言うはずも無かった事を口にしてしまった。

 込み上げる熱さに刺激され、口は意志とは関係なく開き、言葉を溢していく。


「中途半端で、子供っぽくて、意気地無しで……そんな自分が嫌い。大嫌いなの……! スルトを嫌いになんかなる訳ない」


 溜まったものが、ずるずると漏れ出していき、胸の中が熱くなると同時に、底知れない開放感に浸った。


「……そう、なんだ」


 華奢な手が後頭部を撫で、次第に彼女はスルトの胸元に抱き寄せられた。脳が溶けそうな甘い香り、仄かな温もりが瞬く間に感情を高ぶらせてくる。

 涙が垂れてきて、嗚咽もせり上がってくる。感情を抑える事ができず、彼女の胸の中で、静かに泣き出した。


「そう思うのは、アベルが頑張り屋さんだからよ。でもね、自分の良いところにも目を向けないと」

「……私に、そんなのあるかな……」


 肩を震わせ、しゃがれた声で聞いた。


「あるよ、アベルはとっても優しい。じゃないと、この子達を育てようとも、お兄さんの事を信じようとも、思わないよ」


 髪を撫でられ、零れ落ちる涙は増々勢いを増した。大声で泣き叫びたくなるのをぐっ、と堪え、静かに涙を流した。


「せめて、今の自分を受け入れようよ。優しくてかわいい、今のアベルを」


 誰にも話した事が無かった。自分の心の内など。ずっと心の中で、落ちない汚れとして貯まり続けてきた。

 それを今、初めて吐き出した。悔しい、悲しい、それ以上に込み上げてくるのは罪悪感だ。目の前に、何を話しても受け入れてくれる人がいたのに。下手に溜め込んで、心配を掛けて。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「謝らないでよ」


 彼女の抱き締める力が、一層強くなったのを感じた。


 スルトは、抱き合ったまま身体を少し反らせて、その桜の唇を、自分の唇へ押し付けようとした――。


 寸前で唇を繕い、それを拒む。


「できない……私には、それを受け入れる権利がない……」


 混乱する中で、必死に理性を保った。


「今、私はあなたを“愛してる”。あなたが大切で、愛おしいの」


 その言葉は、天秤に乗せたら、どんな金属よりも重たいだろう。

 唇を重ねれば、その愛を受け入れる事になる。

 受け入れたとして、今の自分が天秤の片方に何を乗せられる?

 鉄のように重たい物と同等の物を、片方に乗せられるのか?


 ――できる筈もない。今の自分に。


 手首を掴まれ、瀬戸際で保たれている理性が、今にも崩れそうになった。


「……アベル? 帰ってるの?」


 不意に聞こえたセトの声で、二人は退け合う磁石のように分断され、互いに頭を床にぶつけた。


「お、おはよう! セトちゃん! お腹すいてなぁい? ノアに何か頼もうか?」

「……二人で何してたの?」

「……おはなし」


 察せられぬよう、二人は何とか誤魔化した。誰かが余計な事を吹き込んでいない限り、分からないはずだが。


 セトはベッドから降りるや否や、彼女の胸元へ飛び込んできて、顔を埋めた。綺麗な赤い髪の束が、少し乱れた空色の髪と入り混じる。


「おかえりなさい……寂しかった」


 こごまった声が、胸元で響いた。哀愁に満ちた声色から、彼女の心境が伺える。怖い想いをさせて子供に寄り添ってあげられなかった事を、酷く悔やんだ。


「……大丈夫。今日はもう、何処にも行かないからね」


 赤くて小さな、可愛らしい頭を掌でなぞるように撫でた。髪は艶々としていて、温かい。痺れるような甘い感覚が全身を迸り、不思議な気分に陥った。


 その感覚を懐かしむように、アルベルトは隣にいる彼女を横目に写しながら、静かに目を閉じる。







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