間章


 疲れ切っているはずなのに、全く寝付けない。時刻は夜中の零時をとっくの前に過ぎてしまっていた。


 床に敷いたマットレスの上で、くっつき合って眠っているセトとルルワ。彼女らの寝顔を見ると、自然と心が安らいだ。そして、内心ほっとする。


 眠れない時はいつも、家の中を彷徨いていた。今夜は、そうして眠気を誘おうと、彼女はベッドから降りて部屋を出た。



 拠点内は寝静まっており、物音一つ聞こえない。暗闇を照らす、一縷の月光が不気味とも思えてくる。

 タンクトップ一枚の決して人には見せられない格好で、廊下を放浪する。こうしていると、中学を卒業してからの事を思い出す。


 リビングに辿り着き、真っ先に目が行ったのはソファだった。

 毛布に包まるスルトが、安らかな顔で眠っていた。少し、無防備な姿を見て、どきん、と胸が弾む。


「起こさないでやれ」


 彼女に触れようとした所で、後ろからやってきたノアの声に抑制される。

 紺色のパジャマと白のカーディガン姿のノアは、彼女の姿を見た瞬間、顔を赤らめて視線を逸らした。


「……ッ……どんな格好をしているんだ……」

「ご、ごめんなさい。誰か来ると思わなくて」

「これを着てくれ……頼むから」


 差し出されたカーディガンを身に纏い、彼女を起こさぬよう、そっーと立ち上がった。


「……眠れないのか」

「えぇ……疲れてるのにね」

「座って待っていろ」


 そう言って彼は台所へ向かった。

 言われた通り待っていたが、次第に甘い香りが漂ってきて、若干ボケていた頭が覚めてきた。


 チン、と電子レンジの音がし、彼がこちらに戻ってくる。


 アルベルトの前に置かれたのは、ピンクのマグカップに入ったホットミルク。蜂蜜の甘い香りがする。


「……いいの?」

「温かい飲み物は入眠に最適だ。特にホットミルクはな」


 足を組み、得意気にそう語るノア。

 もう遠慮をせず、熱々のホットミルクを火傷せぬよう息を吹きかけながら口に流し込む。

 優しい味が口に広がり、みるみる内に身体が温まってきた。


「美味しい」

「そうか、良かった」


 ノアは嬉しそうに笑った。こちらが見えていないと思っていたのか、目線が合うと、すぐに表情を固めた。


「お前がいないと、今回の戦いは厳しかったかもな」

「……」

「その……ありがとう。色々とな。それは礼代わりだ」


 驚くくらい小さな声で、彼はそう言ってきた。


「お前の事を悪く言ってすまなかった。少し……気が立っていたんだ」

「いいの。こんな私だもの。気が立つのも当然よ」

「……あれの妹ととは思えないな、お前は。すごく優しい感じがするよ」


 アルベルトは様々な感情を噛み締めて、目を伏せながら、ミルクを啜った。

 未だに心残りなのが、兄が彼らに“何を”したのか、であった。


「あつっ!?」


 熱々のミルクが、あまりの熱で彼女の舌を火傷させてしまう。


「落ち着いて飲め」


 彼の横槍が、熱さで失われた冷静さを何とか保たせてくれる。

 翡翠の瞳が、寝息を立てるスルトの方へ向き、僅かに細まった。


「あいつは……スルトは、ずっとお前の事を話していた。この上なく楽しそうにな。どんな奴だろうか、少し想像したりした」

「……そう、なんだ」


 スルトは口を開けば自分アルベルトの事ばかりだ。それしか眼中にないのか、はたまた好き過ぎて他の事が疎かになっているのか。

 どちらにせよ、彼女の愛は凄まじい。


「お前はどう思っているんだ。彼女のことを」


 そう言われ、淡い桜の唇に微かなシワができる。言葉が出てきそうで、全く出てこない、くしゃみに似た感覚を覚えた。


「あいつから想いを伝えるばかりでは、一方的過ぎる」


 自分からも想いを伝えれば――それはつまり、ただの友達、からは一線を超えてしまうということか。親友、恋人。どちらにしても馴染みのない言葉だ。


「……あの子は、私には勿体無い」

「それはお前のエゴだろう。彼女の事も尊重してやれ」

「……私が、耐えられなくなる」


 俯いたアルベルトは、水面に波紋を作ってしまうような小さくも重たい言葉を吐き出す。

 窓から差し込む高層ビルの眩い光が、彼女の背中を容赦なく突き刺した。


「何が怖いんだ……お前は」


 アルベルトは桜の唇をぎゅ、と噛み締めて思わず言い放つ。


「怖いの……!! 自分が」

「怖くて仕方がないの……いつまでも子供で、何の成長もしない自分が……」

「……」


 ほんの少し間を開けて、ノアは口を開いた。


「何だか、お前は俺と似ているな」


 凛とした彼の表情が、僅かな微笑むの浮かぶ柔らかな物へ早変わりする。

 建物の近くを通り過ぎた、浮遊自動車の淡い光が彼を照らした。


「もう寝ろ。いつ任務が来るか、分かったものじゃないからな」


 ノアはそう言い残して席を立ち、自分の寝床へ戻っていった。

 彼女は羽織るカーディガンに残った彼の温もりに身を預けたまま、椅子の上で蹲った。

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